小説 | ナノ



トルバドゥール一人闊歩






「なんだい?この手」
「......え?」
「タダで返すなんて言ってないよね?」


いつもの私なら、そして普通の女の子なら顔を真っ赤に染めてしまいそうな王子様スマイルに、顔が一気に青ざめていく感覚しかなかった。そんな私の様子を見て目の前の男の子、幸村くんはまた、にっこりとあまりにも人当たりの良い綺麗な笑顔を向けるのだった。




「さあ、何をしてもらおうかな」









事の発端は、あまりにも迂闊な自分の行動だったということは十分に分かっている。分かっているけれど、どうしても解せない。どうしてこうなった...と、どこかのロボット漫画の司令官のようなポーズをとりたくなってしまう私の気持ちをどうか理解してほしい。


その日、私はある一大決心を胸に放課後の下駄箱の前で右往左往していた。人気がなくなるまで不自然なくらいあっちにウロウロこっちにウロウロ、知り合いに出会っては何やってるの?と聞かれ、笑って誤魔化し、また明日ねー!と明るく声を上げ、側から見たらまるで不審者極まりない行動だったと思うけれど、ちゃんとした理由があるから許してほしい。私はどうしても今日、彼の下駄箱に手紙を入れなくてはならないのだ。下校時間のピークも過ぎて完全に人影がなくなったころ、チャンスはようやく訪れた。今しかない。そう決心して下駄箱の蓋を上げて、握りしめていた手紙を入れようとしたその時だった。


「何してるの?」
「ひっ!」


完全に人気はなくなったと思ったはずだったのに、ふいに背後から声を掛けられて思わず声にならない叫びが漏れた。その衝撃で私の手から手紙がはらり、と滑り落ち、あろうことか声をかけてきた男の子の足元に落ちた。慌てて拾おうと手を伸ばしたけれど、私よりも先にその男の子が手紙を拾ってしまった。そのまま彼がまじまじと封筒の文字を眺めているのを見た瞬間、全身から一気に血の気が引く。やばい、終わった。


「柳くんへ。へえ、ラブレター?今時古風だね」


そう言って微笑んだ男の子は、幸村精市くんだった。完全に終わった。







こともあろうに、拾ったのが幸村くんだというのが本当に私のいままでの人生最大の不運だったと思う。その後幸村くんは、返してくださいの一言すら発せずに顔を真っ青にして佇む私を見て、拾ったのが俺でよかったね。と言って笑った。だからてっきりその言葉に、見なかったことにしてあげるとか、同じテニス部の仲間である柳くんには黙っておいてあげるとか、そういうニュアンスを感じた私は、ほっとため息をついて曖昧に笑った。一度も話したことはないけれど、まるで幸村くんが天使のように思えた。深窓のご令嬢ならぬ深窓の王子様、と女の子たちの間でこっそり噂されるように、やっぱり優しい人なんだ、と思って、あの、拾ってくれてありがとう。と言いながら手紙を返してもらおうと手を差し出したけれど、返ってきたのは予想していたセリフとはあまりにもかけ離れた言葉だった。


「何だい?この手」
「え?」
「ただで返すなんて言ってないよね?」


そして冒頭のセリフである。思わず幸村くんの顔を凝視して、顔を引きつらせてしまった。そんな私を見て、何が面白いのか幸村くんはくつくつと声を殺しながらあまりにも綺麗に笑っている。


「...あの、?」
「俺が拾ったんだから、これは今俺のものだと思うんだけど」
「え、ええ?そんな、」
「返して貰わないと困る?だったらそれ相応の誠意を見せるのが常識じゃない?」


誠意とは?まるで極道映画か何かに出てきそうな浮世離れしたシチュエーションに頭がついていかない。誰が深窓の王子様だって?...悪魔だ。いや、大魔王様だ。黒い羽と頭から生えたツノが私にははっきり見える。そんな風貌で、俺が拾ったんだから俺のもの、というジャイアニズムにも似た理論を繰り出してきた幸村くんだが、今時ジャイアンでももう少し思いやりを持ってのび太に接すると思う。あいにく幸村くんはジャイアンでなければ私はのび太でもないので、映画のように感動的な結末は予想できそうになかった。ジャイアンのほうがまだ、いやだいぶマシだったかもしれない。


「...いっ、いくら払えばいいんですか?」
「そんなことするほどお金に困ってないよ」
「じゃあどうすれば...」
「そうだな。早くしないとうっかり柳に言っちゃうかも」
「そっ!それだけは!わっ、わかったから、何でもしますから!」
「なんでも?」


うっかりこぼれ落ちた言葉を後悔したけれど、なかったことにはできそうになかった。まるで私からその言葉が出るのを待っていたみたいに、しっかりと私の言葉を拾った幸村くんが、なんでも、ねえ。とゆっくり呟いたのが、今度こそ本当にこの世の終わりみたいに思えた。



「さあ、何をしてもらおうかな」



そう言って笑った幸村くんの笑顔は王子様の称号に相応しくあまりにも綺麗だ。なんて、絶望が止まらない思考のなかでぼんやりと思ってしまった。










「なまえ、幸村くんが呼んでるよ」


その日から私は、事あるごとに幸村くんに呼び出され用事を言いつけられるようになった。これはいわゆる下僕というやつなのでは、と私は思っていたけれど、友人たちからしてみたら「なまえ、いつの間に幸村くんと仲良くなったの?いいなー!うらやましい!」どうやら私と幸村くんが仲睦まじく見えているらしい。冗談じゃない。みんな揃って一度眼科に行った方がいい。仲良しどころかただ一方的に弱みを握られてこき使われているだけです、などとは口が裂けても言えるはずがなくて、ただ曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。そんな私を幸村くんは今日も今日とて、まるで従順な犬でも呼びつけるかのごとく呼び出す。


「遅いよ名字。早くしないと昼休みが終わるじゃないか」
「いや、これでも全速力で来たんですけど...」


まあいいけど、と幸村くんはお弁当に視線を戻してしまった。よく晴れた屋上はぽかぽかと暖かくて、絶好のお弁当日和だ...じゃなくて。どうして私は幸村くんと2人、まるでピクニックのようなランチタイムを繰り広げているのだろうか。まったくもって謎である。幸村くんはあれからほぼ毎日私を昼休みに屋上に呼び出すようになり、なぜかそのまま一緒に弁当を食べている。


「名字、それ美味しそうだね。一口くれない?」
「え?あ、はい、どうぞ...」
「うん。美味いね。今度俺にも作ってきてよ」


いつもみたいににっこり綺麗に笑って言う幸村くんのご要望を、私がお断りするなどという選択肢がないことを、幸村くんはよくわかっている。案の定、黙って頷いた私を見て満足気に口の端を上げた幸村くんに、言い返す勇気なんてやっぱりあるはずがなかった。


「名字は、柳のどんなところが好きなの?」
「えっ!?」
「いいだろ、もう今さらだし。教えてよ」


友人として気になるんだよ。と言ってまた一口、お弁当を口に運ぶ。そんな無意味そうな質問に幸村くんが本当に興味があるのかどうかは定かではなかったけれど、ここで適当な返答をしたところできっと彼にはお見通しだろう。ごくりと唾を飲んだ私を横目で見て、答えを促すように幸村くんがにっこり笑った。


「もしかして答えられないの?まさかその程度の気持ちで柳に告白しようとしたんじゃないだろうね」
「そっ、そんなこと!えっと...し、所作がきれいなところとか、」
「他には?」
「頭がよくて、優しくて丁寧なところとか、...」
「あとは?」
「テニスをしてる姿が、その、きれいだしかっこいいなって...」


本当はまだたくさんあるのに、うまく言葉にできないままうつむいた。頬が熱い。そんな私を見て「そうか、わかるよ」意外にも幸村くんが笑ったので、少しだけ面食らってしまった。そんなふわふわした理由で柳のことが好きとかおこがましいよ、とか、てっきりそういう言葉で殴られるのではないかと身構えていた私を見て、それさえも見透かしたように幸村くんは笑う。幸村くんは柳くんのチームメイトであり友人だから、大切な友人に対して抱かれる感情としてはぎりぎり合格点をもらえたのかもしれない。幸村くんの合格基準のポイントは、全くもってわからないけれど。


「あの、幸村くん」
「ん?」
「その、いつになったら返してもらえるの?手紙...」


ああ、と幸村くんがまるですっかり忘れていたかのように言う。「俺が満足したらかな」またなんでもないように笑って言うから思わず口元が引きつった。それってもしかして一生返してもらえないってことじゃ、と思った私の考えが手に取るように分かったのか、幸村くんは珍しく少し声を上げて笑った。


「わ、笑い事じゃないよ」
「だって、返したらあの手紙、今度こそ柳に渡すつもりだろう?」
「それは...」


それは確かに、渡したいと思っていたしあの日渡すつもりだった。でも、あれから冷静になって考えてみたら、渡したところでどうせ恋が成就する見込みなんかなかったんだから、渡しても渡さなくても結果は変わらない気がしてなんだか落ち込んでしまう。だったら今更幸村くんに手紙を返してもらわなくても、と思わなくもないが、今となってはもうそれとこれとは話が別で、とりあえず未分不相応の恋を貫こうとしてしまった動かぬ証拠を抹消してしまいたかった。


「...渡さない、って言ったら返してくれるの?」
「え?」
「渡したところで、どうせ両思いになんてなれるはずないし」


自分で言っておいてなんだか悲しくなってきて、思わず視線を落としてしまった。だって、相手はあの柳くんだ。きっと彼はもっと頭が良くて物静かでおしとやかで、女の子を絵に描いたような...とにかく、私とは正反対な女の子を好きになると思う。そんなこと、好きになってしまった時からとっくに分かってた。だから最初から期待してたわけじゃない。あの日幸村くんに手紙を拾われてしまったのも、もしかしたら私が柳くんに思いを告げる日は一生こないとか、きっと最初からそういう運命だったのかもしれない。


「だったらどうして手紙なんて書いたの?」
「......」
「伝えたかったんじゃないの?好きだって」


そうかもしれない。そうだと思うけど。でもこうして幸村くんに呼び出されるようになってからは、もう何だかよくわからなくなってしまった。黙って俯いたままの私を見た幸村くんが「まあ、俺が言えたことじゃないけどね」としれっと言ったので思わず顔を上げてしまった。それは間違いなくそうだ。仮にも人が告白しようとしていた手紙を奪い取って脅している張本人が言うセリフじゃない。そう思ったのが顔に出ていたようで、幸村くんはまた声を上げて笑う。


「本当にわかりやすいよね、名字って」
「そ、そんなことないと思うけど!」
「そんなことある。わかりやすくて面白いよ」


見てて飽きないし。そう言って笑っている幸村くんはやっぱり私をどこまでも従順なペットか目新しいオモチャとしか思っていないような気がして、また思わずしかめ面になってしまう。でも、本当に悔しいけれど、そんな私を見て笑っている幸村くんを見るのは、嫌いじゃないな、なんて思ってしまっている自分がいることに、このときはまだ気がつかなかった。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -