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08



腕から血が滴り落ちる。俺はそれを気にすることなく足を進めた。主の部屋に向かえばそこにはいつも通り主と、その隣に近侍である薬研が座っていた。
俺が戦果を報告している間も主とは目が合うこともなく、主命を果たせなかった俺に一言下がれ、と主は言った。
ああ、申し訳ございません主。次は、次こそは貴方の望む報告をお持ちします。
……だから主、どうかご命令を―――。


***


「ここでよろしいでしょうか?」

「嗚呼、悪いな長谷部。面倒掛けて」

「いえ、この程度」


俺の背から降りた新しい主は少し笑うと部屋に置いてあった座布団の上に腰を下ろした。


「………えっと、如何どうした?」

「他に何かすることはございませんか?」

「あー…?急にそう言われてもなァ…」


主は困ったように頭を掻く。前の主と違い、今度の主はどこか抜けている感じだ。あー…とかうーん…とか呟いて天を仰ぐ主。本当に何もすることがないのだろうか。


抑々そもそも何でお前はそんなに俺の指示を請うんだよ。別に俺を気にせず好き勝手やってくれりゃあ良いんだが…」

「それは…」

「他の奴らなんか俺の扱いが雑すぎて、逆にお前の態度に戸惑うっつーの」


それでも黙ったまま動かない俺に、主は呆れたようにため息を零した。ああ、こんな俺に失望したのだろうか。


「…お前さ、主命なら何でもすんの?」

「!…勿論です、主」


俺が勢いよく頷けば、主は興味なさげにふーん、と呟いた。そして、


「じゃあ手始めに燭台切を殺して来い」

「………は、」


目の前のこの方は今何と言った?
思わず顔を上げてみても、そこには先程と変わらない表情で俺を見る主がいるだけだった。彼奴さ昨日俺に不味いメシ食わせやがったんだよ、と俺を見たまま主は淡々と言葉を継ぐ。


「だから、殺して来てくれ長谷部。主命だったら何でもするんだろう?」


そう言った主はゾッとするような綺麗な笑みを浮かべていた。
…そうだ、これが主命なら俺はそれを果たさねばならない。でも燭台切を、俺が?そんなこと…。でもこれは主命で。もし断れば俺は。でも…。
ぐるぐると思考が巡って気持ちが悪い。目の前の景色が主と共にぐにゃりと歪んで、今の体勢が保てなくなった。それから…誰かに腕を掴まれた。


「悪い、長谷部。今の冗談だ、冗談」

「あ、るじ…?」

真逆まさか其処まで真に受けるとは思わなかったんだよ。すまん」


俺が倒れる寸前で腕を掴んだのは主だった。目の前の彼からは先程の冷たい笑みはすっかり消えていて、代わりにあるのは困ったような呆れたような何とも言えない表情だった。


「……あのな、長谷部。お前は主命に重きを置いているようだが、俺が主の間はそんな事気にしなくていい。第一俺が先刻さっきみたいな無茶ぶりな命令することは考えなかったのか?」


いや、まあ、性質の悪い命令した俺に圧倒的に非があるんだけど、と主は俺から目を逸らす。そうして再度俺に謝罪の言葉を告げると、主は少しだけ笑った。その笑みは先程のものとは全然違くて。


「お前が如何して其処まで主命に拘るのか俺には判らねェが、お前が主命を果たそうが果たさなかろうが俺がお前を手放すことはねェよ」


だからもっと肩の力抜いて生きろよ、と主は俺の頭に軽く手を乗せた。


「…んん゛!?は、長谷部!?」

「…?どうしました主?」

「其れは此方こっち科白セリフだ!悪かったって!確かに先刻の命令は悪質だったよな!?うん、俺も一寸ちょっと考えなしだった!」


だから泣くな、と主の服の袖が頬に当てられる。そこでようやっと気付いた。
俺は今泣いているのだ、と。
次から次へと零れ落ちる涙の止め方を知らず呆然とする俺に、主は慌てたようにもう一度謝罪の言葉を口にした。そして彼の物であろう手拭いが俺に渡される。


「…本当、悪かったな。本気じゃねェから、あれ」

「いえ…燭台切を殺せという主命に戸惑って泣いたわけではないので…」

「じゃあ何で泣いたんだよ?」

「…………」

「何故黙る」


燭台切といい、お前といい解らない奴等だな。
主が独り言のように呟くが、わからなくていいと俺は思う。この方は俺を手放さないと言った。彼にとっては取るに足らない言葉だったのだろうが、俺はずっとその言葉を望んでいたのだ。


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