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いちばんにあいされたい






半分ほど開けた窓から、涼しい風が静かに通り抜けている何でもないような午後。新品のオーディオコンポを横目に見ながら、いつだったか前にもこんな光景を見たことがあるような気がするな、と思っていた。確か今から10年ほど昔のことだったような気がする。その辺りの記憶はわりとぼんやりしていて曖昧だけれど、ぱりっとした制服に毎日袖を通していたことや、膝丈のスカートが揺れるあの感触はいまだにはっきり思い出せるのに。


正直私は、音楽には人並み程度の興味はあるけれど、音楽機器のことは昔からこれっぽっちもわからなかった。だからどこどこの新しい音楽機器の音質が綺麗だとか、どこどこのヘッドフォンの低音がよく響くとか言われても、そんなことに全く興味もなければ、実際聴き比べをしたところで違いなんてよく分からないと思う。実際この部屋の片隅に存在感を放ちながら堂々と居座っているオーディオだって、どんなにいい性能なのかはよく分からないけれど、私は当たり前のようにその存在を許している。ーーさて、一体どこでこの光景を見たんだっけ。




先輩って、どんな曲聞くんすか。ふいに思い出したのは、いつも無愛想な後輩があの日放課後の図書室で、初めて私に投げかけてきた質問だった。「うーん、普通だよ。流行りのやつとか」と曖昧すぎる返答をした私に、彼は「ふーん」とちょっと鼻で笑うように言った。「財前はいつも何聴いてるの?」彼がいつも聞いているのは、たまにイヤホンから漏れ出る音から推測するに洋楽のようだった。洋楽はたまに聞くけど全然詳しいわけじゃないし、それよりも街中やテレビで流れてくるJ-POPのほうが耳に馴染むし、何より英語の歌詞が聞き取れないし訳もよくわからない。「洋楽やけど、興味あります?」そう言って差し出された片方のイヤホンを受け取って耳に入れてみたけれど、やっぱりよく分からなかった。


特に上手な感想も思いつかないまま「そういえば、いつもヘッドホンなのに珍しいよね」と言う私に「ああ、ちょうど修理出してて」と後輩は言った。生まれてこの方ヘッドホンを修理になど出したことのない私は、素直に「へえ、高そうだもんね」なんて間抜けな感想を言ったついでに「そういえばこの間、私もイヤホン壊れたんだよね。最近すぐ壊れるんだ」と呟くと「選び方が悪いんちゃいます?」いつも通りのキレのいい毒舌が返ってきた。そうしてなんやかんやして、この辺りはあまり覚えてないけれど、彼に任せっきりで放課後一緒に選びに行ったイヤホンは、今まで使ってきたどのイヤホンよりも長持ちして、私にもはっきりと分かるくらいに音質がよかった。


そうしてまたしばらく時が過ぎて、どうしてそんな話になったのか忘れたけれど、財前の部屋の最新のオーディオがとても性能がいいとかなんとかで、部屋に訪れることになった。「どうすか?」ずっとリモコンを操作していた手を止めて、私の隣に移動して尋ねた彼に「うーん。よくわかんないけど、確かに音質はいいような気がするような...」なんて、またもやひどくぼんやりとした答えを返したら、財前はため息を落としてからしかめっ面をして「これでよう分からんとか、やっぱ鈍感すぎるんちゃいます?」またいつもの毒舌を繰り出すと同時に、身を乗り出してそのまま私にキスした。え、このタイミングでキスするの?と思ったのも束の間で「...ほら。やっぱ鈍感や」私に口を開く隙も与えず、もう一度重ねられた唇が思いの外熱かったのと、伏せたまつげがちょっとだけ震えていたので、そんなことも全てどうでもよくなってしまったんだっけ。




ーーそうだ。あの日の財前の部屋にあったオーディオコンポにひどく似ているんだ。部屋に上がってすぐ、お茶を用意してくると言ってひとりとり残された部屋で待っていたあのときも、窓から流れてくる風が涼しくて、こうして部屋の中をぼんやりとなんとなく眺めていた。10年も経てば音楽機器だってそれなりに進化するだろうと思うけれど、その大きさや見た目は大して変わっていないように見える。きっと私には分からない何かが素晴らしく変わったりしているんだろうな、などとどうでもよい思考を持て余していたら、それを遮るかのように、ガチャリ、と玄関のほうで鍵を開ける音がした。



「ただいま」
「おかえり。早かったね」
「思ってたより早よう終わったわ」


リビングの扉を開けて入ってきた彼は、帰りに寄ったらしいコンビニの袋をテーブルに置きジャケットを脱いだ。その首にはワイヤレスのイヤホンが引っかけられている。


「ずっと家におったん?」 
「うん。ちょっと調べものしてた」
「そうなんや。今外めっちゃ日差し強いで」
「え、そうなの?風は涼しいのに」
「家ん中にいるくらいがちょうどええんちゃう」


そうして今日も、なんてことのないような会話を繰り返す。私はいまだに音楽機器の性能はよくわからないし、彼がよく流している洋楽の歌詞だっていまだにこれっぽっちも聞き取れない。でも、コンポから流れてくるのがたまに私の好きなカフェ風のBGMだったり、テレビでよく聴く流行りの音楽だったりすることや、彼のお気に入りの外国人グループの名前をいくつか覚えたこと、鼻歌程度なら口ずさめるようになったこと、あれ以来ずっと、イヤホンを選ぶ時には彼と一緒にお店に行くこととか。そんなひとつひとつのことが積み上がるように少しずつ変わっていくことが、心地良いし嬉しいということを、彼と一緒に暮らすようになってここ最近さらに強く実感している。


「あ、そういえば。このオーディオ、ずっと前に持ってたやつに似てない?」
「ああ、メーカー同じやから」
「でもこれ、最新なんでしょ?」
「まあ、そうやけど。...どうしたん。興味ないやろ、こーいうの」
「そうだけど、ちょっとあの頃のこと思い出してた」
「あの頃?」
「ヘッドホン修理に出してて、イヤホン片方貸してくれたときのこととか」
「ああ、あの時はーー...」
「あの時は?なに?」
「嘘ついた」
「え?」
「ヘッドホンじゃ無理やけど、イヤホンやったら貸せるやろ。片っぽ」


10年越しにしれっと暴露された思わぬ秘密に、思わず彼のほうを凝視してしまったけれど、まるで何事もなかったかのようにコンビニ袋の中身を整理している。彼はこうしていつもいきなり爆弾を落としては、簡単に私の心をかっさらっていく。10年経った今でも。それを伝えたら彼はきっとまたわかりづらく喜ぶんだろうけど、素直に伝えてしまうのはなんだか惜しいから、それはもう少しだけ私の秘密にしておきたい。



「ねえ光」
「ん?」
「さっき観葉植物調べてたの。大きいやつ。買ってもいい?」


ええけど、と光が言ってから、コンビニの袋から取り出したプリンふたつを片手に私の隣に腰かける。引っ越しが決まる前から一緒に探していた、シックな色合いで座り心地のよい二人がけの、光が革張りがいいといって譲らなかったお気に入りのソファーだ。


「わざわざ許可とらんでも、もう何でも買うたらええやん」
「それもそうだね。光だって引っ越しと同時に新しいオーディオ買ったもんね」
「まあ、生活必需品やから」


なぜだか、どこか得意気なその言葉に、ふふ、と笑って差し出されたプリンを受け取ったら、身を乗り出した光が私の唇にキスをした。あのときみたい、と思って思わず笑ったら光が、なに笑っとるん、とまるでどこかのヤクザみたいな台詞を口にしたけれど、その口ぶりや表情はとても穏やかで優しかった。初めてキスをしたあの時から、生意気な後輩だったはずの光はいつだってずっと私に優しい。


「ねえ光」
「今度はなに?」
「キスしてもいい?いっぱい」


だからそういうんは、いちいち許可とらんでええって。そう言って再び唇を重ねてくる光は、私がどうしていつも疑問系で投げ掛けるのかをきっと知らない。いいよ、と言うときに彼がいつも必ず優しく目を細める瞬間が見たくて。光の背中に腕を回しながら、昼下がりの午後にぴったりの穏やかな音楽が、私たちを包み込むように優しく流れているのを聞いていた。







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