――――やらかした。

――……言ってしまった。

「…………ねえシズちゃん」

(黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ俺の口!)
感情が理性に追いつかず、口が勝手に言葉を紡ぐ。

「……“俺のことが好き”って、嘘、じゃないよね?」





臨也がその言葉を口にした瞬間、静雄がくわえていた煙草を取り落として振り向いた。その目が見開かれている。
瞬間、臨也は心中で「あちゃー」と額を叩いた。失言したと回転の早い頭で瞬時に処理する。
(言っちゃった言っちゃった言っちゃった言っちゃった言っちゃった言っちゃっ……………………!!)
パニックに陥りつつ、臨也はばっと静雄から顔を背けた。
もし静雄に騙されていたとしたら、酷い恥だ。
プライドの高さだけでは誰にも負けない自信がある臨也は、顔色を赤から青に、最後は蒼白にして硬直した。

「……だっ、だからさっきからずっと好きだっつってんだろ」
完熟したトマトのように真っ赤になった静雄がぼそぼそと歯切れ悪く呟く。
――――嘘か?……いや、違うかもしれない。
情報屋という仕事を始めて数年、臨也はそれなりの信頼も集めてきた。法に護られない厳しい裏世界では信頼が第一である。そしてその信頼を得るためには、失敗などあり得ない。迅速な対応と、正確さだけが身を守るための最大の防御だ。
街の情報通を纏める元締め的なやり取りを主とする臨也にとって、相手の語る情報が正確なものか、それとも嘘か、それを瞬時に見分ける能力が必要とされる。その上であらゆる可能性を考慮した後に、正確な情報を割り出す。
そして臨也は今までこうしてやってきたのだ。人を見る目に関しては誰にも負けない自信があった。
自信があった故に、臨也は静雄が嘘を吐いていなかった事に軽い衝撃を受けた。
「え!?」
「あ?」
そもそも質問の意図がわからないと首を傾げる静雄に対して、変な意識をしていた自分が恥ずかしくなった。
「あ、う、」
臨也は顔を真っ赤に染め、パクパクと口を開閉させ、意味の無い音を漏らす。
「う、う、うそ、でしょ」
唇が震えているのか、上手く言葉を発することが出来ず、臨也は言った。
静雄は長い付き合いのなかでも見たことがない臨也の素直な表情に、ぽかんと口を開けたまま臨也の顔を見つめる。
「み、みみみみ、見るなよ!」
臨也がそんな静雄を撥ね付けるように叫んだ。
(……いやいやいやいやいやいやいや、いくらなんでもシズちゃんに意識するとか……!!馬鹿だろ!つか馬鹿なのは俺だよ!)
ぐるぐると思案を巡らせ、臨也は唸る。
「……う、じゃなくて!近寄るなよ!」
しかし静雄はずいっと半身を臨也に寄せ、静雄はまじまじと臨也を見つめたあと、顔を背けて照れたように言った。
「手前……もしかして俺の事、好きなのか?」
「はぁ!?」
静雄の言葉に臨也は耳を疑う。
「ば…………!」
しかし、頬が火照って二の句が次げない。
静雄はきょとんとして臨也の顔を見つめている。
そのまっすぐな視線に耐えかねたように臨也は顔を背けた。
「だっ、だって、シ…………ズちゃんが、嘘吐いてないじゃんか……」
「あ?」
語尾は殆ど消え入りそうな声で、臨也はゴニョゴニョと呟く。その言葉に静雄は首を傾げた。
「俺、は……いや、違うな。俺たち、そう。俺たち、が出会ってから10年の間、本当に、少しの嘘もなくお互い大嫌いだったじゃないか」
静雄にしてみれば、自分ははなから嘘を吐いていないのだから、臨也の言う言葉の意味がわからないのも無理はない。
しかし、臨也にとっては何度も何度でも確認したくなるような最重要事項である。
それは静雄がその常人離れした力と理解不能な論理展開の関数で、一点の曇りもなかったはずの臨也の人生を唯一邪魔するイレギュラーな存在だからだ。
「…………だから、だめ、やっぱ、む、無理、だと思、う」
だが、もし静雄とそういう関係になったとしても今さら、これまで積み上げてきたプライドや体裁をあっさり崩すことなど考えられない。
人間が好きだ。
愛してる。

「…………俺が、シズちゃんを好きになるとか、無理だよ」
臨也に臨也なりの人の愛し方を止める気は毛頭無かった。ありふれた生温い幸せに満足なんてしたくない。
静雄は持ち前の鋭い勘でそれを察したのか、なんとも言えない表情をして緩い拳を作った。
「……んなわけ無えよ」
「でも……無理なものは無理だもん」
「人間やって出来ないことなんて無えんだよ」
「俺とシズちゃんに限ってはあるんだよ」
臨也はきっぱりと断言する。

「手前は完全で無敵な情報屋とやらじゃなかったのかよ」
「それは、俺が悪いんじゃなくてシズちゃんが俺にとってイレギュラー過ぎるだけだろ」
「なんでも努力すりゃできるんだろ」
「そりゃできるよ。できた方が楽しいからさ。でも、俺とシズちゃんの場合に限っては俺が“したくない”」
「でも手前……いまさっき俺のことが好きって言ったじゃねえか」
その台詞に臨也は少し頭を捻り、顔をしかめた。
「…………言ってないだろ」
「顔真っ赤にしてたじゃねえか」
「はぁ!?でも…………口に出してはない」
「……………………………“でも”?」
臨也が発した何気ない一言を拾い上げ、静雄が首を傾げる。


「“でも”ってことは、“思った”ってことだろ?……同じじゃねえ?」
頭を捻りながら口を開いた静雄に、臨也は痛い指摘をされて言葉を詰まらせる。
(た……確かに……)
それから数秒間の沈黙が室内を包んだ。
気分が悪くなるくらいの静けさを、ホテルの外から聞こえるさざ波の音が彩っていた。
静雄は眉を潜めて俯いたあと、苦し気にゆっくりと言葉を紡ぎ始める。

「なあ……無理なんて言わないでくれないか……?」
そしてセルティや茜と話すときのような穏やかな声で臨也に言う。
「昔いがみ合ってたって、なんとかなるときはなんとかなるんじゃねえの?……もし、もしも手前が、少しでも俺のことを好きだて思ってくれてるならよ、その、なんだ」
静雄は少しでも自分の気持ちが臨也に伝わるように精一杯の語彙を振り絞った。
「……俺は、手前と、穏やかに暮らしてえ」
何か沸き上がってくる衝動に耐えるように静雄は、緩く作った拳をぎゅっと握り締め、じっと臨也の目を見つめる。
「……無理?」
捨てられた犬のような目で訴えかけてくる静雄に、耐えかねた臨也が目をそらす。
「お、俺とシズちゃんで?冗談でしょ?やなこった」
「……!!じょ、冗談なんかじゃねえ。マジな話だ」
「うそ」
臨也は静雄から顔を背けたまま、冗談じゃない、と呟いた。
(……俺とシズちゃんが?穏やかに?)
そしたら、俺が今まで人間を愛して愛して愛しぬいてやってきたことはなんだったんだ。
臨也は人間を愛していたからこそ、臨也の思惑からことごとくはみ出た、まさに人外と呼ぶに相応しい怪力をもつ静雄を嫌ってきたのだ。
…………だが、だがしかし、ここで自らその嫌い抜いてきた静雄を受け入れたらどうなるのだろうか。

(……俺とシズちゃんがくっつく……?)

この際、同性という問題は事態がややこしくなるため置いておくとしても、だ。

(そんなことをしたら人間観察だって人間をからかうことだってダラーズ内でちょっかいを出すことだってできなくなるじゃないか)

(それに、俺たちがくっついたら池袋が本当に平和になっちゃうそんなのやだしつまらない。俺にそんなの我慢できるわけない。どうせすぐ別れるんなら付き合うのなんて、ましてや結婚とか意味ないじゃないか)


―――――――ん?


どうせすぐ別れることがわかっているのならば、臨也が静雄と付き合ったうえで手酷く振ってやれはいいのではないだろうか。
そうだ。それがいい。思いがけず思い付いた妙案に、臨也は内心でほくそ笑んだ。



「――――……わかったよ」
「……?」
「シズちゃんは俺が絶対無理だと思ってたウサギをみつけてきたんだもん。……なら俺だって無理とか言ってられないよ」

臨也はいかにもしおらしげな態度を装って、項垂れたまま上目遣いで静雄を見上げた。
「……だからさ、いいよ。……でもいきなり結婚は考えられないから、とりあえずお友だち、から、で……いい?」
恐らくこの計画がバレたら静雄は盤若のごとく怒り狂うであろう。
もしかしたら今度こそ修正不可能なまでに関係がこじれるかもしれない。

ずきん

(――――……あれ?)

不意に胸が痛み、臨也は首を傾げた。
まさか、修正不可能な関係になることを恐れているのか?……とも思うが、臨也にとって静雄との関係は今までもこれからも変わらないものだ。だから今さら修正もなにもない。
臨也が視線を泳がせると、その時、タイミングよく眉を下げる静雄と目が合い、臨也は思わず弾かれたように目をそらす。
「……ッ」
「?」
首を傾げる静雄に背を向け、臨也は自分の心臓を押さえながら目をつぶった。
何故か心臓が痛い。原因不明の鈍痛がする。
臨也はそれを気のせいだと誤魔化すように、背を向けたまま口を開いた。

「だめ、かな。約束と違うけどさ」

静雄の表情はわからないが、臨也は痛みに耐えながら言葉を紡ぐ。

「…………………………わかった」

数秒の沈黙の後に、静雄の短い了承の声がした。





つづく!!