「お兄さん、誰?」
金髪の少年は問う 銀髪の少女は応えない
「お兄さん、死のうとしてるの?」
椅子に座った少年が問う 建物の屋上の手すりに立っている少女は反応を示さない
「お兄さん、死ぬ前にさ、」
そこで言葉を切る少年に、少女は初めて反応を示し 帽子と前髪の隙間から覗く真紅の瞳をそちらに向けた その瞳には、口元をにたりと歪ませた少年の微笑が映る
「俺が、壊してもいい?」
少年は、首を傾げて問うた
少女は手摺から猫のように軽やかな動作で飛び降り、少年の正面に立った。 その少年は椅子に座っていて背も少女より幾分か低いのでコンクリートの床に膝をついて視線を合わせる。
そして口元が弧を描く。
「キミが僕を壊す、だって?無理だよ」
それは決して少年を馬鹿にしたわけでも、彼の実力を見縊ったわけでも、ましてや自分の実力を買い被ったわけでもない。
ただ事実を述べたまで。
何故なら、少年の座っている椅子とは『車椅子』で、その全身は包帯に巻かれていたからだ。 いや、全身、というのでは語弊がある、全身の関節という関節と言い表すのが正しいのだろうか。
「………それもそうだ」
少年はくすくすと笑いながら言った、だがすぐに襲った痛みに肩を竦めると静かにその空色の目を少女へと向ける。
「俺はグラハム・スペクター。初めまして」 「僕はリオンだよ、よろしくグラハムくん」
握手が出来ないので、二人はその代わりに笑顔を交わした。
「ねえキミ、それ自分でやったの」
ふと、リオンは少年、グラハムの関節に巻かれた包帯を見ながら言う。 グラハムは驚いたように青い瞳を見開いた。
「よくわかったね」
まだ十にも満たないような少年が、自分の関節を自らの手で破壊した。
その事実に二人は特に感慨を抱かない、だが リオンとしては、その『理由』に少しだけ興味があった。
「なんで、って聞いてもいい?」
どうしてわざわざそのようなえげつない方法で自分を壊そうとしたのか、とそう、尋ねる。 決して、自分を『殺す』ではなく、この行為は、傍目から見ても明らかに『壊す』に分類されるだろう。 殺したければ自殺を図ればいいだけの話なのだから、しかし彼の意図はそこにないように思えた。
グラハムは少し思い出すように俯いてすぐに顔を上げた。 彼の瞳は空色なのに、どんよりと濁った曇天のよう。
「俺、とても悲しい話を知ってるんだ」
グラハムは、語り始める。
まだ狂気に爪先しか浸していない少年は淡々と語り始める。
「形があるものは全部壊れるって、俺は知ってる。それは仕方がない事だよね。でも俺は、それがどうしても悲しくって……。だったらせめて、勝手に壊れていく前に俺が壊すんだ。だから、俺は何かを解体するのが大好きで、何でもかんでも壊してたら、父さんと母さんに思いっきり叱られた。「壊されるものの気持ちもわからないくせに!」って、さ」
リオンは思わず首を傾げてしまう微妙な気分だった。 東洋の八百万信仰か、はたまたインディアンか、壊されるものに気持ちがあるのかなど、彼女も考えたことがなかったので改めて考えてみてもやはり分からなかった。
だが、この少年はそれを知ろうとしたのだろう。
「だから俺、思ったんだ。壊される側の気持ちが解れば俺は、何だって壊してもいいんだよね?」
それを、律儀にも体験したのだ。 体中の関節という関節を自らの手で外して。
だが、実際に少年が思っていたのは、それだけではない。 今は幼さ故その気持ちの全てを理解できないだけで、後に整理がつくのだが。
彼は、とても安心していた。
自分は壊す側だったけど、ちゃあんと壊れる存在なんだな、と。
とても とても
とても
とてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとてもとても とても とてもとってもとても
安心して、いたのだ。
だから
こうして今、 穏やかな気持ちで、 車椅子に座り、
広い青空を仰ぐことができる。
「グラハムくんは、偉いんだね」
「? 偉い? 俺が」
グラハムは意味が解らないと言った風に首を傾げた。 柔らかい金の髪がさらりと肩から零れ落ちる。 リオンは微笑みながら頷き、彼の頭を優しく撫でた。
グラハムは気持よさそうに目を細めその声に耳を傾ける。
「僕は分かろうとも思わないもん。壊されるものの気持ちなんて知らないもん。知りたくも無いもん。でも、壊すの。壊されるものの気持ちなんて知らないまま壊すの。でもグラハムくんは壊れるものの気持ちを知ったから、知ってしまったから、きっと僕よりも偉くて、すごい人間になれるんじゃないかなあ。僕なんて勝てないような強くて頭のおかしい人に、ね!」
にんまりと底の知れない笑みを口元に浮かべ、もう一度だけグラハムの頭をくしゃくしゃと撫でると、リオンは身を翻して病院の屋上の手摺へと向かう。 グラハムは彼女がどこかへ行ってしまうことを悟ったが、体が動かないため為す術がなかった。
「待って………リオン、俺」
「もしキミがそのまま大きくなって、こちら側に来た時は――喜んでキミを迎えるよ」
その時まで、ばいばい。
リオンの姿は一瞬で手摺の向こうへ消えた。 その後の姿を確認できずともグラハムは彼女がまた自分の前に現れるだろうことを確信していた。
静寂。
静寂が訪れる。
先程まで目の前に全身黒尽くめでそれでいて頭髪は真っ白な中性的な人物がいたなんて白昼夢だったんじゃないかと思う程の静寂が、だが頭の上に残る撫でられた感触、それだけは確かに現実で。
「グラハムくん、グラハムくん」
屋上に上るための階段から看護師の声が聞こえた。 それに答える事は出来るが彼の全身はほぼ動かない。 辛うじて首を動かす事ができるくらいなので、だから、彼は待つことにした。
『・・・・・・…ム…グラ…ム…』
車椅子の背に誰かが触れることを、
『グラハム…!オイ、起きろつってんだろグラハム!』
――……?
――違う
――俺は今、十にも満たないガキじゃなくて。
――ラッドの兄貴と廃工場で待ち合わせしてたんだ。
――んで俺は、
「起きろっつってんだろ!」
ガン!!!
――あぁ、眠っちまってたのか。
痛む頭部を気にもせず、眠気を覚ますため伸びをしながらグラハムは開口する。
「んー……あぁ! まずはおはよう、ラッドの兄貴!」 「おうおはよう。それにしてもお前よく眠ってやがったな? 俺に殴られるまで起きねぇなんてよ」
半ば呆れているラッドのその言葉に対してグラハムは後頭部をガシガシと掻く。 青い瞳は虚空を見つめ、思い出すかのような色が浮かんでいた。
「ちょっと、夢を見てたんすよ」 「夢、だぁ?」 「白い黒猫の夢をね」 「オイオイ、そりゃちょっと矛盾して……ん、いや、そうでもねぇな」 「何だ、ラッドの兄貴。心当たりでもあんの?」
今度はラッドが言葉を濁す番だった。 彼は頬を掻いて、グラハムと同じように視線を宙に泳がせる。
「まぁ、な。大分昔にそんなヤツに会わなかったこともねぇ」
それから一度も会ってないがな、と付け足すラッドはさっさと行ってしまい、後に続こうとするグラハムだが――何故か足が思うように動かない。 当然、気にすることなくラッドは前へ前へと進んでいく。
――何故だ?
どんなに足掻こうとしても自分のものであるはずの両足が動かないのだ。 関節が外れているわけでもないのにコンクリートに固められたかのようにぴくりとも動かない。
やはりラッドは振り返りもせず行ってしまう。
『グ……さ……グラハ…ん』
どこからか声が聞こえた。
――あれ、俺ってだれだっけ。
『グ…ハムさ…グラハム……ん』
――そう、それだ、俺はグラハム・スペクターだ ――それで、俺はどこにいるんだ?
『グラハムさん!起きてくださ………って』
――思い出した。
――俺は今シカゴの病院でもなく夜の路地裏でもなく、
――NYの廃工場で昼寝してるんだった。
⇔
193X年 NY 某廃工場
「悲しい…そう、悲しい話をしようか」
起きた瞬間それっすか、と突っ込むシャフトには目もくれず、グラハムは目を細めたまま頭部を摩る。 何か知らないが腫れている頭部を摩る。
「俺は夢を見ていた……正確に言えば、夢を見ていたという夢を見ていた」 「わかりづらいっすね」 「その夢の中で俺は確かにラッドの兄貴に殴られた、だが! 夢の中の出来事で、だ!所詮夢は夢! 夢でしかない! だが、俺の頭部には明らかに外傷が加わっている! これはどういうことだ…? まさか、ラッドの兄貴は生霊になってまで俺を呪っているのか? あぁぁぁあ、どうするよ俺! 俺兄貴に何か知らんうちに悪ィことしたのかもなぁオイどうしようもなく悲しいぜ知らねえうちに誰かを傷つけてるなんてことはっらァ!!!」
取りあえず近くにあった物体を蹴りつけ、それが浮き上がった瞬間からいつものように解体ショーを始めようと思ったのだが。
彼の手にレンチがない。
重力に従ったそれはガコン、と鈍い音を立てて床に落ち、いくつかの部品をその場に散らした。
散った部品のいくつかを眺め、それからいつもは手にあるはずのレンチをグラハムは探す。 視線を泳がせると、目当てのものは今しがた自分が寄りかかっていた壁際に転がっていた。
何故こんなところに、と首を傾げるグラハムに対し、シャフトは言い辛そうにしながらも口を開く。
「あー、何と言うか、グラハムさんが寝てる間に倒れて直撃したんすよ」 「直撃?」 「はい。特大レンチが、アンタの悲しい頭をぉおおぉ」
シャフトの鳩尾に普通サイズのレンチが沈む。 サイズは普通だが、それを扱うグラハムの力が普通じゃないのではもはや大きさに意味はない。 涙目になったシャフトは呻きながら床に転がった。
「あぁーアレだな。さっきまで悲しかったが……俺は今猛烈に楽しい!何でだと思う、シャフト? 聞きたいか? 聞きたいよなぁ?」 「ぎぎぎぎぎぎき聞きたいですぅぐぐぎぎぎ」
背中を踏みつけられたシャフトが悲鳴とさして変わらない声で言った。 別に彼を労わる様子を微塵も見せず、逆に体重をかけつつグラハムは大いに謳い始めた、
「今まで俺の相棒だと思ってた、いや、今も俺の相棒の特大レンチ!まさか長年側にいたお前が俺の命を狙ってたとはなぁ、気付かなかったぜ! だがやべぇな俺の相棒はこれまでもこれからもお前一人だけだぞお前がいつまでも俺の命を狙うって宣言しようがしなかろうがお前は俺が死ぬまで俺の相棒だな悲しいなだが俺はスゲェ楽しいよヒヒヒハハハハハハ」
――無機物に語りかけるアンタの頭がまず悲しい。
シャフトだけではなくそこにいた誰もが一介にそう思ったのだが、口に出せる勇気を持つ者は誰一人いなかった。
「で、結局何の夢を見たことを話したかったんすか?」
やっと落ち着いたグラハムと若干距離を取りながらも振り出しに戻ってシャフトは尋ねる。 余談だが、彼を落ち着かせるのに18分と43秒かかった。
「俺はな、まだガキのころに、紅ぇ眼をした白毛の黒猫に会ったんだ!」 「グラハムさん、アンタついに頭イカれ、ませんよね。すみません俺が悪かったですそのレンチを降ろしてくださあぁぁぁあああ」
廃工場内には再びシャフトの絶叫が響いた。 更に振り出しに戻るどころか、もはやマイナスの域だ。
それから更に数十分後、会話を戻すことを諦めたシャフトは不意に呟く。
「そういえば、最近この町に『黒猫』が出たそうですよ。『葡萄酒』といい『黒猫』といい、世の中も物騒になりましたよね」 「愚連隊の端くれが言うな」 「それもそうっすけど」
普段はてんで螺子の外れた発言ばかりが飛び出す口から正論を聞いてしまったシャフトは肩を竦め、苦笑する。 彼の目線の先では、先刻解体し損ねた機器を楽しそうに解体し始める青い作業服の男が 視覚出来ないほどの速さでレンチを振るっている真っ最中だった。
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