「シズちゃんなら出来そうな気がするのになあ……」 「いくら静雄君でも強靭なのは肉体だけで臓器とかは普通なんじゃないの? 解剖したわけじゃないから何とも言えないけど。今度解剖させてくれないかな。静雄君」 「悪趣味だよ、新羅」 臨也が新羅を見上げて眉を顰める。しかし、新羅が撫でる手を止めると、まるで『もっとしろ』と言わんばかりにぐりぐりと頭を新羅の手のひらに押し付けた。 (猫みたいだなあ……) 常日頃から新羅は、あの首無しの妖精さえこの世に居てくれればいいと思っている。だがしかし、同時に、この猫のような数少ない友人達の事も少なからず思っていた。新羅は臨也の髪を撫でながら、ふと感じた疑問を口にしてみる。 「何かあったの?」 「んー……」 眠くなったのか、臨也は曖昧に言葉を濁しながら無意味な相槌を打った。 「女の子っていいなあって思ったの」 「どうして?」 やはり眠いのだろう。口調が幼くなってきた臨也を前に、新羅は苦笑を浮かべる。 テーブルの上に置かれたペットボトルが、時間の経過のせいで机の上に新たな水たまりを作ってプリント類を湿らせていた。 「だって、お腹に子供作れるでしょ」 「でも身体に無駄な脂肪付きやすいよ?」 同じ女性でも、僕の可憐な首無し妖精は違う。彼女は人間ではないから、身体に無駄な脂肪なんて付かない。程よく引き締まった彼女の白い肢体を思い出し、新羅はこほん、と咳払いをする。 「しんら?」 「なんでもないよ」 こてん、と臨也は再び仰向けに寝転び、新羅の顔をじっと見つめた。 赤いガラス玉のような瞳が新羅を映し出している。 「無駄な脂肪付いたって、体力がなくたって、力が弱くたって、女は男の遺伝子を持ち逃げできるじゃない。ずるいよ」 「臨也は静雄君の遺伝子が欲しいの」 「うん」 「どうして?」 「うーん……」 子供に言い聞かせるような声音で新羅は尋ねた。 すると臨也は、少し考え込むような素振りを見せると、ふと何かを思いついたように「あのね」と言葉を始める。 「シズちゃんは俺の事、嫌いでしょう?」 臨也の突拍子もない発言に、新羅は一瞬「?」と頭にクエスチョンマークを浮かべたが、とりあえず頷く。 「でもねこの前初めて俺、セックスしたんだけど」 「え? 初耳だなあ。誰とだい?」 臨也があまりにもさらりとその事を言う為、新羅は驚愕の意を示した。そして同時に、静雄の事が大好きで大好きで、憎悪のレベルにまで達してしまった彼の『初めて』は男なのだろうか、女なのだろうか、とふとした疑問が頭をよぎる。 (そもそも臨也はゲイなんだろうか、それともバイなんだろうか) こてん、と首を傾げ、うーん、と臨也は小さく唸る。 「知らない人」 臨也は、一般的に言う問題発言を再びさらりと言い放つと、つまらなさそうに大きな欠伸をひとつした。 「知らない人とセックスって……ちゃんとコンドームは付けた? 性病とか、HIVとか、妊娠とかさ」 「うん、知らない人と粘膜接触なんて気持ち悪いじゃないか」 「つくづく君の倫理観を疑うよ」 やれやれ、僕は君の母親ではないけれど、十六にしてこんなにも爛れた性生活を暴露しだした友人に対して心が痛いよ。新羅は深い溜息を吐いた。 しかし、臨也の事である。恐らく性病や妊娠に関しては人一倍気を使っているだろう。 不意に新羅のシャツの袖がぐいっと掴まれ、臨也が話の脱線に対する抗議の声をあげる。 「ねえ新羅、違うってば。それでね」 「ああ、ごめんごめん。それで?」 話を促すように新羅は臨也の髪を撫でると、臨也は目を細めて続けた。 「セックスって意外と一瞬なんだなあって思ったんだ」 臨也は、くるくると自分の髪の毛先を弄びながらぼんやりと呟く。 「こんな数時間の出来事で、相手の一部が手に入るんだよ。しかもそれは完全に精子を身体に受け入れた方のものだ。その上、単なる一部が自分の細胞と結合して、形作って、人間になるんだよ。基は単なるタンパク質なのに。それってクローンみたい。すごいよね。ずるいよね」 半ば興奮したように臨也はそう一気に捲し立て、やがて熱に侵されたかのようにほんのり桃色に頬を上気させて、うっとりと言った。 友人は、女を抱いたのだろうか、それとも男か、抱かれたのか、抱いたのか、新羅は下世話だとは思いつつも、上から順に好奇心からの想像をした。他人の政治上に興味はないが、性格はともかく、顔だけは上出来な為、意外にもどれも気持ちは悪くないと思う。 「俺がもし女の子だったら、絶対にシズちゃんの事を押し倒すのに。シズちゃんの精子で俺の中が溢れちゃうくらい、溺れちゃうくらい一杯になって、俺の子宮にシズちゃんが辿りつくの。そしたら俺はすぐに日本を出て、俺の事もシズちゃんの事も、誰も何も知らない所に行って、永遠にシズちゃんの目の届かないような所に逃げるんだ」うっとりと話す臨也の頬を撫でると、手のひらにじんわりといつもより高い臨也の熱が伝わってきた。 臨也は一息に話し終えると、はふ、と、興奮して熱っぽい吐息を吐いた。 「でも、かよわい女の子に静雄君は押し倒せないんじゃない?」 「それはそうかも……でもきっと、シズちゃん童貞だから、ヤらせてって言ったら抱いてくれるかも。でも変な所、クソ真面目だから、ズボンだけ下ろしてフェラかなんかしたら意外にあっさり堕ちちゃう気がする」 「下品だなあ」 新羅はそこまで想像し、眉を顰めた。そして思わず漏れた感想にも、嫌な顔一つせずに新羅の膝の上で臨也はくすくすと笑う。 「まあ女の子にはなれないんだけどね」 「形だけならホルモン注射とか整形で作ってあげられるけど」 「形だけのはいらないよ。俺は子宮が欲しいの」 軽口の冗談のように新羅が提案すると、間髪入れずに臨也は人差し指を立ててちっちっち、と左右に振る。 「でも子宮があったら静雄君以外の人の精子でも孕んじゃうよ?」 「それもいいね。俺、人、ラブだから。むしろ人類の母になりたいな。皆俺から生まれるの。ビッグ・マザーだよ。憧れるなあ」 本気なのか冗談なのか判別しづらいように声を弾ませる臨也に、新羅は、全く中二なんだから……、と呟いた。新羅のその言葉を聞いた臨也は、けたけたと肩を震わせて楽しそうに笑う。 「臨也はセックス狂になりそうだね」 やれやれ、と肩をすくめた新羅に、臨也も唇を尖らせて抗議する。 「何だよ、俺はそんな淫乱じゃないよ」 「男のズボンを突然引きずり下ろしてその性器を口に咥えたりなんかしたら、誰がどう見ても充分淫乱だと思うけど」 「実際にはしないよ。するつもりもないし。もしも俺が女の子だったら、ってだけの話」 臨也のいつものような掴みどころのない飄々とした態度の中に若干湿り気が帯びる。新羅はそれを敏感に察知して、臨也の指通りの良い黒髪を撫でた 臨也の赤い双眸が、クーラーの冷気に冷やされた気だるい空間で猫のように細められる。 (いつからこんな顔をするようになったんだろうね) 撫でられている内に、やがて本当にうとうととまどろみ始めた横顔を、新羅は手の甲で静かに撫でた。 その内、長い睫毛を伏せて規則正しい寝息を立て始めた臨也を見つめ、新羅は、出会ったばかりの頃を思い出していた。まだあどけなさの残る丸い顔に、大きな制服。いつもどこか他人事のように教室を『観察』していた変わり者。 恋も知らないような赤い目をした少年は、同年代の友人が少ない新羅にとって貴重な存在だった。新羅の知る臨也という少年は、幼稚で、稚拙で、無知で、卑怯で、愚かだ。 「……なんだよ。ずいぶんと色っぽい顔をするようになったじゃないか」 くうくうと穏やかな寝息を立てる臨也に、新羅はゆっくりと顔を近づけて、止める。こつん、と額を合わせ、目を閉じた。 「……君は、ここまで堕ちてきちゃあいけないよ」 祈るように呟くと、臨也が小さな呻き声をあげて身じろいだ。 新羅は臨也から顔を離し、臨也の額にかかった前髪を払う。 そして、ふとした喉の渇きを覚え、机の上に置かれたびしょ濡れのペットボトルに手を伸ばした。 ぷし、という気の抜けた小さな音を立ててキャップを開け、中の透明な液体を嚥下する。 生ぬるく、甘ったるい液体が体内に堕ちて、腹の底で白いどろどろとした欲望の塊になって蓄積したような気がした。 了 |