※くろねこ後日 「おらよ」 俺の頭半分下の黒い頭部に10cm程の大きさの箱を置く。 「何だねシズちゃん」 怪訝な顔で臨也が箱に手を伸ばそうとするので、俺は熱々の紅茶が入ったティーポッドを載せた盆を持つ手を掴んだ。そのせいで臨也はバランスを取るためにぷるぷると震えている。 「落とすなよ」 壊れ物だと念を押すと、箱を落とさないように自然と固まった臨也が視線だけを俺に向けて言った。 「これなに?」 押さえた両手越しに臨也の手が抵抗の為力が込もって震えているのが判ったが、俺はそのまま「バレンタインだろ」と答える。 「何でシズちゃんが俺にチョコくれるの」 「言っとくけど安かねぇぞ、これ」 臨也の問いには答えずに俺は言った。無駄に舌が肥えているノミ蟲野郎の為にわざわざ休憩時間にサンシャインまで行って買いに行ったものだ。 「心して食えよ」 ――――2012年2月14日 23:15. 『サヨナラ旧世紀』 「い、いらっしゃいシズちゃん……そこ、寒くない? 上がってく……?」 部屋着らしい灰色のパーカーに黒い短パンという予想していたよりも随分子供っぽい出で立ちで現れた臨也は、玄関に立つ俺を見た瞬間に引き吊ったような笑みを浮かべた。 「良かったらお茶、淹れるけど」 パタパタとキッチンに向かって行った臨也の後ろ姿を見送り、俺は取り敢えずポケットに入れた小さな箱を取り出した。 焦げ茶色のリボンで綺麗にラッピングされた手のひらサイズの箱には、一粒500円はする高級チョコレートが入っている。 これは流石に臨也相手に安物の板チョコではならないだろうと、休憩時間にわざわざ某有名チョコブランド店のショップまで行って買ってきたものだ。 そもそもの始まりは、数ヶ月程前から、たびたび俺のアパートの部屋に出現しては家事をしてくれる『妖精さん』の正体を、つい数週間前に思わぬ形で臨也だと突き止めた事に尽きる。 「紅茶入ったよー、シズちゃん砂糖とミルク要るよね……って、ぅわ、何でシズちゃん立ってるの……座ってていいよ?」 紅茶の入ったティーポッドが乗った盆を持って戻ってきた臨也が、未だに部屋で立ちっぱなしだった俺に首を傾げる。いつもの性悪な表情は成りを潜め、小動物のような印象を醸し出していた。よく見るとスリッパがウサギである。 なんだこいつ意外とかわ……いや、違う違うと一瞬頭をよぎった事を吹っ切るように頭を振った。 「取り敢えず座ってよ。お茶、淹れられない……って、なに?」 俺をソファに促す臨也の前に立ち、眼前に迫る臨也の黒い頭部に箱を載せる。 「何だねシズちゃん」 「何ってバレンタインだろ。今日はよ」 「なんでシズちゃんが俺にチョコくれるの……? ていうか、なんで手持つの。頭、落ちる落ちる、なんで乗せる」 マシンガンのように疑問符をぶつけてくる臨也の手を掴むと、そのせいでバランスを取ろうとする臨也がぷるぷると震えていた。 「土産だ。土産」 「お土産?」 怪訝な顔をする臨也にちらりと視線をやり、投げやりに答える。すると臨也は確認するように赤い目を俺に向けた。 「シズちゃんうちに遊びに来たの?」 変な勘は鋭い癖に微妙にずれたことを言い出した臨也に俺は嘆息を吐く。当たらずとも遠からず、だ。 俺は別に臨也の家に遊びに来たわけではない。連日の仕返し、もといお返しをしに来たのだ。 「違ぇ、だからよ、あれだ、礼っつーか……仕返しだ。仕返し」 「……は?」 「いいから早く受けとれよ!」 半ば切れ気味に言ってやると、臨也は戸惑ったように身動いだ。そして拗ねたように唇を尖らせて小さく呟く。 「早く受けとれって言われても、シズちゃんが手持ってるから動けない……」 「早く言えよ。……ほれ」 仕方がなく手を離し、臨也が持つ盆の上にチョコレートの箱を置いた。臨也は納得いかないと言わんばかりの態度で机に盆を置き、その箱を受け取るとちら、と俺を見る。 「言っとくけど安かねぇぞ、それ」 何せ一粒500円のチョコレートだ。俺でも滅多に買わないような高級品である。 俺はその高級チョコがどれだけ美味いのか食べたことがないので解らないが、高いだけあって恐らくとても美味いだろう。 臨也は暫く妙な顔をしてチョコと俺を交互に見比べていたが、突然くる、と俺に背を向けた。 なんだかよく解らないが、雰囲気が妙だと俺は首を傾げる。 言っておくが毒なんざ入っていない。買ったままのチョコレートだ。 臨也は俯いて俺に背を向けたまま、蚊の鳴くような小さな声で呟いた。 「…………ぁ、りがと」 そしてカチャカチャとティーポッドから紅茶を注ぎ、当初のもてなしようとは打ってかわってぶっきらぼうに「お茶」とだけ言った。 茶を淹れている間、臨也は決して俺と顔を合わせようとしなかったが、よく見ると臨也の耳が桃色に染まっている。 「心して食えよ」 臨也の反応に満足して俺はソファに腰を下ろした。 終 |