今日は寒い。

寒い日は温かいものが恋しくなる。それは真理だ。例えば寒空の下で啜る温かい缶コーヒーは格別だし、一日中働いてくたくたになって冷えた身体に温まった炬燵と鍋なんて昇天ものだろう。寒いと人は家に居つきたがる。というわけで今日という日は大いに寒い。かくいう俺も早く早く家に帰りたくて仕方がない人々の一部である。
マフラーに顔を埋め、手袋をしていてもまだなお寒い手のひらを擦り合わせて猫背がちに家路を急ぐ。
とはいえ俺の家はしがない単身者向けのボロアパートなので家に帰っても全て用意するのは俺なのだが。

見慣れたアパートの手前まで来た所で自然と足が早まる。鍵を取りだし、冷えたノブを捻ると、ガチャンという重い音がした。
あれ? と思い、ノブを回すと鍵がかかっている。開けたはずなのにおかしい。気を取り直して再び鍵を捻る。

「あ、おかえりなさーい」
「…………」
「シズちゃんおそーい! お鍋煮えちゃうじゃん」

扉を開けた瞬間、俺を出迎えたのは芳しい出汁の香りとノミ蟲野郎のやたらと明るい声だった。

「早く座って座って。白菜いれるよー俺食べないけど。あ、春菊もいれちゃっていいよね? 俺食べないけど」
「…………おい」
「鶏肉鶏肉……っと、俺食べないけどいれるね」
「……どうやって入った」
「豆腐投入っ…………え? 合鍵だけど」
まるで当たり前の事のように細身の黒いパンツのポケットから見覚えのある鍵を取り出し、臨也はいそいそと炬燵に潜り込む。
それにしても好き嫌いが多すぎるのではないか? 白菜も春菊も肉も食わないなら一体何を食べるというのだろうか。

「勝手に作ってんじゃねえよ!」
「え? 今さら? 大分前から作ってたと思うけど」

臨也が意外そうな顔で首を傾げる。
まさかとは思うが、ここ最近貯めこんでしまっていた洗濯物がいつの間にか洗ってあったり、タンス内が片付いていたのは全て臨也の仕業だったのか。臨也のその発言でここ数ヶ月間の謎がすべて解けた。

「あ、シズちゃん、汚れた下着洗って畳んどいたから。あとついでだから夏物のスラックスもクリーニング出しといたよ。沢山あるのはいいけどたまにはクリーニング出さなきゃ駄目だよ。ハイ」

いい具合に煮えたくたくたの白菜と春菊がよそわれた器を手渡され、とりあえず手を合わせる。
外気で冷えた俺の身体は湯気の立つ鍋のお陰で芯からすっかり温まっていた。
鍋は…………とりあえず美味い。ノミ蟲の事だから普段から良いものを食っていて舌が肥えているのだろう。俺が作る料理もどきよりも手が込んでいそうな味だ。

文句を言うつもりだったのだが飯が美味いので言いづらい雰囲気になってしまった。
今は飯も食い終わり、臨也が台所で洗い物をしている。どうやらあの鍋は材料費も全て臨也が出したらしく、食べるだけ食べておいて何もしないというのも妙な気分なので風呂でも洗おうと立ち上がるが、湯船には既に熱い湯がなみなみと注がれていた。
「……あ、お風呂入る? バスタオルそっちね。使ったら洗濯機入れといて」

そして何を勘違いしたのか風呂場を覗きこんできた臨也にきれいに畳まれた寝巻きを渡される。
違うというのもおかしいので浸かった湯加減は最高だった。更に言うと湯上がりで既に用意されていたバスタオルは柔軟剤のCMのようにふかふかだ。

すっかり温まってさっぱりした俺が居間(……とは言ってもワンルームなのだが)に向かうと既に臨也はいなかった。代わりに炬燵の上にはあいつ特有の丸まっちい汚いクセ字で書かれたメモが置かれている。
拾い上げてみると『タクシー拾って帰る。鍋で余ったもので適当に作っておいたから朝食べて(^^)』とだけ書いてあった。
見るとラップで包まれた小さいお握りが4つ、皿に乗っている。

なんというか……マメである。

不法侵入に対して起こる気にもならず、なんとなく万年床になっている布団に腰を下ろすとふかっと腰が沈んだ。どうやら干したらしいそれは微かに日向の匂いがする。

「…………何しにきたんだ?」

どこをどう見ても荒らされた形跡はない。それどころか部屋の四隅に積もった埃まで綺麗になっている。
不法侵入に関して以上に臨也は何がやりたかったのだろうか。
疑問符ばかりの思考のままごろりと布団に寝転ぶと、ほかほかと温かい何かが背中に当たった。何だろう、と手を伸ばすと黒猫の形をした湯たんぽが出てくる。

マメである。実にマメである。本当は俺の事が好きなんじゃないかと疑うほどマメだ。

とりあえず温まった布団に潜り込み、ふと奴は一人暮らしでなかったかと考える。
今頃はもう家に着いているだろうか。あの嫌みなほどでかいマンションでは暖まるまでさぞ時間がかかるだろう。

(今度奴ん家に土産でも持ってくかな)

何事もやられっぱなしでは気分が悪いものだ。臨也が何を好きかは知らないが、高くて美味い菓子でも持っていけばまず間違いない筈だ。
いつもよりもふかふかで、湯たんぽによって温まった布団のせいかいつもよりも睡魔が早く襲ってくる。心なしか今日は気分がとてもよかった。