なんだかすごく長い1日だったように思える。 臨也は憔悴しきった身体をベッドに埋め、ベッドサイドに置かれたドタチン製のウサギを睨んだ。 元はと言えば俺が言い出したことだが、見れば見るほど不細工なこの人形を後生大事に持っていた人物も人物である。一体どんな奴だろうか。その人物について少々気になるが――――生憎、そんなことを流暢に考えている場合ではなかった。 とりあえず一旦丸く収まりかけた出来事は、更なるややこしい事態となって臨也の身体に残されたいくつかの痣の疼痛とともに忌々しく残ったのである。それが臨也の頭痛の元だった。 「……」 昨日のすったもんだから一夜明け―――― 臨也と静雄は帰国の途を辿っていた。 本当は、空港まで一緒に行ったあと手洗いに行きたいなどと適当な言い訳をして別の国際便に乗って高飛びしてしまおうと企んでいたのだが、臨也のその計画はしっかりと静雄に握られた左手によって阻止されている。 しかも振りほどけないようにがっちりと恋人繋ぎをされているものだから、臨也は羞恥のあまりホテルから空港に向かうまでの間、深くフードを被って下を向いていた。 ふと臨也がちらりと横目で静雄を見ると、静雄は無表情を装いながらも空気中にほわほわとした隠しきれない幸せ色の花を飛ばしている。 (……ま、付き合ってる間くらいなら、いっかな……) いくら極悪非道で最悪極まりないと噂される臨也とて、普通の感性をした人間だ。 ずっと嫌われていると思っていた相手の幸せなオーラを身近で浴びながら、臨也は複雑な気分でその様子を観察していた。 「おい、手前荷物これだけかよ」 静雄は臨也のボストンバックを手際よく手荷物入れに押し込むと、思案に耽っていた臨也の頭上で言った。 「え?ああ……元々長く滞在するつもりなかったし」 当初の臨也の計画は、こうして静雄が追いかけてくることを見越して、とりあえず顔見知りの居るイタリアに身を寄せてから改めて体制を取り直して他国に逃げようというものだった。 (まあ……こんなに早く来るとは思ってなかったんだけど) あの場で九十九屋が出てくることは、臨也にとって完全に計算違いの出来事だったのだ。 そして一晩あけた今日、出国手続きも終わり静雄たちは東京行きの便に乗っていた。 ぼすん、とシートに身体を埋めた静雄はすかさずひじ掛けに置いてあった臨也の手を握りしめる。(……ああ……視線が痛い……) 三列シートの窓際から順に座り固く手を繋ぎあっている静雄と臨也は、席を探して通路をさ迷う人々の視線を集めていた。静雄の隣席の女性は居心地悪そうに身体を通路側に目一杯寄せているのがわかる。 臨也は試しに、握られた手をほどこうと腕を揺すってみる。が、案の定びくともしなかった。 「……シズちゃん」 「あんだよ」 憮然と答える静雄に苛立ちを感じながらも、今はその時ではないとむかつく腹の内を抑える。 「……みんな見てるよ……?」 「関係ねえ」 ――――――あるだろ!! 一蹴された言葉に臨也は更に苛つく。 煮えくり返りそうな腸をどうにか抑え、臨也は息を吐いた。 「は……恥ずかしいんだけど……」 「じゃあ寝てろよ。そしたら気になんねえ」 (そんな都合よく眠れるかっての!) 「ちょ、それじゃ俺がもしトイレ行きたくなったらどうすんの?行けないじゃん」 抑えがたい生理的欲求について突いてやると、静雄は一瞬だけ眉を寄せ考え込む。 そして思いついたように口を開いた。 「…………俺がついてく」 はっ?と静雄の思いがけない言葉に臨也は目を丸くした。そしては、と我に返ると、さっと血相を変える。 「……え……!?それ、すっごく嫌なんだけど……!!やだ!!最悪!!離してよ!!」 「暴れんな!大声出すな!」 「シズちゃんとトイレとか信じらんない!!!!嫌ーッッ!!!!!!」 突然顔色を変えて暴れだした臨也に焦った静雄は、シートから身を乗り出して臨也の肩を押さえつける。 「離してー!!やだやだ離してよ!!やだ!!!」 それでも大声をあげ続ける臨也の声に、周囲の人々が一斉に振り向いた。静雄はその視線に気が付き、慌てて臨也の両手を一纏めにくくりつけて口を塞ぐ。 「んーンムム!!!!」 「とりあえず黙れ!大丈夫だ、中までは流石についていかねえよ!………ぅわっ!?」 「……ンむッ……そういう問題じゃねえよ!!」 急に臨也の口を覆っていた手を離した間を縫って臨也は叫んだ。 「ぺぺっシズちゃんの手なんか舐めちゃった……!!」 噛み付いても無駄だと判断した臨也は、咄嗟に口を覆う静雄の手のひらを舐めたらしい。大袈裟なまでにぺっぺっと唾を吐き出す。 「………………なんかとはなんだよ」 そんな臨也の様子を見ていた静雄が眉を寄せて不機嫌そうに呟いた。 「お……っ、俺たち一応、スキンシップくらい、付き合ってんだからこのくらい普通だろ!?」 「スキンシップ!?これのどこが」 そして臨也から顔を背け、真っ赤になりながら言い放つ。 (ちょ…………何?この反応……。おかしくない?つかそこ照れるとこじゃないし) ぎこちない静雄の反応に臨也は首を傾げながら、静雄を胡散臭げに眺めた。そして少し何事かと思案を巡らせたあと、はた、と思いつく。 「シズちゃん女の子と付き合ったことないでしょ」 「………………なっ!?!?」 「…………あ、やっぱり」 「悪いかよ!?つかなんでわかったんだ」 ――わかるよ。 あからさまに焦った様子であたふたする静雄を見ながら、臨也は乾いた笑みを漏らした。 「じゃ、シズちゃん童貞?風俗経験もなさそうだもんね……ちょっ、殴らないで!」 「――――あ!?」 照れ隠しだと言わんばかりに拳を振り上げた静雄に臨也は目をつぶって身を固くした。 臨也の頭に振りかざされる寸手のところでピタリと止まった拳に、うっすらと目を開けて臨也は身体に入れた力を緩める。 「からかってない!からかってないよ!……ただそうなんだなって思っただけ。あとあれをスキンシップだと信じてるなら今すぐ考えを改めた方がシズちゃんの未来のためにいいと思う。あと口より先に手が出るのもどうかと思う」 「ああ?……………おう」 「ん、よろしい」 とりあえず非暴力による形勢逆転を図った臨也は、安心してシートに身体を埋めた。 帰国が余りにも急だったため帰りの座席はエコノミークラスになってしまったが、欧米サイズに作られている席は平均日本人サイズである臨也には丁度良い具合だ。 シートが若干固く、隣席が異様に近いことを除けば、臨也が通路側というのもあってまあまあの席である。 臨也は身体を丸めてフードを被り、とりあえず簡易的なパーソナルスペースを確保した。片手を繋がれているせいで正直若干きつい体勢ではあるのだが、人より身体が柔らかい方の臨也にとってはそこまで苦にはならなかった。 ヘッドホンで外界の音を遮断すると、いよいよ隣の静雄の存在も薄くなる。とはいえ、繋がれた手のひらの温度だけはごまかしようがないものであったが。 臨也はそんな現実さえも遮断すべく、耳元で流れる古い洋楽に神経を集中させた。そのうちにうつらうつらと眠気という名の海に向かって船をこぎ始める。 睡眠不足というのもあるだろう。臨也は別段抗う理由もなくその心地いい微睡みに身を任せた。 ♂♀ (…………なんか、きもちい……) ほわほわとした日だまりの塊のようなものが臨也の頭をほむほむと撫でている。 (……ドタチンの手みたい……) そういえば高校時代、門田によくこうして頭を撫でられていた。無骨だが温かくて大きな手で撫でられるのはとても気持ちがいい。臨也はその日だまりに向かって夢うつつにふにゃふにゃとした笑みを浮かべた。 そして思い出す。 臨也の家は両親ともにバリバリのエリートサラリーマンだったので、父親も母親もあまり家にはいなかった。そのため祖父母に育てられた臨也は所謂『普通の親子関係』の実感が薄い。更に臨也は手の掛からない子供であったため、こうして父親に頭を撫でられる事はなかった。 (……安心する……) 情報屋という職も、いくら好きでやっているとはいえ、決して枕を高くして眠れない仕事だ。たった一度のミスで信用も命も消えてしまう。毎日が緊張の連続だ。 退屈を何よりも嫌う臨也にとってそれは天職そのものだったが、それでも疲労というものは身体に蓄積していくもので、再び意識が真綿の中に包まれていく。 温かい。心地いい。 ―――――悪くない。 つづく!! いざやさんはきっとファザコン |