小説 | ナノ




シュガースパイス・パレイド


※社会人





ピンポーン、ピポピポピポピポピポーン。



土曜日の平和な昼下がり。朝は贅沢に寝坊してゆっくり過ごした。今日は1日予定もないし、久しぶりに部屋の掃除でもしようかとソファに埋めた身体を起こして伸びをしたとき、玄関のチャイムが穏やかな午後の空気を切り裂くかのごとく鳴り響いて文字通りビクッと身体を揺らして玄関の方を見る。こんなに何度もチャイムを鳴らすような知り合いいたっけ?訪問者の見当もつかないまま、慌てて玄関まで走った。ドアスコープからその常識はずれともいえる人物を確認しようとしたけれど、真っ暗で何も見えなかった。念のためしっかりチェーンを掛けてから鍵をあけるまで、チャイムはうるさく鳴らされていた。


「はい、どちらさ、」
「なまえ!」


どちらさまですか。という言葉は、僅かに開けたドアの隙間にガッと手を入れ思いっきりドアをこじ開けられた衝撃により遮られてしまった。ガコン!とこれまた大きな音がして、チェーンがそのままどこかに飛んでいってしまうんじゃないかというほどの勢いでドアがこじあけられようとしている。チャイムをけたたましく鳴らしていた人物は、見覚えのない背の高い男の人のようだった。え、なに、怖いんですけど!ていうか誰?チェーンをかけていて良かったと思う反面、壊れたら間違いなく弁償しなくてはならないと思ったら一気に血の気が引いた。


「なんやこれ!なあ開けてやなまえー!」
「ちょっ、あの、やめて!壊れるから!」


ていうかなんで私の名前知ってるの?慌ててドアノブをひっつかんでドアを閉めようとするけれど、こじ開けようとする力は一向に緩もうとはしなかった。


「なんで開けてくれへんの!?なまえのアホ!」
「だっ、だから、あなた誰!?」
「ワイのこと忘れてしもたん!?金太郎!遠山金太郎や!」


遠山金太郎。その名前には間違いなく聞き覚えがあった。というよりこんなインパクトのある名前、一度聞いたら忘れるはずがない。いや、でも。さっきチラリと見えた人影は、思い当たる人物とはあまりにも一致しなかった。


「き、金ちゃん…?」
「やっと思い出したんか!?ええから開けてや!」


ドアをこじ開けようとする力は弱まったものの、今度はドンドンドンドンとドアをものすごい勢いで叩かれている。土曜日とはいえあまりにも近所迷惑だ。引っ越してきてもう随分経つけれど、ご近所さんたちとは良好な関係を築いてきたというのに!遠山金太郎、と名乗る人物はさっきからずっと近所中に響き渡りそうな大声を張り上げているし、いい加減そろそろクレームがきそうな勢いである。青ざめた私が慌ててチェーンを外すと、ドアが勢いよく開かれた。その人物を確認しようと視線をあげたのに、ドアを開けた勢いそのままにガバリと抱きつかれて思わず玄関先に倒れ込んでしまい、ついでに思いっきりお尻を床に打ち付けた。


「なまえー!やっと会えた!」


痛みに顔を歪める私などお構い無しに、彼は倒れこんだ私に覆いかぶさってそのまままるで大型犬よろしくぐりぐりと頭を私の肩口に押し付けてくる。未だに状況が飲み込めない。あとものすごくお尻が痛い。そしてやっぱり目の前の彼が、あの遠山金太郎だとはとても思えなかった。


「待って、本当に?ほんとに金ちゃん?」
「せやで!久しぶりやな、なまえ!」


肩を掴んでなんとかその大きな身体を引き剥がし、改めて視線を合わせても、にわかには信じられなかった。にかっと笑うその笑顔に、遠い昔にあのコートで縦横無尽に跳ね回っていたころの彼の無邪気な笑顔が重なった。











「ごめん。麦茶しかないんだけど、麦茶でいい?」
「何でもええで!おおきに!」


数年ぶりの再会だというのに玄関先で追い返すわけにもいかず、まあ、せっかく来てくれたんだからと部屋に上げローテーブルに麦茶を置いた。あいにく家には麦茶かコーヒーしかなくて、あの金ちゃんがコーヒーを飲むとは思えなくて必然的に麦茶を出すしかなかった。ついでにお菓子などもない。ソファにちょこんと座った金ちゃんはキョロキョロと物珍しそうに部屋を見渡している。いつも使っている2人掛けのソファがなんだか小さく見えた。午前中にちゃんと掃除しておけばよかったな、と少し後悔しないでもないけれど、そんなことよりも未だに目の前の彼が遠山金太郎だとは信じられなくて、まじまじと正面から彼を眺めてしまった。


「本当に久しぶりだね。どうして私の住所分かったの?」
「小春に教えてもろたんや。なまえ、土曜日休みやからって」


小春ちゃん。そういえば先日「そのうちそっちにでっかい荷物が届くと思うわ!受け取りヨロシク〜」なんてハートマークつきでメッセージが来ていたような気がする。でっかい荷物ってもしかしてこのこと?と思わずため息をつきそうになってしまう。いや、それにしてもあまりにも唐突すぎる。


「金ちゃん、来てくれたのは嬉しいんだけど、突然すぎてびっくりしたよ」
「やって、なまえの連絡先知らへんもん」


なんでみんな知っとるのにワイは知らへんの?ワイにも教えてや!拗ねたように頬を膨らます仕草はまるであの時のままなのに、あまりにも大人っぽくなったその姿で訴えかけるように上目遣いをされて図らずもどきりと心臓が鳴ってしまう。......いやいや、待って。相手はあの金ちゃんだよ。何をドキドキしているんだ、私は。


「そっか。じゃあ教えるよ、連絡先追加できる?」
「んー...ようわからん、なまえやってや」


ずい、と難しい顔をして私に携帯を差し出すので、私は腰を上げ金ちゃんの横に移動して、そのままソファの隣に腰掛けた。携帯を受け取り操作して連絡先を新規登録している私の様子を、興味深そうに金ちゃんが覗き込んでいる。


「はい。これで登録できたから、メッセージ送っておくね」
「おおきに!」


これでいつでもなまえに連絡できるな!ぱあっと嬉しそうに笑って携帯を受け取る金ちゃんを見ていたら、やっぱりあの頃の金ちゃんを思い出してしまって思わず顔が綻んでしまった。あの頃の金ちゃんは、テニス部のマネージャーだった私にすごく懐いてくれていて、まるで本当の弟みたいに可愛かった。私が卒業してしまって、しばらくはたびたび四天宝寺に顔を出していたけれど、大学進学と共に上京してしまってからは訪れることもなくなっていた。もちろん、金ちゃんともそれ以来会っていなかった。


「そういえば、金ちゃんはどうして私に会いに来てくれたの?」


だから純粋に疑問だった。金ちゃんももうとっくに四天宝寺を卒業して、たまに昔のチームメイト達から近況を聞くことはあったけれど、海外に行っただの東京に戻っただのあちこちを転々としていたような印象がある。かつてのチームメイトたちともあまり会っている様子は伺えなかったのに。


「なんでって。約束したやろ?」
「約束?」


金ちゃんがきょとんとしたような表情で私を見る。その約束とやらに全く心当たりがなくて首を傾げたら、そんな私の様子が気に入らなかったらしい金ちゃんがむっと眉を少しだけ寄せた。


「ワイが大人になったらお嫁さんになってくれるって」


せやから迎えに来た。大人になったから。早口でそう言った金ちゃんはずいっと私の方に身体を寄せた。何それ、そんな約束した覚えない、と私に言わせる隙も与えず、思わず身を引いた私を追いかけて、そのまま覆いかぶさるようにソファーに押し倒した。さっきの玄関先とは違って、随分ゆっくりで丁寧な仕草にまた心臓がどきりと跳ねたのを自覚すると同時に、私を見下ろす金ちゃんがあまりにも真剣な瞳をしていて、心臓がそのまま大きく鳴り続ける。


「まさか忘れたん?」
「わ、忘れたっていうか...」
「こんなに、めっちゃ我慢して待ったのに?」


金ちゃんの悲しげな瞳が私の罪悪感をちくりと刺す。その瞬間、もう遠い記憶として忘れかけていたある日の部室での出来事がフラッシュバックする。それはいつもの部活終わり、部室でみんなで雑談していた時の出来事だった。





「なあ、タコ焼き食って帰ろうや!」
「ええなあ、ほなみんな早よ帰り仕度しよ」
「えー!先に行ってたらあかんの!?めっちゃハラ減ったわあ」
「ダメだよ金ちゃん、みんなが帰る準備できたらね」
「なんやーみんな遅すぎるわ!待てへん!ええやん、一緒に先行こ!なまえ!」
「しゃあないなあ。名字、悪いけど金ちゃん連れて先行っててや。すぐ追いかけるわ」
「白石がそう言うなら...じゃあ行こっか、金ちゃん」
「ホンマに金太郎さんはなまえにベッタリやなあ」
「白石がオトンで名字がオカンみたいやな」
「はは、言えとるわ」


「...なあなまえ」
「どしたの、金ちゃん。さっきまであんなに元気だったのに」
「なまえは白石のこと好きなん?白石とケッコンするん?」
「え!?なんでそうなるの?」
「やってオトンとオカンって、ケッコンするってことやろ?」
「あれはみんなからかって言ってるだけだよ。大体、中学生なんだからまだ結婚なんてできないの」
「ほな、白石とはケッコンせえへん?好きやない?」
「あはは、しないよ。白石のことは友達として好きだけど、結婚するとは好きの意味が違うの」
「じゃあワイは?」
「え?」
「ワイのことは?ワイとはケッコンできる?」
「そりゃあ、金ちゃんのことももちろん好きだよ。でも結婚はまだ早いかなあ」
「なら、ワイが中学生やのうて...もっと大人になったらケッコンしてくれる?」
「うーん、そうだなあ。大人になって、金ちゃんがいい男になったらね。なーんて」




それは本当にいつもの会話のほんの一部で、現実味のない質問を純粋に尋ねてくる金ちゃんに対しての何気ない返答だった。それを、まさかこんな数年間にわたって彼は覚えていて、そしてそれをいつか現実にしようと思っていたなんて一体誰が予想できただろう。そして現に私は「大人」になった彼にこうして押し倒されている。彼はあの時より随分背が伸びて、体格もがっちりしていて、顔つきも随分「男の人」になった。掴まれてソファに押し付けられている手首は力を入れてもびくともしないし、身体をよじっても力では絶対に彼には勝てないということを思い知らされている。それでも、私を見つめる純粋すぎる瞳があの頃と全く変わっていないことに気づいて、もしかして金ちゃんはあの頃から私のことがそういう意味で好きだったのではないか、とあまりにもありえないことを思ってしまった。


「こんなに小さかったっけ、なまえ」
「えっ」
「手首も、ちょっと力入れたら折れそうや」


あの頃はあんなに遠く感じてたのにな、と金ちゃんは笑う。その笑顔はさっきまで見ていたような、昔の無邪気な笑顔とは違って、まるで本当に私の知らない男の人みたいだった。ドクン、と心臓が波打つ。


「...金ちゃん」
「うん?」
「こんなの誰に習ったの?」
「千歳」


ああ...と私は思わずため息をつきたくなると同時に、しばらく顔も見ていなければ今どこにいるかもわからない自由人を一発殴ってやりたくなった。小春ちゃんといい、いつの間に連絡を取りあっていたというんだ。


「オンナノコはこうされたら、大抵大人しくなるって」
「なんてことを吹き込んでるんだ...まさか色んな女の子にこんなことしてるんじゃないよね?」
「するわけないやんか!なまえにしかせえへん」


それに、本命の子にしかしたらあかんって言われた。金ちゃんはふと真面目な顔をしてそう言うと私に顔を近づける。真っ直ぐな瞳の中に、困惑しているにしてはあまりに情けない表情をしている私が映っている。そんな私の顔を見て金ちゃんは満足そうにちょっとだけ目を細めて笑う。


「なあなまえ、ワイとケッコンして」


そのために会いに来たんやから。イエスもノーも言わせないまま、ゆっくり金ちゃんはさらに私との距離を近づける。ふわり、と鼻を掠めたにおいがあの頃と打って変わって色気を孕んでいて、さっきからずっと早くなっている鼓動にさらに拍車をかけていく。さっきまで私の手首を掴んでいた、あの頃よりもずいぶん大きくなった熱い手のひらをそっと私の胸に押しあてて、なまえ、めっちゃドキドキしとる。嬉しそうに笑った金ちゃんの言葉が全ての答えだった。








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -