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財前くんはご機嫌ななめ




初めて見たときはなんて怖そうな子だろうと思った。ピアスをたくさんあけているし、口元はいつだってむっつりと引き結ばれている。彼の噂はちらほら聞くことはあったものの、学年も違うし、一度だって何か接点があったことも、廊下ですれ違ったことすらない。彼は私の人生において関わり合いになることがないタイプの人種だろうと思った。だから、高校最後の学年にあがってすぐの委員会で、同じ教室に彼の姿を見つけたからといって、これからも関わりあいになることはきっとあるまいと思っていた。


神様って本当にいるのかな、と思う。今まで生きてきた中で、くじ運が悪いほうだなあというのはなんとなく感じていた。自慢じゃないが、商店街の福引も雑誌の懸賞にだって、よくてティッシュしかあたったことがない。そして極めつけがこれだ。あみだくじによる図書当番のペア決めで、なんと彼、財前光くんを引き当ててしまったのである。


財前光くんという人は、あの強豪テニス部所属にして二年生でレギュラーの座につき、天才とまで呼ばれている。誰もが認める、四天宝寺の未来を担う逸材で、そのルックスのよさとにじみ出るオシャレでクールな雰囲気が極めつけとなり、この学年、いや学校、もしかしたら学校外でも知らない人はいないくらいの有名人だ。確かに、そこらの芸能人に負けないくらいカッコイイ顔をしているなぁとは思うけど。すっと通った鼻筋とか、影が落ちるくらいに長いまつげとか、ニキビひとつないつるつるな肌とか。女の私からしてみても、思わずため息をついてしまいたくなるくらいに綺麗な顔をしているのに気がついたのは、今日初めて財前くんの横顔をまじまじと見つめたからだった。


カウンターの席に並んで座ったまま、財前くんはさっきからずっと仏頂面を崩さない。いくら可愛い女の子たちが話しかけても、冷や水を浴びせるような対応しかされないというのは、今じゃ学校中の誰もが知ってる常識らしい。比較的明るくてお笑いが大好きな四天宝寺生たちとは正反対の、氷河からやってきたツンドラ王子だとか、称賛しているのか揶揄しているのかよく分からないような声もあったりした。私は今までの人生、とにかくいつだって平凡に生きてきたし、これからも今まで通り平和に生きていきたい。だから財前くんみたいな人とは一生関わらないだろうと思っていたし、正直関わりたくなかった。それなのにどうして私は今、貴重な昼休みを割いて、この無愛想な後輩の隣で貸し出し用の本にペタペタと判子を押しているんだろう。


「......い、先輩」
「......」
「先輩。シカトすか、たち悪いわ」
「え?」
「さっきから呼んでんすけど」
「あ、ごめんね。ちょっと考え事してた 」
「はあ。なんでもええけど、俺次の火曜は当番遅れますわ。部活のミーティングあるんで」
「うん、わかった」


財前くんはなんの温度も感じられない声で淡々と告げた。いきなり話しかけられてびっくりした。まともに話したのはこれが初めてな気がする。遅れると言ったけど、ひとりでも平気だろうし別に無理しなくていいよと言うべきだろうかと考えていたら、もう用事は済んだはずの財前くんが、いまだにこちらをじっと見ていた。私一応年上のはずなのに、なんだか圧倒的な権力の格差を感じるんですけど。


「......なに?」
「別に。なんもないっすわ」


財前くんはそっけなく言って、ふいと顔を背けてしまった。いったいなんだったんだろう。けれどそれきり財前くんはこちらを見ることも口を開くこともなく、再び判子を押す作業へ戻ってしまったので、私もそれ以上何も言うことなく、再び手元に視線を落とした。何か言いたいことがあるなら言えばいいのに。やっぱり感じ悪いかも。再び重たい沈黙が走る。ああ、気まずい。




「あー、あかん。なんかないんか、話すこと」



しばらくしてから、ふいに隣から声が聞こえたような気がして、顔を上げた。財前くんは私の視線に気が付いていないのか、こちらを見ることはない。


「財前くん、いま何か言った?」
「は?なんも言うてませんけど」


確かに財前くんの声だったような気がするんだけど。訝しげな表情を見る限り、本当に心当たりがなさそうだ。空耳だったのかな。変なの、と思って作業に戻ろうとすると、再びさっきと同じ声が、今度はずいぶんはっきりと聞こえた。


「ああほら、せっかく話すチャンスやったのに。何してんねん俺」


間違いなく財前くんの声だ。財前くんの声なのに、思わず見つめた口元は俯いたままでまったく動いておらず、言葉を発しているような雰囲気は感じられない。でも、声だけはしっかり聞こえている。え、何これどういうこと?財前くん腹話術でもしてる?いや、意味わかんないしそんなはずない。もしかして私頭おかしくなった?


「何話したらええかわからん。それより先輩、俺の名前知っとったんやな。まあそら知っとるか。でも呼ばれたの初めてや」


明らかに言葉を発していない財前くんなのに、なぜか話しているような声が聞こえてくる。......もしかして、これ、財前くんの心の声?そんなファンタジー小説みたいなことある?淡々とした横顔と、さっきから聞こえてくる言葉の内容にはあまりにもギャップが生じすぎている。やっぱり本当に、頭がおかしくなってしまったのかもしれない。


「ざ、財前くん」
「なんすか」
「えっと......ごめん、呼んでみただけ」


頭が混乱して、思わず財前くんの名前を呼んでしまったけれど、その後の言葉が続けられなかった。だって、あなたの心の声が聞こえてるみたいなんです、なんて言えるか?言えるわけない。絶対に頭がおかしいと思われてしまう。しどろもどろになりながらも、まるで面倒くさい彼女のような言い訳がましい言葉を並べたら、財前くんが思いっきり顔を顰めて「はあ?なんやそれ、うざいすわ」とさっきと同じ温度で言い放った。......うん、やっぱりただの私の気のせいなんだ。そうに違いない、と心の中で頷こうとしたけれど、


「呼んでみただけ、て。可愛すぎやろ。そんなんなんぼでも呼んでほしいわ」


やっぱり幻聴でも気のせいでもなかったらしい。その証拠に、ぷいと再びそっぽを向いてしまった財前くんの耳の端っこが、ほんのりと赤くなっていることに気が付いてしまったのだ。そして、ほんのわずかに視線をうろうろと所在なく動かしていることにも。


「あかん、またきつい言い方した。せっかく当番一緒になれたんやから、ちょっとくらい近づけへんかなって思ってんのに。来週遅れるとかほんまついてないわ。でも先輩は俺のこと生意気な後輩くらいにしか思ってへんやろし、興味もないやろなきっと」


もし、万が一。仮にこれが本当に財前くんの心の声だったら?本当は、ちょっとでもいいから仲良くなりたいと思ってくれてるとしたら?本当にそうなのかどうかは分からない。分からないけれど、仮にそうだと思ってみたら、あんなに怖くて関わりたくないと思っていた財前くんがなんだか急に可愛く見えてきて、思わずふと笑ってしまった。私が口元を綻ばせていることに財前くんは気がついていないらしい。なにやらいっそう難しい顔をしながら、引き続き判子と睨めっこしている。そんな横顔も、やっぱり可愛いような気がして。



「......財前くん」
「今度はなんすか」
「これからよろしくね、図書当番」



そう言ってにっこり笑ってみせたら、一瞬だけ目を見開いた財前くんが、少しの沈黙のあとで「...こちらこそ、よろしくお願いします」とやけに丁寧に言った。そのまま財前くんをじっと見つめていたら、再びさっと視線をそらされてしまった。さっきと同じ反応だとわかった私が思わず笑みをこぼすのを見て、怪訝な顔をしている財前くんがほんの一瞬だけ楽しそうに見えたのも、気のせいなんかじゃないと思いたい。このまま財前くんと仲良くなったら、さっき聞こえてきた別の言葉を、いつか直接口に出して伝えてくれる日がくるのかな。きたらいいなと、思いながら視線を手元に戻す。持ち直したスタンプは、さっきよりもずいぶん軽くなったように感じた。








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