夜、人通りの全くない、あったとしても疎らに車が通るだけの鉄橋。 二人分の人影が、柵越しに存在していた。
「おじさん、何やってるの?」 「く、ッ来るな!止めるんじゃないぞ」 「止めるなんて一言も言ってないよ、ね、カルチェ」
薄い肩に乗った白鼠に話しかける白と黒と赤で構成されたこども。 こどもの目線の先には、鉄橋の柵を超えた先に立つ男。
多分、飛び降りるつもりなのだろう。 それを知っていて、そのこどもは男に声をかけたのだ。
「死にたいんだ、おじさん」 「五月蠅い、ガキには関係ないだろうが。言っておくが説得なら受け付けんからな」 「だーから止めないってば。というか個人的にはおじさんの背中を押してあげたい気分かな」
にんまりと笑みを浮かべ、こどもは遠回しに自殺の後押しを仄めかす。 眉を顰めた男は信じられないような顔でこどもを見た。 止められるとでも、思ったのだろうか。 普通の人間の半数以上はそんな行動を取るかもしれないが奈何せん、こどもは『普通』ではなかった。
「僕、ずっと見てたよ。おじさん三時間ぐらいそこに立ってるよね」 「な…何を言って」 「そんなに躊躇うなら僕が助けてあげよっか。ほら、背中向けて」
世間話でもするかのようなのりと声音で、こどもが言う。 男は悟る、次に背を向けたらこのこどもは躊躇うことなく自分の背を押すのだろう、と。 改めて見たこどもの双眸は闇夜の中、少ない街灯の光を宿して、爛々と赤く輝いている。 その瞳の中に背筋の凍るような何かを感じ、男は息を飲んで柵を越え駆け去った。
去り際に、「狂ってやがる」、そう吐き捨てて。
追うつもりも毛頭ないこどもは男の背を見送って、小首を傾げる。 それはもう、至極不思議そうに、例えるなら、母親に問いかける無垢な子供のように。
「人間って不思議だなぁ。自然な存在のはずなのに、自然は自分で死のうと思うの?不自然な僕はこうやって生きてるのにね」
もう一度「不思議だなぁ」、と呟いて、こどもは闇夜の中を歩いて行った。 その後、この鉄橋で男が自殺したなどという事件は、新聞にもラジオにも無かった。
人間のふしぎ
fin. 09.1007.
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