※『愛され〜』から数ヶ月後 『あ、これ期限今日までじゃん』 『ん?』 半透明のプラスチックケースを手に、声を上げた臨也にサイモンは振り向いた。自分のパーカーを着た臨也は、四つ足を着きながらDVDデッキからディスクを取り出している。 線の細い臨也には大きすぎるパーカーでは、下に穿いている筈のハーフパンツを殆ど覆ってしまい、まるでワンピースのようだ。そこから伸びた足も細く、サイモンのそれと比べるまでもなく人形のようである。手のひらを出すためにたくしあげた袖も、余った布が多すぎてその細さが強調されていた。 細い首に乗った端正な顔も、大きすぎるパーカーのせいでやけに子供っぽく見える。よく日本人は童顔だと言うが、噂通りだとサイモンは思う。 『あー……忘れてた』 『ここ、馬鹿みたいに延滞料金高いから勿体無いよ』 『流石にもうやってねぇだろ』 『24時間営業だから大丈夫』 四つ足のまま振り向き、パッケージを手渡す臨也の薄い胸元と鎖骨が、広すぎる肩口から覗き見え一瞬だけドキリと胸が高鳴った。綺麗な鎖骨からきめ細かな肌を伝って淡い色をした突起のシルエットが覗く。それだけで下腹部に熱がこもった。 『サイモン?』 『あ……いや、何でもねぇ』 思わず凝視してしまった為、訝しげに眉を寄せた臨也に慌てて取り繕う。 『変なの……。ま、いいや。これ返しに行こうよ』 延滞料金勿体無いよ、と繰り返した臨也は、すっくと立ち上がった。立ち上がると余計丈が長くなり、膝上のハーフパンツの裾が微かに覗くだけだ。そして臨也はおもむろにパーカーを脱ぎだす。 『……ちょ、ちょっと待て!!』 『……何?』 脱ぎかけて中途半端な状態で止まった臨也は、余計変な顔をしてサイモンを見た。その冷たい視線に背中がぞくりとするが、一度伸ばしてしまった手は引っ込められない。 『そ……そのままで……!!』 『はぁ? やだよ、みっともないじゃん』 『いいから着てろ! ほら……あれだ! 外は寒ぃだろ!』 『まぁ……暖かいのは認めるけどさぁ……』 『わかりゃいんだよ』 『……でもやだ。誰かに見られたら恥ずかしいし』 『深夜だし誰もいねぇ!!』 『なんでそんなに必死なの?』 『煩ぇな』 言いながらも大人しく袖に腕を通す臨也に、内心ホッとして尻ポケットにウォレットを突っ込んだ。トレードマークの青いニット帽は面倒なので、フードを被る。 『フード被るとサイモンって古着屋の呼び込みのチンピラみたい』 けらけらと笑う臨也の頭を掴むと、臨也が痛いと笑いながら唇を尖らせる。 『おら、馬鹿な事言ってねぇで行くぞ』 並んだ大きさの違うサンダルに足を通し、薄暗い住宅街に出た。 『ん、でもやっぱり着てきて良かったかも』 10月後半特有の冷気に、ふるりと身体を震わせた臨也をしてやったり顔をすると、紅い相貌が不機嫌そうにそっぽを向いた。 「三泊四日のレンタルで、延滞は無しですね。少々お待ちください」 レジに立つ眼鏡の女性ににこやかな笑みを浮かべる臨也の後ろ姿を見つめながら、サイモンはブラブラと店内を回っていた。 デニスと違い、日本語が不自由なサイモンはこういう時は大体、臨也に任せている。 『あ、いた。君、ほんとでっかいね。シズちゃんより大きいからすぐわかるよ』 ぼす、とぶつかってきた体に視線を向けると、返し終わったらしい臨也がニコニコしながら立っていた。 そのまま臨也はサイモンの横に並ぶと、ロシア映画のコーナーを物色し始める。 『なんか殆ど見ちゃった奴だ。なんか借りてく?』 『いや……』 正直全く考えていなかったサイモンは、視線を巡らした。そして18と大きく書かれた暖簾に止まる。動きを止めたサイモンの視線を追うようにして臨也が見ると、サイモンは固まる。 『……ああいうの?』 臨也がくい、てサイモンの服の袖を引っ張り、馬鹿にするでもなく、からかうでもなく、首を傾げた。 あざとくも見えるそのしぐさだが、容姿の美しさもあって不思議とそう見えない。 サイモンが黙ったままでいると、臨也は再びサイモンの服の袖を引っ張った。 『俺は別に、いいけど……?』 見ると、色の白い臨也の頬が微かに赤らんでいた。 『た……たまにはいいかもね? えっちなの、も』 その言葉に、サイモンの下半身は更にずくりと熱を持った。フイと顔を背けた臨也は、耳まで真っ赤にしている。ぎゅう、と裾を握った手に力が入っていた。 『も……!! み、見ないなら、もう見んな!!』 思わずポカンとして臨也を凝視していると、耐えきれなくなった臨也が手を上げた。そしてサイモンの硬い背筋をバシンと叩くと、顔を真っ赤にしながら新作の邦画コーナーに大股でずんずんと歩いて行く。 「俺ばっか恥ずかしくて馬鹿みたいじゃないか……っ」 ぶつぶつと日本語で文句を垂れながら、頬を膨らまし、話題作を漁る臨也はまるで小動物のようだ。 サイモンも苦笑しながら傍らに座ると、臨也がギッとサイモンを睨む。が、羞恥で潤んだ目では、睨まれても対した威圧にもならない。 すっかり機嫌を損ねてしまったらしい臨也は、サイモンの顔を少しも見ずに数本の邦画を手にして立ち上がった。全くこちらを向かないところを見ると、意外と怒りが深いらしい。しかし、普段、薄気味悪い表情ばかり浮かべている臨也が、子供のように臍を曲げている姿を見るのは中々悪くない。 サイモンがそんな事を考えながら臨也の後ろを歩いていると、突然、臨也が立ち止まった。 『どうした?』 問いかけると、臨也が顔を背ける。が、臍を曲げての事ではないようだった。顔を覗き込むと、眉をひそめて唇を結んでいる。どうしたのかと思っていると、臨也は小さな声で呟いた。 『……シズちゃんがいる』 『静雄?』 反芻すると、臨也はこくりと頷いた。顔を上げ、臨也が向かっていた方に顔を向けると、確かに棚から覗く金髪があった。いくらなんでもあれでは静雄とは限らないだろう……と思い、臨也を見ると、臨也は憎々しげな顔をしている。 『最悪……なんでいるんだよ』 苦いものを吐き出すように言った臨也は、それでもなお動かない。サイモンが金髪の行く先を見つめていると、金髪が棚の間から姿を表す。 印象的な、あのバーテン服は着ていないにしろ、それは確かに平和島静雄だった。 下を向いたまま動かない臨也は、他人ならば不安になる程の無表情だった。 しかし――、その真意がわからない程サイモンは臨也に対して鈍くない。 サイモンは臨也が着ているパーカーのフードを掴み、それを乱暴に臨也の頭に被せた。 『っ!?』 『こうしときゃ見えねぇだろ、行くぞ』 『……っ』 二回りも小さい臨也の手をしっかりと掴み、ぐい、と引き寄せる。そして手を繋いだままレジに向かった。 『…………』 黒い小さな手提げ袋を持ち、無言のまま薄暗い夜道を歩く。臨也も下を向いたまま、一言も言葉を発さなかった。 『……』 下を向いているせいで、サイモンより一回りも二回りも小さな臨也が余計小さく見える。 そんな重苦しい沈黙を先に破ったのはサイモンだった。 『臨也』 『……なに?』 『好きにしていい』 サイモンの言葉に、臨也は首を傾げる。 『好きにしていい。俺は、手前を怒らねぇから、手前の好きなようにしたらいい』 『…………サイモン?』 臨也が立ち止まった。首を傾げてサイモンに問いかけた。 『……何の話だよ』 『俺はちゃんとお前を愛してるから』 『っ! ……っんなとこで……!!』 ばっと辺りを見渡した臨也を引き寄せ、サイモンは臨也の視線に合わせて屈んだ。 そしていつもの寿司屋での笑みを浮かべ、臨也の頭をぽふぽふと撫でる。 『だから、好きにしたらいい』 サイモンの言葉の真意がわからないのか、臨也が一瞬戸惑うような表情を見せる。 眉根を寄せて、すがるようにサイモンの手を握る手に力を込めた。 本人こそ気付いていないようだが、臨也の相貌の奥が揺らぐのを確認して、サイモンは臨也の手を引いた。 『……まぁそれだけだ! 帰ったらDVD見んだろ』 『サーミャ……?』 腕を引き、そのまま懐に寄せるようにして抱くと、臨也は黙ってされるがままになっている。 フードの隙間から上目がちに見つめる臨也の頭を撫で、触れ合う布越しに体温を感じた。 (そろそろ) ――自分の役目も終わりだろうか。 出身が出身だけに、引き際の大切さはよく理解している。ぎゅっと握られた手は、そろそろ手放さなければならない。 しかし、それをあっさり行える程サイモンは大人ではなかったし、割り切れない。だから、静雄を見かけたあの時、サイモンは咄嗟に臨也を隠したのだ。 自分が人並みに嫉妬する等滑稽で仕方がないが、今はまだこの温かさが愛しい。こんなもの、故郷にはなかった。 自分があの『会社』の人間達と同じようにもっと器用だったら話は違ったのかもしれないが、今さら言っても無駄である。 (男の嫉妬は醜いな……) 今はまだこの関係に甘んじていてもいいだろうか。 終 |