※臨也さん不在 甘いものが食べたい。 それもプリンとか板チョコとかではないパフェとかケーキ的な。 唐突に訪れたその衝動に、静雄は半ば反射的に財布の中身を確認した。にせんはっぴゃくろくじゅうえん。……微妙である。しかし今は月初だし、たまたま昨日大きめの買い物をしたのもある。下ろせばいい話なのだが、果たして下ろしてまで食べたいかと問われればそうでもない。 いつもなら男一人で甘味というのも視覚的に如何なものかと二の足を踏むところだが、今日はどうにも自制が微妙だ。 (どうしても、今日は違ぇんだよなぁ) でもわざわざコンビニまでは行きたくない。 仕方ない、とせめて代わりになるものは無いかと冷蔵庫を開けた。 (牛乳と卵しか無ぇな……あと……パン) 益々もって微妙である。 うーん、と唸っていると、静雄の頭にある事が頭を過った。 「あ、なんだっけ、あれだ」 ふ……ふ……、ふがつくやつ。以前、いけすかない野郎の家で食べたあれは確か卵と牛乳で作ったのではなかったか。ふわふわで蕩けるように甘い。求める甘味とはかなり違うが、家にあるもので作るならタダだ。 「でも作り方わかんねーな……」 どうしようかと途方にくれる。 あいつが丁度よく来ればいいのだが……。いつも余計なタイミングで訪れる来客に、静雄はうんざりと溜め息を吐く。いや、あいつが来て嬉しいと思う事などあっただろうか。 (……いや、最近は苛つかねぇな) 確かに今までは世界中どこを探してもあいつ以上に自分を苛つかせる者などいないと考えていたが、最近の奴はどうだろうか。 相変わらず自分の周りをうろちょろはしてくるものの、あいつの持つきな臭さは薄まった。あいつの事など興味もないが、街でたまたま耳にした噂であいつが足を洗ったらしいという話を聞いた。今何をして稼いでいるかは知らない。悪趣味な噂だと、どこかの富豪のヒモだとか愛人だとか聞くが、どうでもいい。しかし、相変わらず資金は潤沢なようだし、情報屋ではないにしろ後ろ暗い事をしているには違いないだろう。 口に広がる優しい甘さは、どうしたってあいつのイメージではなかった。どちらかというとあれは、多分、母の味。 携帯を手に取り、連絡してやろうかとも思ったが、わざわざ呼び出してまで会いたい相手ではないなと思い止める。 そんな一連の動作を経てから、はて、メールアドレスを交換したのはいつだったかと考える。少なくとも最近だ。 その場に腰を下ろし、静雄は煙草の箱に手を伸ばした。一本取り出し、火を点ける。肺までゆっくりと紫煙を吸い込むと、求めていた甘味とは全く違う、渋くて苦い味に顔がしかむ。しかし、頭がクリアになって気持ちが落ち着いた。 一本の糸のように天井にゆらゆらと伸びる灰色の煙をぼんやりと見詰めながら、フィルターを焼いた灰を灰皿にぽとりと落とした。 わざわざあいつの家まで行って、大嫌いな暴力を奮わなかった。それからあの、甘くて旨い、ふ……なんとかを馳走になって、メールアドレスを交換したのであったか。 『そういえば俺たち、8年も一緒だったのにちゃんと交換した事なかったね』だなどと、まるでなんでもない事のように言い放って、赤外線で交換した。使った事はまだ、ない。 赤外線は、静雄があいつに感じていたものを思い出す暇もなく速やかにあいつのアドレスを受け入れていた。多少の複雑さを孕みつつ、静雄もそれを登録した。 だからといって、長年の恨みが全て水に流れたわけではなく、あいつの取り柄など、あの旨い、ふ……なんとかを作るくらいだろうと、静雄は今も、割と本気で思っている。それくらいに、あいつの作る、ふ……なんとかは旨かったし、変化したあいつの雰囲気は今までの負の感情を昇華させてしまうまでのものだった。 ぼんやりとしていると、煙草の火がフィルターぎりぎりまで達して指先を焼こうとしていたので慌てて揉み消す。 求める物は徒労なしでは手に入らない事がよくわかったので、今日は牛乳で我慢するかと手を伸ばした。 欲しいものに近いようで遠いその味で腹を満たしてから、万年床に潜り込んだ。足先が冷たい。 今なら呼んでやってもいいだろう。 終 |