13 | ナノ




皮膚が赤黒く引き攣れたようになって、無数の線を引く身体に、臨也は無表情で軟膏を塗布していく。風呂上りには必ず全身の傷跡に軟膏をぬるのが、最近の日課だった。傷跡とは言っても、とうに完治していて痛みは無い。しかし、痛みは無いながらも、かつての対峙で負った怪我の後遺症のせいで身体は満足に動かない。
あの対峙から何年も経った今でこそ漸く、なんの痛みもなく普通の生活を送ることができているが、黄根と間宮愛美によって池袋から遠く離れた地方の緊急病院に搬送された時、臨也は紛れもなく瀕死の状態であった。病院で目覚めた時には、正直、臨也自身も自分の生命力の強さに笑いがこみ上げたものである。そもそも臨也自身は、とりたてて運動能力が高いわけではなかった。人より少しばかり頭が冴え、人より少し動ける部類の人間である。それでも臨也が、『平和島静雄』と堂々と対峙する『折原臨也』だった所以は、単に臨也自身の並々ならぬ努力の賜物である。臨也がほかの人間に、勝るものがあるとすればそれはその、尋常ではない精神力と集中力だろう。その精神力を作り出したものが、平和島静雄への嫌悪だったとも考えられるが。
臨也はゆるいスウェットに足を通すと、のろのろと床暖房の効いたリビングルームへと向かった。リビングルームとは言っても、特に何があるわけでもない。黒い安楽椅子と、仕事に使っている黒のノート型PCが一つあるだけである。他には観葉植物はおろか、テレビの一つも置いていない。以前、自宅兼事務所として構えていた新宿にあるマンションにも、観葉植物くらいはあったと思ったが、今となってはそれすらもない。そのような殺風景な部屋にも床暖房と、最新鋭の室内空調機が備えてある。これは、体が冷えると傷に障ると、黄根が勝手に備え付けたものであった。臨也には、いくら自分の体が痛もうと黄根には関係のない事だと考えられてならないのだが、元来世話好きな男の事だ。傷だらけで、過去を背負った男に同情する意味でもあったのだろう。
退院し、このマンションに引っ越す際も黄根が何やら動いたらしい。とはいえ、その事を黄根自身に尋ねても「俺じゃない」と言い張るのだが。
現在、臨也は池袋から遠く離れた地方で、一人暮らしをしている。結局、臨也が日本国内を出ることはなかった。それは、いくら臨也が池袋という街から離れようとも、離れられないという、そんな理由なのかもしれない。それでも、東京からは随分と遠いこの街では、東京の小さな街の話など聞くこともなかった。
そして臨也の居所は、幼馴染である岸谷新羅はおろか、元秘書である矢霧波江も知らない。知っているのは、臨也を病院へかつぎ込んだ黄根と間宮の二人だけだ。間宮のことだから、臨也が生きていることや、現在の居場所のことなどすぐに池袋の人間に言いふらすであろうと思っていたが、今のところ臨也のその予想は外れている。
間宮は時折、自宅の郵便受けに農薬を撒くなどといった嫌がらせをしにやってくる。間宮が臨也の家を訪ねてくる時は大体、何か嫌がらせをしに来るときだ。例外はない。どのようなことでも大抵のことならば笑って済ませる臨也だが、一度、移動用にと買った中古車を故意にエンストさせられた時ばかりは参った。買い物に行くにも車がなければ不便な土地な上に、臨也は体が不自由である。途方に暮れている臨也の姿を見て、間宮はさも嬉しそうに生き生きとしていた。
安楽椅子に腰掛け、臨也は窓の外を眺める。星がちらほらと輝いており、あの頃のように月は照っている。街には小さな家の灯が点々と灯り、確かに人々の営みがそこにあるのだと感じられた。窓硝子に映った自分の姿は、以前より一回り小さくなったように感じられたが、以前と全く変わっていないようにも思えた。運動をしなくなったので、筋肉量が大幅に減ったのは確かである。最近、目が見えづらくなってきた。
そこで臨也は思う。ああ、自分もやはり人間だったのだ、と。静雄に対する明確な殺意が消えたわけではない。恐らく、今、静雄と対峙したとしても臨也は静雄を確実に殺す算段を立てるだろう。そして怪我の後遺症と老いに苛まれた体では、今度こそ命を落とすであろうことも理解している。それでも臨也は静雄を殺しにかかるだろう。そして静雄も、臨也がどのような状態であっても殺しに来る。そこに手加減や情などは一切存在せず、純粋な殺意だけを以て、拳を奮うのだ。この因縁は、未来永劫絶えることはない。
だからといって、死ぬのが怖くないわけではなかった。今でも臨也は自分の存在が消えてしまうことが怖くてたまらない。
それでもあの化物と刺し違えるのなら本望である。それは臨也の生きる意味であり、指針であり、目標である。
化物と巡り合ったその日から、『折原臨也』としての人生は始まったのだ。中学で旧友と出会い、奈倉という愚かな男の罪を被ったのも、『折原臨也』として生きるための布石だったのだと、今では純粋に思える。
今ならば臨也は純粋に、生きている喜びを伝えられる。生きているお陰で、生き存えたお陰で、再び平和島静雄を退治することができるのだ。これが喜ばしいことでなくてなんであろうか。平和島静雄が生きているという事実は、臨也にとって最も憎むべき現実ではあったが、同時に喜びでもあった。
いつか、臨也はあの街に帰るだろう。そして臨也が次にあの街に降り立つ時こそ、臨也は確実に静雄の息の根を止める。そして静雄も、臨也の心臓が完全に停止するその瞬間まで、呼吸をし、拳を奮うことを止めないであろう。
この因縁は臨也か化物か、どちらかがどちらかを殺すまで、未来永劫消え去ることはないのだ。