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ガラスの靴を探しています


私は、世界一綺麗な女の子になりたかった。何を着ても様になって、メイクをしなくたってじゅうぶん可愛くて、街を歩けば誰もが振り向くようなそんな美少女に。

それは女の子だったら誰もが一度は願うことだけれど、あるひとつの厄介な感情を自分の中に見つけてしまってからそれは加速度を緩やかに上げる。今までも、今こうしている間にも、そしてきっとこれからも。叶うはずもない無謀で、だけど切実な思いを抱いている私を嘲笑うかのように、私がずっと存在を意識していた隣の席の男の子はにっこりと微笑んだ。誰もがぼうっと見とれてしまうような、綺麗な顔によく似合う屈託のないいつもどおりの笑顔で。


「名字さん」
「なに?」
「俺ら今日日直やねんけど」
「あ、そうだっけ」
「やっぱ忘れてたんか」
「やっぱって何、やっぱって」
「いや、忘れてそうやなーって思っとったとか、そんなことあらへんで?」
「思ってたんですね」


だけど私はそれに見とれてやったりなんかしない。なぜって単純に、悔しいからだ。私は私が世界一綺麗な女の子じゃないことに複雑な感情を抱いていて、世界一綺麗だと言っても過言ではないような容姿を持ったこの男の子――よりによって、「男の子」だ―――がいとも簡単に女の子たちがとろけるような笑顔を向けることが気に食わなくてしようがない。私はそんなんじゃほだされないよと心の中で毒づいてみせるのも、ただ単純に自分の奥底深くに蓋をした醜い、俗に言うならコンプレックスと名付けられる感情をあからさまに見せつけられているような気分になってしまうのを防ぐためなのだと、自分でとうによく分かっている。だから誰にも責められる筋合いはないし、責めないでほしい。だって私にはどうにもコントロールできない感情なのだ。責任転嫁を承知の上で言ってしまえば、全てはこの男がいけない。まさに完璧パーフェクトな要素を兼ね揃えた、白石蔵ノ介というこの男が。


「そう思って、ほら。もう日誌受け取ってきたわ」
「あ。ありがと」
「どういたしまして」
「じゃあ、あとは私がやっとくよ」
「いや、そんなわけにもいかんやろ」
「だって白石くん、部活もあるし大変でしょ」
「平気やって。やらなアカンことやし」
「でも、」



いい意味でも悪い意味でも、白石蔵ノ介は噂の多い男だった。ほとんどそれが真実ではないことは火を見るよりも明らかだけど、重要なのはそれが真実かどうか、ということではなく、それだけ彼と噂になりたい女の子たちが存在すると言うことだ。突拍子もないものから、現実味を帯びているものまで、恋する乙女たちは想像力を働かせていとも簡単にそれを現実とごちゃ混ぜにする。いつだったか酷く困憊したような横顔を見止めてしまったら、その視線に気づいた彼は何も言わずに困ったように微笑んだけど、その噂の正体がガセだったなんてことはそれから数日後に明らかになったことだった、たぶん。

思えばそれ以降、彼にまつわる様々な噂は乙女たちが作り出したものだと漸く彼の周りも理解しだしたらしく、もはや彼の恋愛ごとにまつわる噂は面白おかしく脚色されて漂う程度に「お遊び」と同等なものへと形を変えていったような気もする。


「ええって。ふたりでやったほうが早いやろ?」
「…白石くんって、」
「ん?」
「いや、なんでもない」


白石蔵ノ介の一番の美点といったらやはりその整った容姿だと思う。でも、顔が綺麗なだけじゃテニス部の部長にはなれない。顔が綺麗なだけじゃ成績上位者として掲示板に名前は貼り出されない。顔が綺麗なだけじゃミスターパーフェクトなんていうふざけた―――と少なくとも私は思っている―――異名を掲げられたりはしない。だけど重要なのはそんなことではなくて、白石蔵ノ介がいくら陰で努力していようが放課後テニスコートに遅くまで残って壁打ちをしていようがとても真剣なまなざしで授業を受けていようが放課後先生に質問をしに行こうが、私には一向に関係がなくて、ただ私が気に入らないのは白石蔵ノ介、そのひとの容姿だけなのだ。彼の、男のくせに長いまつげだとかにきびひとつない肌とか整った口元とか、そういうものひとつひとつを認識するたびに私はなぜだかひどく腹立たしい気分になるというかなんというか、そう、とにかく率直な感想を言うならば「気に入らない」のだ。そんな私の心情にはこれっぽっちも気がつかないであろう隣の席の男の子そのひとは、あまりにも当然といった様子で他の子に向けるような優しさを、よりにもよって私にだって向けてくるのだから余計にたちが悪いと思う。いくらそれが秘められたものであるにしろ、自分に向けられた悪意にまるっきり気がつかないのはある意味で罪だ。


「名字さん」
「なに?」
「俺の顔になんかついとる?」
「え?」
「そんなに見られると照れるんやけど」
「あ、えーと。そうじゃなくて。ちょっと考えてた」
「考えてたって、なにを?」
「えーと、それは、…」
「なに?」
「…えーと、……」
「なに?」
「…私、世界一綺麗な女の子になりたかったと思って」


だからみんなが誤解する。訂正すると、乙女たちが、だ。みんなに向けられる優しさがひとたびでも自分の手元を掠めてしまったら、それは確信に形を変えてしまってもおかしくは無いことを、目の前で驚いたように瞳を見開くこの男の子は分かっていないのだろうか。分かっていたところで、私には何の関係もないことなのだけれど、それを思えば彼が数多の噂を持て余していたって決して同情することはできない。そしてそんな彼に夢を抱き続ける年ごろの女の子たちは鏡に映る自分の姿と、彼が瞳に写すであろうと願うその姿になんとか近づけたくて、努力する。だいたい素材が悪ければ努力したってたかが知れているのだけれど、たいてい素材がそこそこであれば絶世の美少女とはいかなくてもそこはかとなく誤魔化すことくらいは出来る。だけどそれじゃ足りない。白石蔵ノ介の傍にいるためにはそれじゃぜんぜん足りない。世界一綺麗な女の子にならなければ、白石蔵ノ介の隣に立つには相応しくないと、知らずのうちに思いこんでいる少女たちは、これでもかと毛づくろい、身づくろい、なんとか絶世の美少女まで自分を押し上げようとする。だけどそんなの所詮、無謀な話なのだ。もともとが絶世の美女でなければ、何をどうしたって絶世の美女になんかなれっこないのだ。つまりなにを言いたいのかというと、彼女たちがいくら頑張ったところで白石蔵ノ介の隣にいることが許されるほどの美少女になんかなれるわけがないということだ。だから叶いもしない願い事をいつまでも願う。だから、私は、



「名字さん、充分きれいやと俺は思うけどなぁ」



私は、世界一綺麗な女の子になりたかった。何を着ても様になって、メイクをしなくたってじゅうぶん可愛くて、街を歩けば誰もが振り向くようなそんな美少女に。

それは女の子だったら誰もが一度は願うことだけれど、あるひとつの厄介な感情を自分の中に見つけてしまってからそれは加速度を緩やかに上げる。今までも、今こうしている間にも、そしてきっとこれからも。叶うはずもない無謀で、だけど切実な思いを抱いている私を嘲笑うかのように、私がずっと存在を意識していた隣の席の男の子はにっこりと微笑んだ。誰もがぼうっと見とれてしまうような、綺麗な顔によく似合う屈託のないいつもどおりの―――だけどほんの少しだけはにかんだような照れた笑顔で。


だけど私はそれに見とれてやったりしない。なぜってそれは単純に、その笑顔に見とれてしまったら、私の顔がひどく熱を持っていることも、私が世界一綺麗になりたかった理由さえも全部全部、見透かされてしまうんじゃないかと思ったから。







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