なんとなくいいな、と思っていた男に押し倒された。あ、と思う間もなく重なった唇からほのかに漂うアルコールの名残が、一瞬ふらついた理性を立て直す。

そうだよなあ、こいつは酔っ払っているだけだ。どうせ沢山いる女のひとりと間違えでもしたんだろう。

「…なあ土方くん、」
「ん、」
「そろそろどいてくんないかなあ、重いんで」
「やだ…」
「オメーよお、いま誰を相手にしてっかわかってんのか?俺だぞ俺、みんなの銀さんですよー」
「ンなのわかってらあ…」

いやいやいや、絶対わかってないよねコレ。だったらこの状況は何なんだ。勘弁してくれ。
このまま流されてもいいかも、なんて微塵も思ってないと言ったら嘘になる。けれど、コイツは正気に戻ったら真っ青になるに決まっているのだ。

「オメーいい加減にしろよ!」

まったく離れる気配のない頬を仕方無しに叩いてみれば、べちん、とすっきりしない音がした。
本当に嫌なら、思い切りグーで殴ってやればいい。もとより腹立たしいほど整った顔だ。少しくらい歪んだところで問題ないだろう。
けれどそうしなかったのは、うっかり期待したこの先の展開を切り捨てるのが惜しかったから。

「…悪ぃ、」
「おう、わかったんならとっとと離れろ」
「…いやだ」
「あ?」

半端な平手打ちを喰らった顔は、叱られた犬みたくしょぼくれている。にもかかわらず、離れるのは嫌だと言う。

「なんなんだよ…」

降り積もる沈黙に、じわじわと酸素を奪われていくようで息苦しい。

「なあ、俺でいいの」

沈黙に耐えかねて問い掛けた、その返答に賭けをする。もしもこいつが頷いたなら、今夜限りと心に決めて。

「…いや、」

そして、もしも頷かなかったら。

「じゃあ…俺が、いいの?」

本当に頷いてほしいことを、聞いてみようか。

「……」

けれど動かない唇を見て、ああしまった間違えた、と思う。
助詞ひとつに込めた意図なんて、こいつにとっちゃあどうでもよくて、そもそも俺じゃあ、

「…お前でないと、だめだ」
「へ…?」

聞こえたのは、導きかけた結論とは真逆の返答で、思わず間抜けな声が出た。

「お前でないと、」
「わ、す、ストップ!」

聞こえていないとでも思ったのだろうか、再びなにやらとんでもないことを言いかけた口を慌てて止める。

「…ンだよ」

不服そうに尖った唇に、嘘の気配は感じられない。

「え…ほんとに?」
「ああ」

どうせ、これまで相手にした奴らもこうやって口説いてきたんだろ?

そう言ってやりたかった、けれど。目前のふたつの瞳は、いつの間にか真っ直ぐな光を宿していて、口にしかけた言葉が吸い込まれていく。

こうしてみんな、こいつに落ちていくんだろうな。他人ごとのように思う反面、それでもいいや、とも思う。

ただなんとなく、いいなって。そんなお手軽な気持ちには、躊躇いも戸惑いも似合わない。

それに何より嬉しかったんだ、と思う。
お前でいいと選んでくれたら上出来で、お前がいいと笑ってくれれば満ち足りる。それ以上の言葉なんて、言われたのは初めてで。アルコールが引き起こした絵空事でも構わない、そう思えるくらいには、きっと。

「狡ィなあ、お前」

呆れまじりにすこし笑って、それから背中に腕を絡めた。流されたふりで仕掛けるものは、お前だけの為の、罠。




トリップトラップ




流されるばかりじゃあ癪だから、俺がお前で遊んでやるよ、と。強がる言い訳くらいはさせてくれ。

(10/10/10)
大学生くらいのイメージで書きました
銀ちゃんに幸あれ!お誕生日おめでとう!

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