※『ハロー新世紀』その後です。これだけでも読めます。




目を覚ますと視界の端にきらきらと光るものがあった。手を伸ばし、触れてみると指の先にふわふわとしたものが当たる。
一本一本はざらざらとしているのだが、密集しているとまるで脂気の少ない洗い立ての動物の頭の毛を触っているような心地よさがある。
臨也が寝惚けた頭でそれをさわさわと弄っていると、きらきら光るもの突然のそりと動いてその手を払う。
臨也の手がベッドに落ち、すべすべのシーツを泳ぐ。それはそれで気持ちがいいのだが、振り払われたことが漠然と気に食わず、臨也は再びきらきら光るものに手を伸ばした。
ぽすん、と手のひらを乗せ、ぐりぐりと撫でる。感触が気持ちよくて頬が緩んだ。
邪魔もなく、機嫌よく撫でるうち臨也はゆるい笑みを浮かべる。
毛の根本から掬い上げるようにして撫でるその手を、一回り大きな手が掴んだ。
「……?」
とろんとした目でその手を見つめていると、手の持ち主が不機嫌そうな目で臨也を睨む。
その見覚えある顔に臨也は首を傾げる。何故自分の天敵がここに? はてここは自分の家でなかったか。
(……ああそうか。俺たち付き合い始めたんだっけ……)
一人合点を打つと、冷静になって昨日の出来事を思い出す。

昨日はいつも通り静雄が部屋を訪れる予定だったので、共に夕食を摂り、静雄が借りてきたDVDを見た。例の如く静雄の弟が出演している映画だったが予想外に面白かったので特典映像のノンクレジットOP、EDまでばっちり見てしまうと、既に終電を過ぎた時刻になっていた。
そんな流れで昨日は静雄が泊まっていったのだ。
(いつ布団入ってきたんだ……?)
決して沢山ではないのだが、DVDを見ながら缶チューハイを開けていたため臨也は静雄がシャワーを浴びている間に床についていた。仕事がいつもよりもハードで疲れていたのかもしれない。静雄が寝に入る頃にはもうぐっすりだった。
「……んだよ」
臨也の手首を掴んだまま静雄が問う。特に用はない。強いて言うなれば寝惚けていただけだ。寝起きだと目付きの悪さが一層強調されていつもの倍凶悪である。
「シズちゃん仕事は?」
そんなことを思いながら訪ねると、覚醒していないらしい静雄は枕に顔を押し付けて唸った。
「……ある。今何時だ」
「6時。朝食作るけど何か食べる?」
「……食う」
それじゃ離して、というと手首を掴む力が緩んだ。臨也は部屋着のパーカーのままキッチンに向かう。

さて食材は何があったか……と冷蔵庫を開けると玉子と牛乳があったので取り出す。
ボウルに玉子を片手で割り入れ、軽く黄身を崩すと牛乳を入れてカシャカシャと攪拌した。四分の一に切った食パンを四枚分玉子液に浸してから、再び冷蔵庫に向かう。
臨也一人ならばこれだけで充分だが、今日は静雄が居る。肉体労働系の仕事をしている彼にはこれだけでは足りないだろう。ソーセージとハム、野菜を取り出してサラダでも作ろうかと思案する。
フライパンにソーセージを数本放り込み、レタスを数枚冷水に浸けた。両親が不在がちだった上に一人暮らしも長いので手慣れたものである。
ジュージューとソーセージの焼ける音を聞きながらレタスとトマトを皿に盛り付けた。焼けたソーセージも静雄の分だけ皿に載せる。それから手際良くフライパンを軽くの汚れを流し、玉子液から一人分のパンを取り出した。
静雄は甘いものの方が好きだが、臨也は朝に限れば甘くない方が好みである。バターを落としたフライパンにパンを乗せて、残りの玉子液に砂糖を手早く混ぜ入れる。
「……腹減った」
「おはよ。もう出来るからコーヒー淹れてよ」
「……ん」
まだ眠そうな目を擦りながら静雄が姿を現した。トレードマークであるバーテン服のワイシャツとズボンに、蝶ネクタイとサングラスはまだしていない。
静雄は臨也のせいでバイト先を転々としてきた割に遍歴も長いため大体の事はそつなくこなす。勝手知ったる他人の家で手際よくコーヒーを淹れる姿を見ながら臨也は半ば呆れた。これだけ見るとただの寡黙な一般人である。
焼けたフレンチトーストを皿に盛り、チーズとハムを乗せた。フライパンにバターを足し、静雄用の甘いフレンチトーストを注意深く焼き始める。砂糖が入っている分焦げやすい。
甘い匂いが漂い始め、同時に静雄が淹れる芳ばしいコーヒーの香りも漂い始める。
静雄は鼻をひくつかせ、ぐう、と腹の音を鳴らした。
こんがりと焼けたフレンチトーストを皿に乗せ、メープルシロップを掛けて完成である。手早くフライパンを洗うと、食卓には既に二人分のサラダとコーヒーが並んでいた。
「フォーク」
フレンチトーストが乗った皿二枚を片手に、静雄が右手を差し出す。こういう姿は嫌味な程様になる。臨也は多少腑に落ちないものを感じながら二人分のフォークを差し出した。
静雄が綺麗に並べた食卓を前に、臨也も席につくと向かいに座った静雄が両手を合わせた。
「頂きます」
「……いただきます」
一拍遅れて臨也も手を合わせると、甘いフレンチトーストを嬉々とした顔で食べる静雄が目に入った。
「うめぇ」
小さな口でレタスをシャクシャクと食みながらその顔をぼんやりと観察する。朝からよくあんなの食べられるな……しかも傍らにはカフェオレだ。
横目でチラリと時計を見ると短針と長針がそれぞれ7時20分を指していた。
「シズちゃん時間、大丈夫?」
顎でくい、と時計を示すと静雄は頷いた。
「今日はいつもより遅めなんだよ」
「でも今日電車だからいつもと対して変わらないね。ざまみろ」
ソーセージを食べながら時計を見る静雄に相槌を打ち、けけけと臨也は笑う。
「あ?」
「べーつーに」
何でもないよ、と素っ気なく答え、臨也もフレンチトーストにナイフを突き立てる。調度良く余熱でとろけたチーズがハムと玉子に絡んで美味しい。

「ごちそうさまでした。旨かった」
「ごちそうさまでした」
「臨也、皿」
また一拍置いて手を合わせると、静雄が手を差し出した。重ねた皿を渡すと当然のように流しに入れていく。
手が大きな静雄が皿を運ぶと大体一回で食卓には何もなくなる。嫌みだが、便利に越した事ではない。
好き嫌いも対してないので作ったものは大抵食べる。むしろ臨也の方が偏食で食べられないものの方が多い。

出掛けにベストとネクタイをきっちり着込むと、そこには見慣れた喧嘩人形の姿があった。
一見すると普通の穏和そうな青年だが、その中身はサングラスと派手な金髪が妙に似合う狂暴な狂犬だ。臨也は静雄を見送りに部屋着のまま向かった玄関でふとそんなことを思う。
「ちょ、ワックス寝癖みたいになってる」
「マジか。やべぇ」
手を伸ばしてうまいこと傷んだ髪をまとめ、臨也は頷いた。綺麗に纏まったがこれではいかん、格好よすぎる。
えい! と両手でぐしゃぐしゃと髪を掻き乱すといい感じのワイルドヘアになった。イメージ通りの狂犬になったところで満足して手を離す。
静雄は何をするんだと少しばかり不機嫌そうな顔をした。何か言いたげだったが時計を見てやめた。
「池袋に来んなとは言わねえけど、その代わり悪ふざけで妙な事はすんなよ」
「言われなくても行かないしそればっかりは同意しかねる」
「同意しろよ」
「やだね」
これで何度目かのやり取りを繰り返した後、互いに睨み合う。分からん奴だと双方思っている筈だ。
カチ、と時計の短針が動く音で静雄がようやく我に返る。
「やべ……いいか? なら来んなよ?」
「はいはい」
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
言われなくても用でも無きゃ行かないよ、と踵を返すと見慣れぬ携帯がリビングでがチカチカと点滅していた。臨也のものではない。オレンジがかった黄色と黒の警戒色と言う色合いがよく知った誰かさんを彷彿とさせた。見覚えあるそれを手に取り、開く。

「あ」

呆然、そして不意をついて笑みが溢れる。
「シズちゃん遅刻じゃん……」
クツクツと笑みを漏らしながらパタンと閉じる。今日の午後は池袋に行かなければならなくなってしまった。