「おお、すごいねぇ」
路地裏の一角、冷たい壁に背を預ける黒いコートに身を包む人影の目線の先。 無数の建物を隔ててもよく分かるほど、その倉庫は赤い炎と白い煙を上げ続けていた。 白煙と同じ色の髪を黒い帽子で隠した人物は、もくもくと空に広がる煙を眺めて記憶を探る。 いつかどこかで手に入れた知識があった、そう、それは。
「えーと…『火事と喧嘩はエドの花』…だっけね。何だっけ、忘れちゃった」
誰に言うでもなく呟いて、その言葉は拾われることなく風に流されていくだけの末路を辿るはずだった。 だが、応える生物が偶然にも、人影の前を通りすがり、立ち止まった。 立ち止まった白っぽい生物は体を黒い煤で汚していて、見間違えでなければ下水道から姿を現したようだ。
俗に鼠と呼ばれる、今は灰色となった生物は、どうやらただの溝鼠ではないらしく。 よく実験台に薬品を投与したりする、二十日鼠と言った方が可能性が高い。
人影は、それとなく懐から小さな包みを取り出す。 かさかさと広げて、現れたのは手作りであろうビスケットだった。
それらを小さく砕いて手のひらに乗せ、鼠の方へそっと差し出せば。 鼠は多少警戒する素振りを見せたものの、手のひらに乗ってビスケットを貪り始める。 空いた方の手で軽く鼠の背を撫でると、その人物はビスケットの破片を持って齧ったままの鼠を肩に乗せた。 「動物は可愛いよね」という呟きに鼠は首を傾げてはみせたものの、本能である『食欲』に比べればどうでもいいらしい。
帽子を深く被りなおし歩いていると、数人の男が揉める声が聞こえてくる。 四人ほどの不良に、地べたで蹲る老人が一人。
そして、若草色のスーツを纏った少年が一人、飄々と。
それはまるで、一つの物語の主人公であるかのように。
人影は唇を大いに歪ませて。 出来あがった三日月から、とても無責任な台詞を吐き出した。
1930年 11月 ニューヨーク 黒猫と白鼠、主役の少年が鉢合わせた
「面白くなってきた!」
そんな台詞を聞いてか聞かずか、不良のリーダー格らしい青年が、不機嫌そうにこちらを睨みつけてきた。
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