嫌煙家 | ナノ

※シッズーオはでてきません



「すみませんが、煙草、やめてもらえます……?」

慣れた手つきで煙草に火を点けた四木は、臨也の言葉に驚いたように目を見開いた。とはいえ、任侠の世界に身を置いて十数年、それなりの地位にも就いている四木のことである。その表情の変化は安易には読み取れない。それが出来る人間は、よほど優れた観察眼を持っているか、本人以上に四木のことを知っている人物だろう。
「あ、ああ……。これはこれは……。同席しているものの了承も得ずに、申し訳ありません」
四木はそのような動揺などおくびにも出さず、備え付けの灰皿で煙草の火をもみ消すと、手持無沙汰に両手を組んだ。
確か、四木の知識では目の前に座っている臨也も、どちらかというと前者の部類に入る人間であったような気がする。それなのに、当の臨也といえば、こちらの表情の僅かな変化に気付いている様子も無く、眉根を寄せた不機嫌そうな顔で冷めた紅茶を啜っていた。
(これはまた珍しいこともあったものだ)
仕事柄、四木も他人の感情の機微には敏感な性質だが、粟楠内でも食えないと評判の情報屋がここまで感情を露わにすることも珍しい。普段であれば、あの底知れない笑顔を顔面に張り付け、恐ろしく綺麗な顔で任侠者相手に堂々と腹の探り合いをするような男だ。
まるで悪戯が失敗して親に叱られる子供のように機嫌を損ねた臨也に、四木は内心で嘆息を吐いた。
臨也が粟楠の使い相手に機嫌を損ねた理由、それは、四木の些細なマナー違反が理由などでは決してない。なぜならば、この男の感情を表面上でも内面上でも、大きく動かす人間など、この世には一人しかいないからだ。そして四木自身も、その唯一の理由を心得ていた。それが臨也の鬼門であり、粟楠の切り札となることもありうると理解したうえで、あえて口に出すことはしない。
(ガキみてぇな面しやがって)
口元に両手を当て、机に肘をついてカウンターを眺めている臨也を見て、四木もまた、冷めたコーヒーを啜った。臨也の黒い細身のカットソーの袖口からは、円い紅い痕が覗いている。
「折原さんは随分煙草がお嫌いなようで」
「あ、いえ……」
語気を緩めてそう言うと、臨也は弾かれたように四木を見た。その瞳の奥が泳いでいる。
持ち前の意地の悪さからカマをかけてみたのだが、どうやら図星だったらしい。臨也はしどろもどろになりながら、それでも不機嫌は崩さず、憎々しげに呟いた。
「ちょっと、嫌なことを思い出してしまうもので」
そう言ってさっと袖口を隠す姿に辟易とした。
(予想通りすぎるのも、つまらないものだ……)
「そうでしたか……。では、今後、気を付けさせていただきますね」
「……よろしくお願いします」



臨也と別れた後、店の外に待機させていた黒塗りの車に乗り込むと、四木はそこでようやく大きな嘆息を吐いた。
目を瞑り、革張りの背凭れに身体を埋めると、再びの倦怠感が襲ってくる。

臨也の袖口から覗いていた赤い痕。彼の反応と位置だけ見ると、独占欲の強い恋人による所有痕に見えなくもない。だがしかし、実際のところあれはそんなに可愛いものではない。
確かに、意味合いだけで言ったら所有の証という意味では間違ってはいないだろう。
手首に付けられた赤く引き攣れた円い痕。あれはどう見ても煙草の火による火傷の痕だった。しかもあの反応から察するに、恐らくあの火傷は一つではない。あの赤い華のような所有痕は、臨也の身体の至る所に散りばめられていることだろう。
(ガキがどんなプレイで遊んでるのかは知らねえが、悪趣味なことはこのうえねぇな)
あの二人の関係について、四木が言えることは何もない。二人がセックスで暴力を持ち込もうが、愛を語り合おうが、粟楠に害がなければそれでいい。勝手にすればいい。
(付き合わされるこっちの身にもなっていただきたいものだ)
思い出される臨也の表情――――。
不機嫌と嫌悪感に満ち満ちた表情をしている癖に、開いた瞳孔と首から下の紅潮。どこか恍惚とした表情を浮かべて彼方を見る姿。
(平和島以上のド変態はあいつじゃねえか)
四木は煙草に火を点けながら、チッ舌打ちを吐いた。