ああ、また泣かされたんだなあ……なんて、僕は今日も考える。
現在進行形では涙こそ出てないものの、臨也の身体を見れば彼が行為中どれだけ酷く泣きわめいてたいたのか一目瞭然だった。

「……臨也さあ……」

真新しい火傷の痕に消毒液を染み込ませた脱脂綿を押し当てると、消毒液が染みたのか臨也が小さく呻いた。確かにこれは痛そうである。
「君がMなのは知ってるつもりだったけど、流石にプレイとしては過激すぎるんじゃない?」
臨也の身体は傷だらけだ。大半は静雄くんとの喧嘩で出来た怪我だが、度々それ以外の故意に付けられた傷をこさえてやってくる。
黙ったままの臨也の身体にガーゼと包帯を巻きながら、僕はつい先日治療したばかりの傷痕に手を伸ばした。
「……う、」
綺麗に貼られたガーゼをぺりぺりと剥がし、化膿し始めている傷痕を露出させると臨也の身体がびくりと震えた。やはりこれは相当痛むのだろう。
しかしその痛みも98%くらい臨也の自業自得なので、気にせずに治療の手を進めた。
食わぬ武士のなんとやらとはよく言ったもので、臨也のプライドはヒマラヤばりに高い。やせ我慢だけは得意中の得意だった。だから例え静雄くんが投げた自販機を避け損ねて骨折をしていたとしてもなんでもないような態度を装って、こうして僕のところまで逃げてくる。
何故なら僕の所までは流石の静雄くんも追いかけてこないからだ。
それでもこうして直の傷口に触れられれば相当痛むらしく、臨也は柳眉を寄せて痛みの表情を露にして僕の白衣の裾を血の気がなくなるほど強く握り締めた。
「……もう、あの人と付き合うの止めたらどうだい?」
手を動かしながら、目をつぶって痛みをやり過ごしている臨也に話しかけた。
今回の相手は静雄くんではない。静雄くんの付けた傷にしてはえげつないからだ。
しかし当の本人はそれどころでは無いらしく、閉じられた目元には涙がじわりと滲んでいる。
嘆息を吐いて化膿した患部に消毒液をまぶし新しい清潔なガーゼを当てた。とりあえず上半身の酷い患部の治療はこれで終わりである。
だが……、臨也の場合はこれでは済まない。
僕は酷く憂鬱な気分になりながら、臨也の上半身を診察用のベッドに倒し体制を入れ換えた。
「……やだなぁ……」
多分、こういった処置は駆け付け一番にしなくてはならないのだろう。……が、幸い俺は闇医者だし、僕はどうしてもこの処置が嫌なので大抵最後までこの処置を先伸ばしにしてしまう。今日も酷い状態の患部に、思わず露骨に顔をしかめた。
見易いように臨也を俯せにして腰だけを高く上げさせるボーズ……ヨガで言う猫のポーズにして、患部を露出させる。事務的に治療用のゴム手袋を取り替え、酷い状態になっているそこに触れた。
「………………ぐっ!!!!ぅ、」
触れた瞬間、臨也は形容しがたい悲鳴を上げた。独特な匂いの白く濁った粘つく液体に血が混ざった液体がどろりと臨也の腿を伝う。
そしてその液体が溢れだしている場所には、薄いピンク色をした長いコードが深いところから延びていた。
「……こりゃ……また……」
セルティがいなくてよかった。乙女にこんな下品なものとてもじゃないが見せられない。毎回、どこをどうしたらこんな状態になるのかと僕には首を傾げずにいられない。
「……痛いだろうけど、抜くよ?」
一応、了承を求めると臨也の身体がぎくりと震えた。そして剥き出しの肩が隠しきれずにカタカタと震えている。
ぎゅっと両目を閉じ、唇を噛み締めている臨也を横目に、俺は延びているコードを持ち、臨也に出来るだけ衝撃を与えないようにゆっくりと慎重に引き抜いていった。
「くッぅ…あ゛、だ、ひあ゛、ぁ……!」
臨也の体内を擦る粘着音とともに、思った以上の最奥から埋められた玩具を引き抜いていき、それでも抜け落ちるタイミングにはそれなりの衝撃が走ったのか、臨也の身体が大きく跳ねる。
やがて、ジュポン、というくぐもった音をたててコードと同じ色をした、子供の拳骨程の玩具が診察台に落ちた。
臨也が飲み込んでいた淫具は、粘液でぐちゃぐちゃのどろどろに汚れたコンドームに包まれており、白濁や血液にまぶされたゴムがてらてらと蛍光灯の下で光っていた。

「臨也、もう大丈夫かい?」
刺激に耐えるために終始唇を噛み締めていたらしい臨也は、はあはあと肩で息を吐きながら目に涙を浮かべている。
とりあえずこれで会話を邪魔するものはなくなった。僕は診察台に身を乗り上げて臨也の顔を伺う。
暫くして、ようやく乱れていた呼吸が整ってきたらしい臨也が顔を上げ、濡れた相貌が僕を捉えた。
「今日も凄く傷だらけだよ」
「……そ……」
「“そ”じゃないよ。なんでこんなになるまで嫌がらないんだ」
臨也は自分の内部から引き抜かれた玩具をじっと見つめた後、頭を抱えて腰を落とし診察台の上に踞まる。
「…………ぃッだ……ぁ」
腰を下ろした瞬間に切れた部分の傷が広がったらしく、臨也が呻いた。無理もない。僕は再び腰を上げさせ、臨也の傷ついた患部をライトで照らした。
明言することも憚れるような部位がぱっくりと裂けて血が滲んでいるのだ。
「本当に……何したの?」
どこをどのように、どうしたらこのような傷跡になるのだろうか。そんな単純明快な知的好奇心が僕の心の中で首をもたげ始めたが、実際、臨也を問いただしてまでプレイ内容を知りたいとは思わなかった。流石の僕もこれは悪趣味だ。大体この状況で臨也にいきすぎたSMプレイの実態を語り始められても困る。なので僕は口封じもかねて機械的に臨也の傷だらけの胎内にゴムごしの指を根本まで深く差し込んだ。
「…………!っくぅ、ぁづ、ひ、ぅあ!」
じゅぷ、と引き抜くと、指先に赤い血液と白濁色の粘液が糸を引く。
「中も切れてるね……血が……」
引き抜いた指に血がベットリと付いている。診察台についた両手が微かに震えているのは恐らくぶり返した痛みのせいだろう。
「何突っ込まれたんだよ」
……というか、何突っ込まれてるんだよ。
あまりにも酷い状態で、無駄口も叩けないほど弱りきった姿を前に、これがあの小生意気な新宿の情報屋か。と、呆れを通り越して苛立ちながら胎内の傷はどのように処置しようかと考える。
「……ッン゛、」
「あんまり無茶すると、使い物にならなくなっちゃうよ? そもそもここは突っ込む所じゃなくて出すところなんだからさ」
ぶっちゃけ、彼にとってはもうここは入れるためのものなのだろうが。
そうとは言わずに、淡々と処置を始める。
傷口に何か当たる度に臨也がギクリと震えるが、それにいちいち構ってられるほど暇ではないのだ。早くしないとセルティが帰ってきてしまう。

淡々とした処置を終えて、諸々の器具を片付けると痛みの余り失神寸前で呆然としている臨也が目に入った。
「……ちょっと寝ないでよ。何があったか教えて。なんのために麻酔無しにしたと思ってるの」
今にも気を失いそうな臨也の頬をペチペチと叩き、顎を掴んで無理矢理顔をこちらに向けさせる。
「さあ何したか話して。今日は何人?誰の提案?」
虚ろな目が俊巡し、ようやく僕を力無く捉えた。
「……そ、な……じゃ」
「君がそういうつもりじゃなくても相手はそういうつもりなんだよ。言いたくなきゃ言わなくてもいい。ただね、相手は堅気じゃないんだ。下手したら殺されるかもしれない、そしたら俺はもう君を守ってあげられないよ」
黙って臨也は俯いた。わかってるのかいないのか。臨也の異形に対するコンプレックスは相当なものだ。それはもうただの中二病というだけで片付けられる話ではなく、こうして自らを異形に近付けようとよりアンダーグラウンドな世界に近付いていこうとする。
「僕はね、君が心配なんだ。君は僕の大切な友人だよ。君が死んだら悲しい。君は死ぬのが怖いって言ってたよね。同じように僕も君が居なくなるのは怖いんだ。だって君は僕に一番近い人間だから」
処置に使った道具を片付けながら、僕は続ける。
「君は自分が死なないって言ってたけどね、人は結構簡単に死ぬんだよ」
余力が尽きたのか診察台にぐったりと突っ伏して今にも眠ってしまいそうな臨也の着衣を簡単に整え、血の匂いで噎せかえるような室内を換気するために窓を開けた。
窓の外には相変わらず代わり映えのしない街の日常が広がっていた。どこかで馬の嘶きが響いている。
「……あ、近い。あと10分くらいかな」
ここまでシューターの声がハッキリと聞こえるということは、大分近くまでセルティが来ているということだ。
意識朦朧としている臨也の方へ近寄り、額に手を当てる。
「ん、大丈夫だね……外に車を呼んであるからもう今日は帰りな。寄り道しちゃダメだよ?抗生物質出しとくから忘れず飲んでね」
白い錠剤をコートのポケットに突っ込み、半ば背負うようにして臨也を担ぎ上げた。
一歩また一歩と歩く度に臨也が呻くが、その声は俺の脳に処理されない。


バタン、黒塗りの仰々しい車の扉が締まり臨也の姿が見えなくなる。肩は凝っていなかったが、僕は肩に手を当て首を左右に回して見せた。仕事終わりの軽い伸びをしてから遠くを見ると見慣れた黒い影がこちらに近づいていた。発車した黒塗りの車と影が交差して、街の喧騒の中を車が新宿方面へと消えていく。
あれでいいのか、これでいいのか。疑問は一から十まで、腐るほど沸いて出た。しかし、だからどうだ?俺に臨也を変える気はあるのかと問われれば、そんな気は毛頭無い。だから口でああいうだけだし、実際に身銭を切ってどうこうということもしない。臨也の行動に対して口を出すのは一種のエゴイズムだ。でもいくら攻められようと、僕の愛は全て僕のエゴによるものでそれが永久に変わらない事は分かりきっている。
だからこそ変えようとも変えたいとも思わない。それでいい。僕の愛だ。
僕は臨也の乗った車を複雑な気持ちで見つめながら両腕を広げる。




「おかえり!」