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16



「主ー!」


ある日の午後、縁側を歩いていた俺は自身を呼ぶ声に振り返った。声の主は加州で、その手には先日万屋で買ってやったマニキュアが握られていた。俺を呼んだのは此のマニキュアを塗って貰う為だと加州は言う。


「自分で塗った方が綺麗に出来るんじゃないか?」

「俺は主に塗って欲しいの!」

「はあ…」


ぷりぷりと怒る加州に促されて縁側の端に二人して腰を下ろした。
マニキュアなんて一度も使用したことが無い為、当然塗るのは初めてだ。其れも他人の爪になど。


「下手でも怒るなよ?」

「えー…」

「其処はうんって言えよ」


塗ってやらないぞ、と脅せば直ぐに謝られる。調子が善いななんて思いながら、俺は差し出された加州の右手の親指からマニキュアを塗っていくことにした。右手が塗り終わった処で次に左手が差し出される。


「なんだ、全然上手じゃん」


塗り終わった右手を空に掲げながら加州は言う。


「不器用という訳でもねェからな」

「ふーん…彼女とかにこういう事ってしないの?」

「……残念ながら一度も彼女なんて居たことねェよ」

「え、意外!主って顔は良いのに、顔は」

「顔を強調すんな。他も善いわ」


そんな事をだらだらと話している内に左手の爪も全て塗り終わっていた。加州がマニキュアの塗られた両手を掲げて嬉しそうに笑うものだから、此方も自然と笑みが零れた。偶に塗ってやるのも悪くないかもしれない。


「楽しそうだね」

「燭台切」

「見て見てこれ!主に塗って貰ったんだー」

「わあ、似合ってるよ加州君」


ジャージ姿で現れたのは燭台切だった。両手には畑で採れたのであろう人参や馬鈴薯ジャガイモが抱えられていた。そう言えば燭台切には鶴丸と共に畑当番を任せていた。
俺が此の本丸に来て三日目に荒廃した畑を耕してからというもの、畑では様々な作物が絶え間なく育てられている。通常作物が食べられる迄に育つのは何カ月も掛かるが、本丸という此の空間では種を蒔いて一日もすれば収穫できる程の大きさにまで育つ仕組みになっているのだ。何て便利な。


「処で鶴丸は一緒じゃないのか?彼奴も畑当番だっただろう?」

「あー…鶴さんは汚れたついでに落とし穴でも掘って来るってどっか行っちゃった…」

「誰を落とす気だ彼奴…」

「ていうか元気だよね、あのじーさん」


元々俺が此処に来た時から鶴丸は悉く俺を驚かせようとしてきたが、最近大広間に置いた受像機テレビから得た知識により益々驚かす為の方法が増えてきている。因みに此処に居る加州は恋愛もののドラマ、燭台切は料理番組を好んで佳く見ていた。


「あ、聞いてよ燭台切。主って今まで彼女いたことないんだって」

「そうなの?主顔は良いのにね」

「だから顔以外も善い処あるだろ、なあ」

「「え?」」

「え?」


二人が驚愕の表情で此方を見てくるから思わず固まった。
俺はそんなに善い処が無いのか。


「…で、作らないのかい?彼女」


燭台切が咳払いをして一つ前の話題に会話を戻した。何だか誤魔化された様な気がして燭台切を軽く睨むが目を逸らされてしまった。加州は俺の答えを待っているのか期待に満ちた目で俺を見てくる。
何でお前等人の恋愛話に興味津々なんだよ。女子か。


「当分は作らねェよ。仕事に集中したいしな」

「ああ、彼女って仕事と私どっちが大事なの!?って聞いてくるんだもんね?」

「お前はドラマの見過ぎだ。だがそうだなァ…俺の友人が善く女関係で揉め事を起こしていたもんだから彼女という存在に余り善い印象イメージがないのは確かだ」

「その友人って前に食材を届けてくれた人?」

「いや、彼奴は至って常識人だ。そいつとは別の奴…そうだな、そいつを一言で言うと自殺嗜好マニアって処か」

「どういうことなの」


燭台切がその人大丈夫?と聞いてくるが、彼奴は何度自殺を試そうが二十二年健康に生きてきた男だ。今更自殺如きでは死なないだろう。……いや、今何か日本語が可笑しかったな?


「ねえねえ主、」

「ん、何だ?」


加州が俺の服の裾をくいっと引っ張る。其の仕草はあざといな。不覚にも可愛いと思ってしまった。


「主って此処に来る前は何の仕事してたの?」

「あ、それ僕も知りたいな」

「ええ…そんな大したモンじゃねェよ」

「えー、でも政府の役人と友達なんでしょ?だったら主も政府の仕事してたとか?」

「誰があんな面倒な処で働くか」


自分が思っていたよりも酷い顔をしていたらしい。燭台切が、今までに見たことがないくらい眉間に皺が寄ってるよ、と俺の顔を突いた。
俺は安吾の事は今でも友人だと思っているが、其れで政府が好きかと問われれば答えは否だ。其れと此れとは全くの別問題である。あんな堅苦しい処で働くなんぞ死んでも御免だ。


「彼奴と友人っつー事実と政府は一切関係ねェよ。…寧ろ俺達は立場だけで考えると正反対だしな」

「じゃあ結局何の仕事してたのさ」

「お前等に言っても判らねェだろうよ」

「でも知りたいの!」

「……判ったよ。俺はポートマフィアだ、ポートマフィア」

「ぽーと…」

「まふぃあ…?それってどんなことをするんだい?」

「……まあ、上からの命令でなんやかんやする仕事、とだけ言っておこう」

「ほとんどの仕事がそうじゃない?」


加州は俺の返答に不満らしく教えてくれてもいいじゃないかだとかケチだとか言って来るが、燭台切はもう何を言っても無駄だと理解したのか諦めたらしい。苦笑を浮かべて加州と俺の遣り取りを見ていた。
俺の仕事など屹度きっとそう遠くない未来、嫌でも知ることになるのだ。だから今は未だ知らなくて善い。


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