ばか4 | ナノ



ひとしきり暴言を吐いた後、俺は亀よりも遅く、重たい足取りでシズちゃんに背中を向けた。俺とシズちゃんの距離はわずか数メートル。それなのにシズちゃんは何もしてこない。若干信じられずに振り向いた。
ばちん、
シズちゃんと目が合う。目が合ったどころの騒ぎではない。シズちゃんが泣きそうな(というか既に泣いている)捨て犬が通行人に追いすがるような目で俺をじっと見つめていた。
捨て犬のシズちゃんと見詰め合うこと数十秒。先に根負けしたのは俺の方だった。
仕方なくシズちゃんの居る所まで痛む体を引きずって戻る。
それでも、いつもの『殺す』だの『死ね』だのといった単細胞丸出しの言葉はおろか、先ほどまでの泣き言も言わずにただすがる様に俺を見詰めているだけだった。
さすがにそんなに熱い視線を向けられたら俺だって無視できない。俺はシズちゃんとは違って優しくて繊細なのだ。
「なあに」
うんざりしながらも優しく問いかけてやると、シズちゃんは服の裾でぐいぐいと乱暴に自分の涙をぬぐった。そうそう、大っ嫌いな臨也くんに泣き顔見られたとかね、恥ずかしいでしょ。君も子供じゃないんだからいい加減、感情のコントロールを覚えなさいって。キレやすくて感情のコントロールが下手なシズちゃんは、メンタルが弱点……と、頭の中にメモしておこう。
「だから俺ももう、疲れたんだって、寝たいの。体洗いたいの。わかる? あーもう!」
キレたいのは俺の方だ! 聞き分けのない妹たちをいなすように自分でも苛々しながら言い放つ。
「いい? もう十数えるうちになんか言わないと帰るからね。俺。いーち、にー……」
三、四、五、指を一本一本折りながら数を数え、横目でシズちゃんを見る。急に数を数えだした俺にシズちゃんは焦ったようにしどろもどろになっていた。
「きゅー……数え終わっちゃうよ?」
優しい優しい俺は十一歩手前で首を傾げる。
「帰るよ?」
最終確認。これで返事がなかったら帰ろう。もういい加減、足も体力も限界だ。帰って寝たい。体を洗いたい。消毒したい。忘れたい。
痛いのも辛いのも本当にもう、勘弁だ。もういい。もういらない。帰りたい帰りたいと念力のように呟いていると、胸の奥がぎゅっと縮こまった。泣きたいのはこっちの方だ。シズちゃん、君が変だと、俺も変になっちゃうよ。君は、君だけは俺の普遍的な敵なんだ。俺に弱さなんて見せたら駄目だろう。
「…………ああ、駄目だ、泣きそう。シズちゃんのせいだからね」
心の中だけで呟いたつもりだったのだが、もはや癖になっている独り言が仇となってつい口から零れてしまった。シズちゃん同じ泣き虫だと思われたくないので早いところ拾って食べてしまいたかったが、生憎、言葉となって漏れ出した言葉は自分で拾うのは不可能だ。折原臨也、何たる失態。おどけて見せても、どうしようもならない。
言葉にしてしまったせいで自分の考えていることをダイレクトに鼓膜から脳に伝達してしまい、自分の想いを客観的に聞いてしまった。それは酷く涙腺をちくちく刺してきて、眼球の水分保有率が高くなった。泣くもんか、と気合を入れてみてもどうしようもない。辛い。苦しい。もういやだ、お願いシズちゃん元に戻って。俺の日常を返して。
「……泣いてんのか?」
「っるさい! シズちゃんじゃないから泣きませんー、残念でしたー」
シズちゃんに涙を見せないよう零れ落ちる前に拭い、強がっては見せるものの、鼻声だけは隠せない。あああ、酷い。神様あんまりだ。俺がやってることは確かに人に褒められた事ではないし、その報いならばそれも仕方がないと思おう。ただ純粋に人が好きでやってる事だから後悔なんてしない。あいつに犯されるのと、俺の趣味とは全く関係が無いじゃないか。なんで俺なの。なんで、妹たちが犯されればいいとは決して思わないけれど、何で女より男の俺なんだとは幾度となく考えた。もし俺が女で生まれたとしても、同じ事をされていたんだろうか。同じ事をされて、孕んで、おかしくなっておしまいの人生だったのか。俺は男で、逃げ出すチャンスはいくらでもあるのが希望じゃないのか。でも、俺は人間が好きで、ありとあらゆる行動を観察したくて、俺は絶対安全で、
「もういや、いやなんだよ、もう、シズちゃん死ねよ、死んで、マジ本当に頼むから、後生だから死んでくれよ」
「臨也……?」
「呼ぶな、呼ぶな、シズちゃんなんて、嫌い」
考えれば考えるほど混乱してきて、俺は年甲斐もなく泣き喚いた。シズちゃんに泣き顔を見られるとか最悪だ。死にたい。
でもそんな俺の気持ちも知らずに、シズちゃんは不安そうな目で俺を見つめてきた。やめて。頼むから。その目が何かと重なって弾けた。違う。
「ごめん、ごめんなさい」
「謝るなよ、なんでシズちゃんが謝るの?俺相手なんだからいいんだよ」
「でも、」
「男の癖にでもとかだってとか言うんじゃない。泣くなよ、男だろ」
「でも、手前だって泣いてるじゃねえか」
「うるさい。俺は臨也様だからいいの」
「なんだよ手前、何様だよ殿様かなんかか」
弾けるようにポンポンと会話が飛び交い、ちょっと浮上してきた俺はちらりとシズちゃんを見る。シズちゃんはとてもまじめな顔をしていて、いつものようにちょっと不機嫌な様子を露わにしていた。
俺は安心してようやくほっと一息吐いた。




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