小説 | ナノ




アイ・ラブ・ユーは舌先で苦い



「先輩てどんな人がタイプなんすか」



静寂を打ち破るようにぽつりと言えば、先輩は雑誌を読んでた目をふと上げて、どしたの、急に。と言って笑った。全然動じてない、その余裕がちょっと悔しくて、俺はほんの少しだけ距離を詰めた。はがれかけの色あせたカーペットは、タオルやユニフォームともはや誰のものだかわからなくなってしまったジャージからわずかに顔をのぞかせていただけだったが、入るなり、相変わらず汚いねぇと苦笑いしながら言った彼女によって綺麗に掃除されていた。そんな汗臭い部室。何もかも変わってないはずのこの場所は、先輩たちという俺にとってあまりにも日常すぎたピースが欠けてしまったことで簡単に色を変えてしまった。もちろんその中に、当時のマネージャーであった目の前の彼女も含まれてはいた。燃えるようなあの夏から、気づけば一年が過ぎていた。



「白石部長とはうまくいかへんかったんやろ」



別れたって聞きました。そう言えば彼女は、光は相変わらずハッキリ言うなぁと苦笑いしていたけれど、そこに後悔の念があるのかどうか、肝心なところは読みとれなかった。思い返してみればこの先輩はいつだってそうで、マネージャーである立場上なんだかもともとの性格ゆえなのかは知らないが、自分の感情を隠すことに長けていた。あの夏、みんなが泣くまいと顔をゆがめていた帰り道、みんな泣いてもいいんだよ、頑張ったんだから。と笑って言ったこの人によって先輩らの涙腺は決壊した。バスだからよかったものの、これが公共機関だったら間違いなく大迷惑、ともいえるほど声を上げて泣いた。俺は金太郎や謙也さんほどウオンウオン雄たけび上げて泣かなかったものの、それでもやっぱり少しは泣いた。気づいていた人間がこの人以外にいたかどうかは謎だけれど。そしてこの人は、そんな俺らを見てもただ穏やかな笑みを浮かべているだけで、決して泣かなかったのだった。先輩だって誰よりも一番近くで俺らを見てたんだから、泣きたくないわけがなかっただろうに。だけど彼女は一筋の涙も見せなかった。その理由のほんとのところは俺には分からないけれど、もしも彼女まで一緒に泣いていたとしたら俺たちはあんなに無遠慮に感情をさらけ出せなかったと思う。うまく言えんけど、絶対的な安心感を与えられたかのようで、泣くことを許されている、まるでガキのころに帰ったようなそんな不思議な感覚に陥らせた。



「ケンカしたわけやないんでしょ」
「…何でそんなに詳しいのかな、光くんは」
「さあ、何ででしょう」



鈍感なんだか敏感なんだか分からないこの人は、しばらく考えあぐねた挙句、わかんない、と降参のポーズをとった。多分本気で考えてたわけじゃない、と思う。この人は、昔からそういうひとだった。つかず離れず。そんな言葉が誰より似合う人。他人と自分が関わり合うのにちょうどの、心地よい距離を知っている。だから誰にだって好かれるし、全国区の男テニのマネージャーだって立派に務めてみせたんだと思う。卒業式の日に後輩が何より泣いたのは、プレイヤーである先輩たち以上にこの人がいなくなってしまうということだった。なまえはモテモテやなぁと苦笑した白石部長の本当のところは知らないが、俺だって想像できなかった。先輩らがいなくて、いよいよ俺が部長になって日常を紡いでいくという自分自身のシナリオを。そして、そんなまだ見ぬ未来はほんの少しだけ怖かった。いざ卒業式の日になって、俺に彼女はただ一言、大丈夫だよ、光なら。そう言って微笑んだ。だからああ大丈夫なのかと俺は思った。なんて、笑ってしまうくらいに単純だけど、それだけの威力が彼女の言葉の中にはあったのだ。



「わからんとか一番許されへん答えすわ」
「えー、なにそれ」
「それより先輩のタイプ。教えて下さい」



なんでそんなの知りたいの?と言いつつも、一年前はこういう話だって普通にしていたのだからと先輩は大して深く考えなかったらしい。俺としてはもうちょっとそこんとこ深く考えてもらいたい。言わんけど。いささか不満な気持ちを抱きつつも先輩の言葉を待つ。うーん、と唸る先輩のあれから少し伸びた髪や、四天宝寺中のものではないブレザーの制服。相変わらず考えるときにナナメ上を見る癖、変わったところと変わっていないとこ。変わったのも変わっていないのも、当たり前といえば当たり前だ。だってあれから一年も、一年しか、経っていないのだから。先輩は他の先輩たちよりも頻繁に俺らのところに現れては、後輩マネの指導やらまとわりつく後輩たちを手なずけるやらしていたけれど、また来たんスかという辛辣な俺の言葉にだって光は部長になっても相変わらずね、と言って笑うから、あれから何も変わっていないんじゃないかってそんな錯覚に陥りそうになる。そしてそれは同時に、いつかこの人がいなくなってしまうんじゃないかっていうあの時の不安さえもずっと消せないまま。



「白石部長とか、やめてくださいね」
「なんで?」
「具体的すぎるでしょ。未練あるなら別やけど」
「未練って…別にそういうのはないけど」
「じゃあ他に考えて下さい」
「うーん…そうだなぁ」



だってもし、先輩がこうしてここに来てくれなければ俺は彼女に会えないし、自分から会いにいく手段だってない。先輩にとって俺はただの部活の後輩だ。そんな限りなく頼りなくてうすっぺらな、まるで蜘蛛の糸みたいな関係を必死に手繰り寄せようと、水面下でバタ足しているのは他でもない俺だった。彼女は気づいているんだろうか、気づいているかもしれない。あれだけ俺のことを、俺たちのことを毎日見守って、自分でさえも気がつかないような些細な変化だってすぐに気がついた彼女だから。気づいてほしくないのに、気づいていてほしいと思う俺の矛盾した心のうちだって、ねえもしかして。それさえもあんたは気づいてはるんですか、先輩。そうだとしたら俺は、一体どうするのが正解なんだろうか。


「好きになった人がタイプかなぁ」
「男ウケする一番無難でつまらん答えをどうも」
「えええ、何よ自分で聞いといて」
「ほんなら誰でもええっちゅーことですか」
「強いて言うなら、私のこと好きにならないような人?」
「は?」
「私に興味なさそうな人ばっか、いいなって思っちゃうんだよね」


そう言って笑った笑顔の先が、白石部長なのかどうかは分からないし、きっと違うだろうと思った。だって部長はちゃんと先輩のこと好きだったって、俺が一番よくわかってる。少なくとも、俺が見ていた時点ではふたりはちゃんと好きあっていたし幸せそうに見えた。いまだにまだ、関係の終わってしまったふたりに拘ってしまうのは先輩じゃなく俺だ。先輩がまだ部長のこと好きだったらどうしようって思ってるくせに、譲りたくない、こっちを向いてほしいとテレパシー飛ばすみたいにただ願ってばかりの自分のガキっぽさにほとほと嫌気が差すけれど、それが恋なのよといつだったか小春先輩が言ってたのを思い出して唐突にその意味を理解する。相手が好きでしゃあなくて、自分のこと嫌んなっちゃうくらいの相手を見つけられたらいいわよね。その時、俺はもう見つけられとんのやけど、とは思ったものの他には特に何とも思わなかった。そしてその後すぐに始まった、小春先輩とユウジさんの四天宝寺では最後となる夫婦漫才をぼんやり眺めていたけれど、もしかしてそれはレンアイごとに長けてなおかつキレ者な小春先輩なりの俺へのエールだったのかもしれないと今になって思い当たるあたり、散々謙也さんをへたれだとバカにしてはいたって俺も相当この手のことに関しては頭が回らないらしい。今だってこんなにぐるぐるぐるぐると、気づけば一年以上も同じことを考え続けて、いい加減に頭がおかしくなってしまいそうなくらいに。ねえ、先輩。俺はあんたのこと、こんなに好きなんです。どうしたらええですか。それはずっと言いたかった、でも言えずにいた言葉だった。かーっと頭が熱くなってしまった。気のせいか目頭も。めっちゃかっこ悪いわ、と思いながらも体裁を気にする余裕は今の俺にはまるでなかった。今、言わなくてはいけないような気がした。




「…先輩」
「うん?」
「俺、あんたのタイプと正反対なんですけどええですか」



絞り出した言葉は心のうちとはまったく違って、俺の性格をそのまんま現したような相変わらずどこか高圧的で、可愛くもなければかっこよくもない言葉やったけど、先輩が「私、もう光の先輩じゃないよ」そう言って笑うから、俺は伸ばされたそのちっこい手に俺の手をそっと重ねる。ああ、こんなことならもっと早く言えばよかったわ。俺はすう、と息を吸い込んだ。







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