※よしながふみの洋菓子屋さんの話です。所在地は捏造(^_^;)




「お誕生日おめでとう」

臨也は唐突にそう言った次の瞬間、パンッという軽い破裂音と共に銀色や金色のテープと紙吹雪が静雄の頭上を華々しく舞った。

「これ、プレゼントね」

そして間髪入れずにべちゃ、と嫌な音がし、ぐちゃぐちゃに崩壊したチョコレートの破片や、油脂を帯びたバニラの甘い芳香を放つ白いクリームは、思わず顔を上げた静雄のちょうど顔面に落下した。アスファルトを見ると砕けたチョコレートの欠片に『HappyBirthdayシズちゃん』と言うファンシーな文字が躍っている。
ぼとぼととスポンジの欠片を落としながら、静雄は無表情で空を見上げると、池袋の明るい空を背景にして雑居ビルの屋上フェンスに座った臨也の姿があった。臨也はケーキが入っていたであろう白い空き箱と使用済みのクラッカーを持っている。
静雄はとりあえず視界を遮るクリームを拭い、唇を舐めた。牛乳をそのままふわふわにしたようなミルキーな甘いクリームの味が口一杯に広がる。

(……うま)

あまりの美味さに静雄はとりあえず、空を見上げた。ビルとビルのちょうど間、臨也の頭上に強く光る月が輝いていた。

「それじゃあ、おやすみ」

しかしビルの向こうへ飛び降りようとする臨也を見、静雄ははたと我に返る。そして自分の顔面にぶちまけられた無惨な美味いケーキのことを思い出し、出鱈目に地面を蹴りあげて、屋上のコンクリートに足を着いた。トンっという信じられない程軽い足音を立て降りたった静雄は、去っていこうとする臨也の腕を掴み、ぐいっと引き上げた。

「!?」

いきなり引き上げられた臨也は、頭上にクエスチョンマークを浮かばせながら足をバタバタとばたつかせている。

「まぁ落ち着けや」

静雄は臨也を一旦屋上に放り投げ、胸ポケットに入った煙草に火を点けた。
溶けたクリームで自慢のバーテン服が汚れたのを不快に思いながらも、紫煙を深く吸い込む。そして衝撃で呻いている臨也の首根っこを掴み、目線の高さまで持ち上げた。
臨也は焦ったような余裕なような、まるで追い詰められた野良猫が威嚇している時のような目をして静雄を見た。

「このケーキ、あれだろ。世田谷の住宅街にできたとこ。わざわざ買ってきたのかよ」
「…………ッ」
「彼処美味ぇよな。前に仕事であっちの方まで行ったからよ、ついでに寄ったんだけど。値段が手頃な割にすげぇ美味ぇからトムさんもこれなら食えるっつってな」

静雄は対して気にも止めず、捕まった猫のように暴れる臨也を無視して、ゆっくりと紫煙を吐き出した。その煙が顔にかかった臨也はケホケホと噎せながら静雄を睨んだ。

「……ッ、離して、くれない?」
「厭だな。手前どういうつもりだ? んな美味いケーキを無駄にしやがってよ」

今にも毛を逆立てて威嚇しだしそうな臨也を持ち上げたまま、その顔をまじまじと観察する。

「つかお前、何考えてこれ買ってきたんだよ。今どんな顔してんの」

油断すると引っ掻いてきそうなので気を付けつつ、くわえ煙草をコンクリートに落として足でもみ消した。
臨也の顔は至って普通で、いつものようなニヤニヤとした笑みは無いもののやはり何を考えているのかわからない表情をしていた。

「やだえっち、聞きたいの?」
「うぜぇ」

調子が戻ったのか軽口を叩き出す臨也に苛ついて眉を潜める。

「別に通りがかっただけさ。それで、ただの気まぐれ。そしたらシズちゃん今日誕生日だって聞いたからさぁ」
「なんで手前が俺の誕生日を祝うんだよ」

犬猿の仲とまで言われる臨也が静雄の誕生日を祝うなど考えられないことだ。
最も臨也は静雄の頭にケーキを落下させただけだが。

「悪戯にしちゃ随分と手が込んでるよなぁ、臨也くんよぉ」

ぶちりと血管が切れる音と共に静雄の米神に青筋が浮かび上がる。それには別段堪えた様子もなく、臨也は口元にやにやと笑みを湛えながら足をぷらぷらと遊ばせた。

「離してよ。苦しい」
「誰が離すかこのクソノミ蟲」
「じゃあ離さないでよ」

静雄の力が一瞬緩んだ隙をついて、臨也は静雄の手からするりとすり抜ける。
音もなくコンクリートに足を下ろし、静雄から瞬発的に飛び退いた。

「気色悪ィ」
「奇遇だね。俺もだよ」

一定の距離をくすくすと笑みを浮かべながら後退る臨也を不動のまま見つめ、静雄は額を伝う生クリームを拭った。
ガツン、と臨也の靴がコンクリートにぶつかり、後ろには絶壁が広がる。
ついに逃げ場が無くなった臨也は、背後をちらちらと気にしながらじっと静雄を見つめていた。表情には表さないがぎゅっと拳を握りしめている。

「…………おい」
「なにかなシズちゃん」
「もう逃げ場は無ぇぞ」

臨也を追い詰めるように一歩また一歩と、静雄が歩を詰めていく。そして臨也と静雄の距離があと数センチ、というところまで詰まったところでようやく歩を止めた。

「なに?こんなに近付いて。シズちゃん俺にちゅーしたいの?」
「んなわけあるかド阿呆」

静雄は臨也の腕をがし、と掴んで手前に引き、その拍子でよろけた臨也の肩を受け止める。

「手前よぉ……どういうつもりかって聞いてんだよ」

臨也を足場のしっかりしたコンクリートの上まで引き摺ってきた静雄は額に青筋をたてながら尋ねた。

「だからシズちゃんの誕生祝いだって。他意は無いよ」
「嘘だな」
「嘘じゃないよ。本当、ただの気まぐれだってば」

掴まれた腕をどうにか外そうともがく臨也の事等まるで無いことのように静雄は手に力を込める。
みしみしと骨が軋む音がし、臨也は顔を歪めた。

「本当か」
「ほ、んと……っだよ……っ!」

苦痛に眉をひそめた臨也を見、静雄は腕を掴む手を微かに緩めふむ、と頭を垂れる。

「わかった、信じる」
「なら離せよっ」

噛みつくよう臨也の言葉は無視して、静雄は臨也をまるで重い荷物か何かのように軽々と担ぎ上げた。

「祝うなら普通に祝え」

スタスタと歩き始める静雄の上でジタジタと暴れながら臨也は喚いた。しかし当然ながら力で臨也が静雄に叶うはずがないのだ。
これは無駄に体力を消耗するだけだと、早々に理解したのか臨也は抵抗をやめた。

「どこ行くの?」
「ケーキ屋」
「今から?」
「彼処、ラストオーダー午前3時だろ、まだ10時だから余裕じゃねぇか」

臨也の問いに静雄はまるでなんでもないことのように言った。臨也が固まる。甘味通な静雄が知る限りその時間まで営業している都内にあるケーキ屋は一軒だけだ。

「嘘でしょ、今から行くの?そのケーキまみれの格好で?やめてよ、格好悪いじゃん」

ケーキまみれの静雄に担がれているせいで臨也も同じくらいケーキまみれなのだが、今さら突っ込むものもいない。


「まあ、諦めろよ。あああと俺はタルトタタンとシュークリームでいい」


背中で臨也が何か言いたげにしていたがそれはとりあえず無視することにした。
臨也の都合は知らないが、幸いな事に明日は日曜で静雄には久しぶりの休日だ。

「あー……まだ残ってっかな……」

静雄はぼんやりと呟いた。