お散歩原臨也







軽やかな音を立ててしなやかに細い足が地面に着地した。闇に溶ける存在は、辺りの影で染め上げたような姿だ。
彼の特徴であるファーコートは成りを潜め、今日は臨也の痩身を際立たせるような黒い5分袖のカットソーに同色のパンツという身軽な装いである。とはいえ、彼の格好に季節感が全く感じられないのは変わらぬ事だった。
旧暦では七夕とはいえ現代における8月は真夏である。ニュースサイトでは連日連夜真夏日や熱中症の文字が踊っている。そしてそれは彼らの根城である東京区内も例外ではない。昼間に比べれば幾分か冷えたものの、アスファルトの放射熱による熱気を夜の風がかき混ぜるように吹く。
しかしそんな亜熱帯の夜のような熱風など感じていないかのように涼しい顔をして臨也はとことこと歩きだした。もうすぐ日付も変わる。街行く人々の足が徐々に急ぎ始める。そうして最終電車が去った後の街に残る面々を観察するのが彼の束の間の楽しみだった。
臨也は路地に積み上げられたがらくたを踏み台にして軽やかにビルの壁をよじ登った。こうして自分の理想通りに言うことを聞く身軽な身体は臨也の自慢でもある。スムーズに動く事だけを考えて、無駄な肉を一切取り除いた身体には驚異を避けるための術がいっぱいに詰まっている。
少し高い位置から路地を見下ろし、路上生活者が身を潜め合う彼らの住み家を流し見た。
寝静まった住宅街。以前は昼に夜に池袋中を走り回っていた首無しライダーすら、今は愛しい恋人の元でぬくぬくと眠っている頃だろう。何時もは五月蝿い狂犬も静かだ。そんな事を考えていると、まるでこの街の王様にでもなったような気になって臨也はとても楽しくなってくる。何時もの倍軽い足取りでビルとビルの間を跳ね歩いた。
昼間は注目の的になっても、夜ならば大丈夫。涼しい顔をして彼方此方に行ったり来たりする。街の熱風だって、誰かに抱き締められているようで悪くはない。世界中に愛されているような気にさえなる。このまま足を踏み外して落ちたとしても何だか許せる、そんな気分だ。
臨也は両手を左右に伸ばしてバランスを取りながら、この両腕が羽になる想像をした。
危なげなフェンスの上をくるくると回りながら端まで渡ると、何故だか清々しい。
それから下を覗き見て、もしもここから落ちたら発見されるのは明日の朝だなどと考える。臨也に自殺願望はないので、間違ってもそのような事はしないが、想像するのはとても楽しい。
臨也はその場に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながら暇潰しに鼻歌など歌ってみる。狂犬が目覚めるまでの束の間の天下だ。
朝が来たら元通り。まるでシェイクスピアだと笑う。臨也は夜が好きだ。
夜の街は昼見せない顔を持っていて、多くの人が知らない顔を持っている。夜でしか見れないその顔が堪らなく愛しい。
あの眠る家々に、眠らない者がいる事が堪らない。

さて、彼が何故このような時間に、あのような格好でふらふらと出歩いているのか。答えは単純である。散歩だ。
週に二、三度、繁忙期には少し控えられるが、臨也は真夜中の散歩に出掛ける。
目的は無い。ただふらりと足の向く方、気分の向く方へ、あちらこちらを行ったり来たりするだけである。今日はたまたま池袋だった。たまたま、というより、池袋で仕事だったのだ。

猫でもいないかと身を乗り出して下を見るが、さすがにいないらしい。非常に危なっかしい動作だが、それを叱る人はいない。夜の散歩は気分がいいが、余りにも変化のない景色は少々退屈だ。
臨也はその場に立ち上がり、そのままバネのように身体をしならせて後ろ側に跳んだ。たんっと小気味良い音を立てて、革靴がコンクリートを踏む。
上出来、今日も臨也の身体は思い通りだ。
ぐぐぐ、と大きな伸びをしてから腕時計を見る。三時半過ぎだった。見ると微かに空が明るい。今日は歩いて帰ろうかな、と、臨也は歩き出す。