本日はホワイトデーである。



「波江波江、はい、お返しどうぞ」

臨也はそう言ってにこやかな笑みを浮かべながらチョコレート色の小さな箱を波江のデスクに置いた。

「何よ、これ」
「何って、今日はホワイトデーじゃないか」
「私、あなたにあげてないけど………」

波江の言う通り、先月臨也は波江から何かを貰った訳ではない。バレンタインの返事をする為の日としては、若干間違った上司の行動に波江は訝しげに首を傾げる。

「まぁそうなんだけどさ……俺、今日はあげられるものこれしか持ってないから。給料とは別の、俺からのプレゼントだと思ってよ」
「?」
「あ、でも別に君の為に買ってきたわけじゃないから」
「……は?」

それではこれを自分に渡してしまったら不味いのではないか?…と、波江が思案を巡らせていると、その表情を汲んだ臨也は肩をすくませて首を左右に振った。

「……いや、ちょっと自分でも何がなんだか……一種の気の迷い?っていうの?あー…ほんと俺、何考えてたんだろ」

臨也は己のもやもやとした考えを体現するように椅子でくるくると回転しながら唸る。波江は暫しその様子を斜め横で見つめていると、ああ、と、全てを察し、それから興味無さげに資料に視線を落とした。

(平和島静雄……ね)

上司が自分で買ったものをどうしようと自分には関係ない。波江はこの妙な上司が、更に妙になった今に至る経緯を一旦思い出してから、やはり関係ないと、すっぱりと脳から排除した。

♂♀

(……どうしようかなぁ……)
先ほどから臨也は部屋の端から端までを、何度も行ったり来たりしながら悩んでいた。というのも、問題は今日の日付に関わる。
3月14日。今日はホワイトデーだ。
2月14日のバレンタインに毎年それなりに貰う方なので全く関係がない行事でもない。だがしかしそのチョコレートも、ここ数年では安全上受け取っていないのですっかり縁遠くはなっていた。

(でも今年は一個だけ貰ってるんだよね…)
机の引き出しに大事にしまってある焦げ茶色のリボンを思い出し、憂鬱な溜め息を吐く。
いくら自分で蒔いた種とはいえ、予想していたものとは斜め45度違う展開に自分でも嫌気がさした。
元は静雄に嫌がらせの為に、合鍵を作って勝手に家に入り、家事をしてこようというほんの悪戯心からだった。その結果、先月「仕返し」と称したチョコレートを静雄から貰うことになったのである。

(……まぁでも流石に……いらないよな)

一応用意はしたのだが、流石にいらないだろうと秘書に渡してしまった。
それに、「仕返し」に対して「お返し」だなんておかしいし、元々嫌がらせをするつもりで始めたのだからお返しなんて用意していたら、まるで自分が静雄と仲良くしたいみたいではないか。
第一……と、臨也は時計に目を遣り自分の選択が間違っていなかった事を確認した。
もうすぐ日付も変わる。まさかいくらなんでもこんな時間には来ないだろう。
そろそろ寝るかと寝室に向かおうとしていた時だった。
ぴんぽーん
……と、気の抜けたインターホンの音が響く。

「!」

まさか……と思い、一瞬出るのを躊躇する。すると、間髪入れずにダンダンと激しく扉を叩く音がした。壊されて警備会社に連絡が行くのも時間の問題である。臨也は慌てて扉を開けた。

「や……やあ、シズちゃん」
「おい手前、臨也君よぉ、お返し寄越しやがれ」

お返し、と言われてもあげられるものは何も無い。かといってそれだけで静雄が納得して帰るわけがない。既に静雄は、勝手に上がり込んでソファに我が物顔で腰掛けていた。

「おいどうした。早く渡さねえと夜明けちまうぞ」

何か貰うまではてこでも動かないといった風情の静雄に、臨也は項垂れる。
どうしたものかと思案を巡らせて、キョロキョロと辺りを見渡してみると、ふと冷蔵庫に目が止まった。

「……あ、」

そこで妙案が思い付く。無いなら作ってしまえばいいじゃないか。
臨也は手慣れた手付きでボウルを取り出し、冷蔵庫から卵と牛乳を出してきた。手早く卵を割り、カシャカシャと攪拌していく。

「何作ってんだ?」

興味津々といったような表情で背後に立つ静雄を横目で見、蜂蜜とバニラエッセンス数滴を卵と牛乳の液の中に入れて混ぜる。
それを温めたオーブンで湯煎焼きにし、その間に水と砂糖を入れたミルクパンでカラメルソースを作り始めた。

「……ちょっと……まだ冷めてないけど……」

プルンと玉子色をしたそれの上に出来たばかりの香ばしいカラメルソースをかけていく。玉子色に焦げ茶色の食欲をそそる甘い香りが鼻腔を擽った。

「……プリン?」
「ん。シズちゃん、好きだったよね」

ちら、と顔色を伺ってみると、何やら神妙な顔をした静雄が座っていた。
何かしただろうかと下を向いていると、ぱんっと両手を叩く軽い音がして「頂きます」と低い声が発した。

「…………うめぇ」
「え、本当?よかった」

ほっと息を吐き、臨也は静雄に向かい合ったソファに腰掛けた。いくら静雄とはいえ作ったものを素直に褒められるのは嬉しい。臨也はふっと頬を綻ばせた。

「手前は食わねえのかよ」
「え?俺?俺はいいよ。歯も磨いちゃったし、寝るところだし。そもそもそこまで甘いものが好きって訳じゃないしさ」
「歯なんてまた洗えばいいじゃねえか。つべこべ言わずに食え。ん」
「んむっ」

静雄はスプーンを臨也の口に突っ込み、にっと笑う。

「んめえだろ」

こくりと頷くと、静雄も満足そうに頷いた。そして手元のプリンに集中し始める。

なんだか不思議な光景だ。食べている静雄は嫌いではない。
前までは静雄の何もかもが嫌いだった筈なのに、今ではどうでも良くなってきている。

(ほだされてる……ってこと?)

悶々と考えているうちに食べ終わったらしい静雄がぱんっと手を叩く。

「………おい、臨也君よぉ……」
「え?なに?」
「…………付き合うか」

さらりと聞き流してしまうような軽いノリで放たれた言葉に、思わず臨也は顔を上げた。

「……え?今……何て言ったの?」
「だからよ……付き合うかっつったんだよ」

頭を掻きながらぶっきらぼうに言った静雄の視線が臨也を捉える。

「おい、つべこべ言わせねえ。付き合うぞ。だから今日は泊まる。つかもう終電無えしよ。とりあえず……臨也、風呂!」
「わ……沸いてるけど……」
「ん」

ズカズカとバスルームに向かっていく静雄の背中をポカンと見送り、取り残された臨也は信じられない急展開のせいで呆然とソファに座り込んでいた。








【ハロー新世紀】