ざあざあ、ざあざあ
ざあざあ、ざあざあ
室内にいても雨音しか聞こえない、まるで雨の音に全てを遮断されたかのような空間。 その中でクリストファーは、窓辺に頬杖をついて、幾千、幾億もの降りやまない水滴を眺めている。 目を閉じてもその音は当然聞こえてくるし、耳をふさいだところで完全に聞こえなくなるわけでもなく、いい加減、頭の中まで雨音に支配されそうになった頃、漸くそれ以外の音が彼の鼓膜を揺らす。
がちゃり、扉が開く音がした。
その瞬間雨音は一際大きくなり、開いた扉から横薙ぎの雨が室内に侵入する。 ぱたんと扉を閉じれば音は先刻と同程度まで低くなり、また同じような雨の伴奏が断続的に鳴り止まずにいた。 クリストファーは入ってきた人物に心当たりがあって、特に振り返ることもせず、体勢も変えぬままに、
「おかえり」
そう言った、だが、返事は返ってこなかった。 いつもならすぐに駆け寄ってきてお菓子を欲しがったり、眠たいと言って寝室へと向かうはずの、リオン。 しかし今回はどうしてか、普段と違って、反応どころか、その場から一歩も動く気配を見せないでいる。
怪訝に思ったクリストファーが眉を潜めて振り返ると、リオンは黒いコートを着ていても目に見えて分かるほどに濡れ鼠だった。 白い頭髪は額や頬に張り付き、ぽたぽたと水滴を垂らしている。 足元には水溜りができて、絨毯がどんどん濡れていく。
前髪に隠れて、赤い瞳は見えないが、長年の付き合いから、彼女が普通ではない状態であることを察したクリストファーは、ゆっくりと立ち上がって、リオンへと近づいて行った。
「リオン、どうしたの」
「……クリス」
クリストファーを見上げた彼女の頬は、濡れていた。 触れてみればひんやりと冷たく、雨で体温を奪われたのだろう、まるで死人のようだった。 だが、何故か温かい雫が彼の手に触れる。 それは額からではなく、リオンの瞳から伝っているものだった。
「クリス、クリス、クリス、クリストファー」
「……なに、どうしたの、リオン」
クリストファーの名を何度も呼び続けるリオンは凭れかかるようにして彼に抱きつく。 いよいよ尋常じゃない様子のリオンの背を、クリストファーはあやすように、背を優しく叩いた。 雨で濡れた衣服はクリストファーのそれまでも湿らせていき、不快な湿気が二人を包む 湿った布越しの生暖かい体温は、不自然な二人にしてもどこか懐かしく、しかしやはり不快感を憶えた。
「クリス、僕は君がいてくれればいいんだ」 「うん」 「だから、どこにも行かないでよ」 「うん」 「クリスは僕の、友達でしょ」 「うん、友達だよ」 「ずっと友達でいて、クリスのままでいて」 「当り前だよ、リオン」
胸に顔を押し付けたまま、涙を流したまま、リオンはくぐもった声で饒舌に語る。 迷子になった子供が、必死に親を探し、声高に泣き叫ぶかのように、深く暗い海に溺れた誰かが、助けを求め、足掻いてもがいて闇雲に手を伸ばすかのように。
既に元に戻せないほど狂ったその手を、同じくらい、もしくはそれ以上に狂った手が掴む。 見捨てないことを選択した手の持主は、クリストファーは、今まさに暗闇へ沈みそうになっていたリオンの意識を手繰り寄せるように。 友人を相手にするよりも、恋人を相手にするよりも強く、強く。 きつく、きつく、抱き締めて、この世界に、彼らが演じる舞台に、繋ぎとめた。
「大丈夫だよ、僕がいる」
そう言って笑むとギザギザの歯が覗き、にたりと怪しい吸血鬼のような相貌になるもののリオンはそれを見て、細められた真紅の異常な双眸を見て、酷く安堵したように笑い返す。
「クリスがいれば、僕はそれでいい」
全てを放棄するかのように目を閉じて、リオンはクリストファーを抱き締める。 どこまでも狂いきった彼女をこの世界に留めているのは自分だと、彼は理解していた。 そして自分がいなくなれば、彼女は今度こそ、打つ手が無いほどに壊れてしまうことも理解していた。
依存、という他にないこの状態を治せる者は恐らく、存在しない。 例え創造主であるヒューイであろうとも、リオンの奥底にまで根付いた意識を変貌させられはしない。
"友達"、という鎖で縛り縛られ、 だけどそれは、ただの、口実でしかなく。
実際はもっと生々しくて、そんなに綺麗なものではないはずだ。
――ならば、僕は、俺は、
空白、君、空白
――俺が君の全てでいてあげる。 ――すごく不自然だけど、そんなのは今さらで生まれつきじゃないか。 ――だから君もずっと、僕の、トモダチで、いて。
fin. 09.0724. お互いに依存し合ってるんだよって話。
|