小学生の頃から、真面目な優等生と言われてきた。

そう評価されることは別に嫌ではなかったし、周囲の大人に褒められることは土方の幼い自尊心を満たした。その姿勢を貫いていくことが彼のプライドでもあったので、土方は変にひねくれることもなくおおむね順調に学生生活を過ごした。

そんな性格であったから、社会の基礎を支えるような仕事にずっと憧れ、選考に受かってこの鉄道会社に勤めることに決まったのがちょうど一年前の5月。

この春から、晴れて社会人として働くことになった。

まだまだひよっこの土方がいきなり配属されたのは、一日に20万人を超える客が乗降する、都心でも有数の大規模な駅だ。当然、朝から晩までありとあらゆる客の相手をしなくてはならない。
それでも、まだブカブカの学生服を着ていた頃から憧れていた職業に就いていることは、土方の誇りでもあったし、忙しい日々を乗り切る原動力にもなっていた。




ノンストップ・ラブ・ステイション






午前5時30分。
朝日の眩しい中、本日最初の列車が車体を煌めかせながらホームに滑り込んでくる。

始発といえども利用者は意外に多く、朝帰りの男女の連れやら疲れの抜けきらない様子のサラリーマンやらが、押し出される様に次々と降りてくる。
折り返し発車の準備のために車両に乗り込むと、客のいない車内でもわっと熱を帯びた空気だけが残っている。様々な匂いのまじったそれに顔をしかめていると、一番端の席にまだ寝こけている客がいるのを見つけた。

朝帰りのホストか何かだろうか、派手な色のスーツに目立つ金色の髪。
終点ですよ、と肩を揺すりかけて、土方は心臓がぴくんと跳ねるのを感じた。
その男の風貌が、昔の知り合いにひどく似ていたのだ。

「んぁ…?」
「お、お客さん、終点です」

薄っすら目を開けたその顔は、脳内に浮かんだ像に似ているようでやはり似ていない。人違いだよな、と土方は胸を撫で下ろした。

(ホストなんてやってるわけねえし、な…)

「お客さん、起きてください…!」

再び眠りの世界に入ろうとする客の肩を掴んで、やや強めに揺さぶると、目をこすりながら男はこちらを見た。

「ん〜アレ、朝?」
「そうですよ…」
「んー…ん?あらぁお兄さん美人だねェ…このあと俺と一発どうス」
「いつまでも夢見てんじゃねェェ!」

ガツン、と今度は容赦なく殴ると、男はいてぇと呟きながらようやく重い腰を上げた。

「朝まで飲んでたんだが知らないですけどねぇ、こっちは仕事始まったばっかりなんですよ始発なんすよ!これからこの駅を利用する二十万人以上のお客さんを相手にしなくちゃなんねぇんだ。」
「まじで?この駅そんなに人来るんだァ…」
「そうですよ…だからアンタばっかりに時間遣う訳にいかねぇって…」
「じゃあ俺たち、ニ十万分の一の確率で出会ったってこと?え、コレ運命?」

まるで空気を読まない男の発言に半ば呆れながら、土方は大きなトランクでも運ぶ様に男の背中を押して電車から降ろす。

「はいはいはいはい…そういう口説き文句はお客さんに言ってあげてくださいね…ッ」
「ええ〜お兄さんマジタイプなんだって…」
「寝言は家に帰って寝て言え!」
「あ、ちょ、かぶき町のお店だから!コレ、コレ!絶対来てね!」

そのまま無理矢理エスカレーターに乗せると、離れ際にひらりと一枚の名刺を投げられた。

(ナンバーワンホスト、ねぇ…)

まるで縁のない世界だな、と独りごちつつ、土方は再び車両の点検に向かった。


***


午後8時30分。
通勤ラッシュまっただ中の駅は、乗降客でごったがえして、彼らが放つ熱気で窓ガラスは曇るほどだ。
そんな人で溢れるホームの端で次の電車の調整をしていると、つかつかとこちらに向かって歩いてくる女性がいた。右手にスーツ姿の男の襟元を掴んで、その男をひきずるようにして近づいてくる。

「あのぉ…っ」
「どうされました?」
「いたた…ちょお姉さん離してってば…」
「この人、私のお尻触ったんです」
「触ってないって言ってるでしょーが!」
「痴漢か」
「痴漢ではありません」

鮮やかな紫色のスーツに、幾何学模様のネクタイ、の時点ですでに怪しい。
そのうえきっちりと分けられた前髪に、真っ赤な眼鏡のせいで、男は怪しさ大サービス十割増であった。

冤罪です、とこちらに向かって主張してくる男の顔が、またもや今朝思い出した人に似ていて、土方は一瞬我が目を疑う。しかしやはりこちらも別人のようであった。

「私は弁護士ですよ。痴漢などするはずがない」
「でも触ったんですこの人ー!」
「違います、あれは触ったのではなく、現在担当している痴漢事件の被疑者の気持ちを味わってみようとしてですね…」
「触ったんじゃねーか」
「触ってません〜!触ろうとしただけです〜」
「触ろうとしただけでも犯罪だな」
「異議あり。実際触らなければ犯罪にはなりません」

とにかく、と土方は半ば呆れ気味に自称弁護士の腕をとった。

「話は駅員室で聞きますから」
「えっだから痴漢なんてしてな…」
「はいはーい、とりあえず行きましょうね〜」

女性と男を引き連れて、土方は駅長のいる部屋へとふたりを誘導した。
ばたん、とドアを閉めた部屋の中で、まだ男が異議を申し立てている声が聞こえる。

(ったく今日は厄介な客が多いな…)

しかしまだまだ一日は始まったばかりだった。


***


午後3時30分。

帰宅ラッシュまではまだしばらく余裕のあるこの時間は、ホームも車内も大抵あまり混雑はしていない。
そんな中、着いたばかりの電車からぞろぞろと4、50人ほどの集団が降りてくるのが見え、土方はふとそちらに目をやった。

遠足か社会科見学であろうか。
高校生かそこらの生徒たちの集団が、降り立ったホームでぺちゃくちゃとおしゃべりをしている。
その雛鳥のような生徒たちの端で、引率者らしき男がぱんぱんと手を叩いた。

「は〜い、じゃかったるい社会科見学もこれで終わりで〜す。ここで解散なので各自気をつけて帰るよーに」
「せんせえ、家に帰るまでが遠足って言うアルよ。おうち帰るまでの間に食べるお菓子、なくなっちゃったヨ私…」
「これは遠足じゃないからね、ここで終わりなの神楽くん。お菓子はおうちで食べなさい」
「は〜い」
「じゃ、そゆことなんで〜」

男が締まりのない声で解散、と告げると、生徒たちは一瞬戸惑いながらも思い思いに帰路につき始めた。その様子を頭をかきつつ眺めていた男が、ふと視線に気づいて振り返る。

と、男をじっと見つめていた土方と、ぱちりと目が合った。

「お、」
「あ、せん、せい……」
「あらら土方じゃないの、何、元気してた?」
「はい、おかげさまで…」
「おー、駅員さんやってんの?良かったな、高校んときからなりたいって言ってたもんな」
「あ、はいこの4月から」

また良く似た別人か、と思って見ていただけだったのだが、どうやら本人のようで土方は心底驚いた。だるそうに頭髪を掻く仕草も、あまりやる気のなさそうな声も、あの頃と全く変わらない。

変わったのはむしろ自分のほうだ、と土方は思った。
世間の荒波に多少なりとも揉まれ、処世術を身につけ、そこそこ器用に世の中を渡れるようになった。

自分の気持ちに正直に生きるしかなかったあの頃とは、違う。

「土方も大人になったなァ…」
「先生は、全然変わりませんね」
「そうだな…変わんないことが、教師の役割だと思ってるし」
「役割」
「うん、教師ってのは基本、お前らの思い出の中の生き物だもんな。いつでも変わんねえ思い出のさ」

思い出、と言う言葉に胸のなかがふいにざわめいた。
色あせかけていた高校時代の記憶が一瞬にして蘇って、鮮やかな何枚もの写真が胸の中に折り重なる。

(あの事もその中のひとつ、になっちまったのかな…)

「先生、」
「ん?」
「あの、」

ちらりと腕の時計を見る。次の電車まではまだしばらく余裕があった。


「4年前に俺が言ったこと、覚えてますか」
「んー?覚えてるよ」
「そのとき先生がなんて言ったかも?」
「うん」
「じゃあ…」

そうだなァ、と呟いて目の前の教師ー坂田銀八は頭を掻いた。

「あれは正直、自分のために言ったようなモンだったからな…」
「自分のため、って」
「俺が諦めるため、ってコト。何百人っつー生徒見ててもさ、大人になってからも付き合いが続く奴なんてほんと一握りしかいねぇんだよ。大抵は卒業したら俺らのことなんて忘れて、新しい学校で楽しくやっちゃう訳。俺らは過去の存在になっちゃう訳。もちろん俺だってそれを望んでるよ。お前らの未来の邪魔にはなりたくねーから」
「…」
「でも、だからこそさ、それでもお前が覚えててくれて、会いに来てくれたら、それこそ今度は信じてもいいのかなって思ったんだよね。」
「信じるって…、」
「お前の言ったことが、若さゆえの勢いとかじゃなくて、俺の思ってたことが、勘違いとかじゃなくてさ」

本気だってこと、と言って銀八は笑った。
その懐かしい笑みに、昔の記憶が一気に引っ張りだされて、胸の奥がぎゅうと絞られたように痛む。

あれから4年経って、お互いの環境も世の中も驚くほど変化して、それでも変わらないものを信じたいなんてどこの子供だ、と思う。それでも自分もまた、曖昧なもやもやした熱のかたまりをずっと忘れずに心の奥底にしまい込んでいたのも確かで。

「まーとりあえず飲みに行くか、今夜」
「え…?」
「それでさ、」

「俺の知らないお前の4年間を教えてよ」



二十万分の一の確率の出会いは、やっぱり運命かもしれない。


***


「そういえば今日先生に似たお客さん二人も見たんですよねー」
「え、まじ?どんな奴?」
「ホストと自称弁護士」
「……あー……」
「えっ、知ってるんですか?」
「知り合い…つか、兄弟」
「はぁぁぁああああ!?」



おわり!



▼thanx!
ソラヒカの葉摘さんに「駅員土方と乗客坂田の恋のはじまり」をリクエストして書いて頂きました〜!
一読で三人の坂田を堪能できて非常においしいです^^ありがとうございました!

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