シズちゃんはもう大丈夫だ。いつもの化け物。あんな人間らしくて弱いシズちゃんはもうどこにもいない。お帰り、俺の日常。 「知らない! シズちゃん臨也様知らないの? 今のトレンドなのに。そうだよねー時代遅れのシズちゃんと話しててもつまんないからもう帰るね!」 くるっと踵を返して、相変わらずズキズキと痛む身体の色んな所を無理やり無視して歩き出す。ちょっとよろよろしてるけど、仕方がない。シズちゃんから離れたせいで体温が下がってしまったのだ。 出来るだけ機嫌よく退散しようといつものように足を高く上げて歩きたいのだけど、身体が上手く動かなくてもどかしい。 「だ、大丈夫か……?」 「だいじょうぶだいじょうぶ。シズちゃんは風邪ひいちゃうから早く帰りなよ。あ、それとも化け物だから風邪ひかない?」 よろけた俺にシズちゃんの心配そうな声が降ってくる。それにけらけらと笑いながら答えるとシズちゃんが息を詰めた。 何だろう、と考えていると背中と肩を温かい体温が包み込む。 「なーに、何なのシズちゃん」 俺を押さえつける重力が減った感覚で、シズちゃんに支えられているのだと気が付く。 頭半分くらい大きいシズちゃんの金髪を睨みつけ、不機嫌そうに口を開いた。 「お前、よろよろしてる。何かあったのか?」 ぎくり、と心臓がはねたがシズちゃん如きに見破られるタマじゃない。俺は余裕ぶってへらへらとシズちゃんの嫌いな笑みを顔に張り付けて言った。 「何でもないし。シズちゃんには関係無いし?ただのとばっちりだよ。わかる?臨也さんの悪事に対する逆恨みってやつですようだ。いいから離れてよ。今シズちゃんの相手したら俺死んじゃうからさ」 シズちゃんは釈然としない表情を浮かべ「それでも」と続けた。 「うそだと思う」 「はあ?」 「うそつくな」 「ちょっと……うわっ」 地面から足が離れたと思った直後、突然ひょいっと軽々と持ち上げられ、シズちゃんに担ぎ上げられた。吃驚しすぎて文句も出てこない俺を肩に担いだまま、シズちゃんはスタスタと歩き出す。 「……送ってく」 「え、ちょ、やだ、離せって、ばかっ!」 ぽかすかと背中を叩いてみても、じたじたと両足をばたつかせてみても、俺の精いっぱいの抵抗なんてシズちゃんは物ともしない。 「いい加減にしてよ!」 とすん、と家の玄関の前で降ろされ、俺は叫んだ。想像以上に優しげな扱いを受けたので拍子抜けしてしまう。なんなんだ、こいつ、何考えてんの、きもい、やめてよね、怖い、湧き上がってきた俺の言葉はスカスカになってしまって喉から吐き出されることもなかった。 「しねよ……!」 とりあえず出てきた十分の位一にも満たない言葉を吐き出して、俺は冷たくて固まったままの拳でへろへろの右ストレートをシズちゃんの驚異的な腹筋に向かって発する。そんなもの当然ぽすん、と軽い音をたてただけにすぎないのだけれど、俺とシズちゃんの関係性から言ってやらずにはいられなかった。 俺のへろへろパンチなんかまるで何のダメージにもなっていないシズちゃんは俺と向き合うと、気まずそうに頭をかいた。不潔だ。シャンプーの匂いがしたし、ふけとかも落ちてこないけど。俺も大概、不潔だ。臭いとかしないだろうかと心配になる。 「つか、お前、冷たい。どこで何やってきたんだよ。水被ってんじゃねーぞ、今何月だと思ってんだ」 「煩い。臨也君には色々あるんですう」 シズちゃんに背を向けて、家の戸の前に立った俺はあざとい声でそう言った。 鼻声、とか、なんとか背後でぼそぼそ聞こえるけれど、先ほどまで泣いていたシズちゃんだって鼻声だ。しかも俺はつい数時間前に寒中水泳ばりに水を浴びてきたのだから、たった数時間の間でも風邪くらいひいて当たり前である。 「明日……」 「何?」 扉を開けようと手を伸ばしたその時、シズちゃんが口を開いた。 「学校、来いよ」 意外な言葉に俺は驚いて振り返る。シズちゃん、俺の事嫌いじゃなかったの。 「んじゃ…………」 くるりと踵を返した金髪の後ろ姿が目に入る。てくてくと離れていくその姿を見送った。 その背中はあの池袋最強と呼ばれる平和島静雄とは思えない程小さくて、何故だか無性に笑いが込み上げてきた。 「あー……ばかばかしい!」 そう叫ぶと少し先が見える。 この先どうするかと考えて、とりあえず明日にでも家を出ようと思った。場所を変えて、奴から全力で逃げてやろうじゃないか。 そして明日はシズちゃんに今世紀最大最悪の嫌がらせをプレゼントしてやる。 「覚えてろよ!」 終 |