私が彼女と初めて会ったのは、まだ物心がつく前、赤ん坊だった頃の事らしい。 当然ながら私に記憶は全くないが、父や彼女がそう言うのだから嘘ではないのだろう。
「わぁ、これがヒューイの子供?君によく似てるけど不思議なことに殺したくはならないや」
初めて彼女に出会った時、私は酷く泣き喚いたそうだ。 本人に聞いて申し訳なく思ったが、彼女は笑って許してくれた。 ただ、一つだけ記憶にあるのは、二つの赤い月がそこにあったように思う、今思い出してみればそれは彼女の瞳だったのだと納得できる。
次に会ったのは、私が父の為に声を捨てる直前だった。 私には彼女に会った記憶がないに等しいのでほぼ初対面の状態だったのだが、彼女はやはり笑いながら親しげに話しかけてきた。 元より口数が少なかった私は少し戸惑ったが、接しているうちにどこか懐かしさを感じた。
「久し振りだね、ええと……シャーネだっけ? 僕の事憶えて、るわけないか、まだキミ赤ん坊だったから」
名前を尋ねれば、彼女はリオンと名乗った。 その日はリオンと色々な事を話したが、結局その名前を声に出して呼んだ回数は両手の指にも満たなかった。
私が声を捨てた次の日、またリオンと会った。 まだ声が出ないという状態に慣れ切っていない私の口は自然と開かれるが、当然声を出すことが出来ずすぐに口を噤む。 訝しげに首を傾げるリオンに、私は筆談で声を失くしたという旨を大まかに伝えた。
「そんな……!なんで、シャーネ……っクソ、ヒューイの奴!」
いつも笑っているような印象しかなかった彼女は、眦を吊り上げて怒りを示し、すぐ傍にあった屑籠を蹴とばした。 私の為に怒っていたのだろうか、それは分からなかったけれどもしかするとそうなのかもしれない。 だがこれは私が選んだことで、父の為なのだから私はこれで幸せなのだと伝えれば、リオンは複雑そうな表情を浮かべた。 白い髪を掻き乱し、猫のような唸り声を上げて言うのだ。
「僕はヒューイが死ぬほど嫌いだけど…シャーネの事は好きで、シャーネはヒューイが好きだから……悔しいけど、今回は何もしないことにする、よ」
浮かない表情でそう言って、リオンは背の低い私の頭をくしゃりと撫でる。 最初、こちらは筆談だったが、彼女は目を見れば大体私の言いたいことを分かってくれるようになった。
それから次に会った時にはもう、私は彼女と同じくらいの身長にまでなっていて。 ずっと姿の変わらないリオンが父とは似て非なる存在だと気づいてはいたが、だからといって私は彼女が遠い存在には思わなかった。 だが、すぐそこにいるはずなのに、どうしてか触れることが出来ないような錯覚に陥ったことはある。 リオンが父を嫌っている理由も何となく知っている、それは仕方のないことなのだとも。
恐らく私よりも永い時を生きるであろう彼女は、今もすぐそこで笑っていた。 自然と、私も胸のあたりが少しだけ暖かくなってくるような気がした。
「ん……何だ、シャーネ?何を見てるんだ?」 「……」 「ああ、リオンが来てるのか。会わなくていいのか?」 「……、…」 「そうか、じゃあ一緒に行こう。今は…ジャグジー達と遊んでるみたいだし」
私と彼の目線の先、窓の向こうでは、リオンがジャグジー達と戯れている。 ジャグジーはニースの隣で涙を流しているが、それはいつものことだったので皆笑っていた。 こちらに気づいたリオンが私達に手を振って、隣にいた彼が大きく手を振る。 彼はふと私にも目配せして、それは手を振り返せということらしく、躊躇いはあったが小さく手を振ってみた。 するとリオンは嬉しそうに笑って、上機嫌な様子ですぐ傍にいたドニーの肩に飛び乗って遊ぶ。
「さぁ、行こうシャーネ。あいつがいるとお前は楽しそうだから」 「……?」 「ほら。笑ってるだろ、シャーネも」
指摘されるまで気づかなかったがどうやら私は笑っていたらしい。 照れ臭くもあったが、優しく頭を撫でられて、数年前を思い出す。 自分よりも大きな手で撫でてくれた彼女の身長を、私は既に追い抜かしてしまった。 きっと私は彼女よりも早く老いてやがて死ぬのだろう、だけど、もし許されるならば。
その時が来るまで、私はリオンと友人でいたいと、そう思う。 リオンがそう思ってくれているかどうかは、別の問題なのだけれど。
スーオ・メモラーレ
(当然じゃないか、シャーネは僕の親友だよ!)
fin. 09.1010.
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