「また君か・・・」
半兵衛は溜め息を零す。端正な顔立ちは苛立ったように歪んでいた。
それに対してニマニマと、作った表情で虚無は答える。

「イヤだなはんべったら〜そんなムスッとしないの!可愛らしい顔が台無しだぜ?あはあは!」
「可愛いと言わないでくれるかな。それと僕は『はんべ』じゃなくて『半兵衛』だ」

『可愛い』
それは半兵衛にとって皮肉極まりない言葉。幼い頃からこの女顔で色々苦労をしてきた。
今だから笑える事から思い出すだけで身震いするものまで。
たくさんたくさん心労も重ね心も削られた。
からかわれ軽んじて見られ見縊られて・・・今居る地位を築くまで幾日も掛かった。
それを全部知っているクセに、わざと口にする虚無は外道そのもの。
半兵衛は逆に虚無を莫迦にしようと企んだこともあったが虚無は人外の存在。
人が口にする言葉で傷付く程可愛らしい心は持っていなかった。
半兵衛のお得意の毒吐きも目の前でニヤニヤ笑う輩には通用しない。
そうなると自然と無視するか我慢するか注意するかのどれかになった。
再度半兵衛は溜め息を吐く。
自分の所為で気分を害したのに虚無は気遣うように半兵衛の背をさすった。
触られることを拒まない程にまで心を許している様は実に矛盾している。
半兵衛自身は気が付いてすらいなかったのだが。

「おいおい大丈夫かよ?今にも死にそうな顔してっぜェ?あ・・・もうすぐ死ぬのか。肺結核で?アッハハ残念無念だな!」
「・・・それは君が、僕の夢を食せないからだろう」
「大っ正っ解!!よく分かったね!よく分かったね!流石は天才軍師」

虚無は思ったことをすぐ口にするタイプだ。
それは裏表もなく謀りもなく、何の嘘偽りもない。
だから素直に受け取った方があれこれ考える労力を消費せずに済む。
けれど虚無の言葉は、いつだって病に蝕まれる自分に向けての皮肉に聞こえた。
実際にそのような時もあっただろう。わざと人の気を荒立て、夢の味にデコレーションを加える。
その人が夢見るのは、さながら何の調味料も加えていない素の味。
けれど、夢を見ている本人に干渉し何らかの感情を湧かせれば・・・ユメの味は変わるのだ。
それを虚無はよく吟味しており、時に調味料を食事にぶっかける。

時には三ツ星レストランのように高級料理を
時には甘ったるいパフェに砂糖の入ったハチミツをぶっかけるように
時にはお袋の味といった庶民的極まりない素朴な料理を

虚無は自分好みの料理する。
そしてたまにはチャレンジャーのようにあらゆる調味料を加えながら・・・
虚無と半兵衛の付き合いはそれなりに長い。
もう十数年と続くこの夢限定の戯れは飽きが来ない。その代わりに精神的な疲労は溜まるが。
虚無は半兵衛でよく遊んだ。言葉であったり、ユメを操って苦しめたり、楽しませたり
その他にも両手両足では足りぬほど半兵衛で遊んだ。
それに付き合わされる半兵衛は、最初は嫌だと感じていたが次第に諦めの感情が湧き最近では自棄になって一緒に遊ぶようになった。
今回は、ただの質問タイムのようだ。

「はんべぇ!どうしてアンタは『秀吉』の為に身を粉にして働くの?」
「僕には夢がある。それだけだよ」
「夢!ゆめ・・・ユメかぁ・・・・・・それって人間が大層掲げる実現させたい希望のことだよね?」
「まぁ、大体はそうかな」
「ふ〜ん」

気紛れな質問だった。このやり取りを虚無は数秒で忘れることだろう。
それ程までに今の返答は気に入らなかったということ。自分から質問しておいてこの始末。
真面目に答えたのに、返ってきた言葉は『ふ〜ん』の一言のみ。
それにむかっ腹を立てるのは愚行この上ない。
こんな事にいちいち気にしていれば虚無とは付き合えないだろう。
ふと思い出したかのように虚無は拍手を打ち、破顔した。

「ああそうだ!はんべの余命、聞きたいか?オレはそういうのも分かっちゃうんだよ?」

悪魔の囁きが聞こえた。ねっとりと纏わり付く声に、半兵衛は鳥肌が立つ。
【余命】それは自分に残された唯一の時間
肺から全身に広がった毒素が、いつ心臓にまで達するか、いつまで秀吉の為に生きていられるか
半兵衛はずっと考えてきた。ずっとずっと苦悩し続けてきた。
それを、この目の前の物の怪は・・・教えれると答えられると分かると言った。
それが半兵衛にとってどんなに大きいか虚無は知らない。

「ね?ね?聞きたいんだろ?無理しなくても良いんだよ。此処にはオレとはんべーだけしか居ないんだから。ほら訊ねてみろよ『僕は後どれほど生きられるのか?いつまで謳歌できるのか?』事実を知って驚嘆してみせろ。泣き喚いた人間のユメは腹が抉れる程に美味くってよ、お前らヒトにも味わって欲しいくらいなんだぜ?この舌先に転がるまっこと美味なユメの味をよ?食べてみてぇだろ?あっはははははは!」

獏は一人笑い転げた。腹を抱え手の平を顔に添えて哄笑を隠す虚無。
口角は狐のようにニタリとつり上げ、身をくの字に曲げて笑う。
その姿は芋虫が身を捩らせる姿によく似ていた。
ユメを喰らわなければ消滅してしまう獏。
仲間も家族も友人も、己の同種さえ傍に居ない虚無は歪んでいた。
さながら残忍で冷酷で人の気持ちも汲み取れぬ化け物。
愚か者とさえ罵れそうな虚無は今日も今日とて人で遊ぶ。
彼には人『と』遊ぶ日は二度と訪れない。半兵衛は虚無の姿に哀れみさえ感じられた。
まるで手足をもがれた豚のよう まるで踏み潰された芋虫のよう
まるで蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶のようで・・・半兵衛は目を瞑り首を振った。

「僕には聞く必要もないよ。残された時間がどうであれ秀吉に全てを捧げる事には変わりない」
「・・・・・・・・・・・・あっそ」

下品に爆笑していた虚無はピタリと止まり、詰まらなさそうに相槌を打つ。
顔を覆っていた手の平をどければ、その表情は驚くほど冷めていた。
彼の高ぶりが冷めたと同時にユメは崩壊して行く。
空の欠片は彼方へ 地の破片は何処かへ 森も海も全てが枯れていく
それに同調するように、虚無の体もボロボロと崩れていった。
初見の人間は必ず吃驚するが半兵衛は慣れたもので・・・
ようやくこの苦楽が凝縮された世界に終わりが訪れた。

「あーあ・・・冷める冷める。やっぱりはんべは冷める。その決意は岩石のように強固。どんな雨粒でも穿つことのない鉄壁な意志。折れぬ、壊れぬ、崩せぬ。それじゃあどんなにオレが遊んだって面白くねぇじゃんかぁ〜・・・詰まんない詰まんない詰まんな〜い!!」

とうとう原型を留めぬほどに、虚無は消える。
それは水に浮かぶ泡のように儚くユメに溶けていく。
虚無は駄々をこねる子供と一緒だ。自分の思い通りにならなければ気に喰わない童と同等。
半兵衛は別れの挨拶にと手を振る。願わくば、これが最後となるように。
これ以上虚無に弄ばれるのはゴメンだ。半兵衛は、この歪んだ獏は嫌いではなかった。
けれど好きでもない曖昧な境界線。

「じゃあね、虚無くん」
「・・・・・・はんべのばかぁー・・・」

ユメは消失する。
最後に半兵衛の笑みを網膜に焼き付けた虚無は、半兵衛の残したユメをぱくりと頬張った。
ばりばり むしゃむしゃ もぐもぐもぐ ごっくん

「・・・やっぱり、はんべのユメはいつも薄い。嫗が作る味噌汁みてぇな味だ」

虚無は無表情で言葉を紡ぐ。
ちぇっ、と舌打ちし形を失ったユメから姿を消した。

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