1925年 NY某所
『黒猫』ことリオンは仕事で、とある安ホテルに滞在していた。 明日の深夜、殺しの予定があるので今晩は静かに体を休めるつもりでいる。
だが、その場は『一人』にしては騒がしく。
「ちょっと、それ僕のクッキーなんだけど。せっかくクリスが作ってくれたのに何勝手に食ってんの」 「ふふ、いいじゃありませんか」 「うわぁ、お父さんが子供のクッキー取ったぁあ」
一人では、ないようだ。 リオンと軽い言い争いをして、難なくいなしている黒髪の青年、彼は事も無げにクッキーを口に運び、あまりに綺麗に笑ってみせた。
青年の名は、ヒューイラ・フォレット。 今この御時世、彼の名を知らない者はいないほどにその名を世間に轟かせている、いわゆる革命家。
その、彼の有名な革命家、ヒューイ・ラフォレットが有名と言えど殺し屋である『黒猫』――もといリオン・フォーネロと戯れている光景が広がっている。
いや、革命に暗殺はつきものと言えばつきものなのだが、この二人の組み合わせは字面に表すことが難しく。
かなり珍妙だった。
「おや、私は貴女に父親だと思われているんですか?嬉しいですね」
屈託のない作り笑いを浮かべるヒューイを見てリオンは溜息交じりに顔を逸らした。 その顔には嫌悪すら滲ませ、というか嫌悪を微塵も隠すことなく彼女がヒューイをよく思っていないことが窺える。
「まっさか。ヒューイには自慢の娘がいるでしょ。シャーネっていう、さ」 「ええ、そうですね」 「こんな実験狂のために声を捨てるなんて……理解できないよ」
あからさまな皮肉にも、彼は作った微笑みを返してくれた。 それが逆に、リオンの神経を逆撫でしすり減らしていくことを知っているのだろうか。 彼のことだから、きっと知っていてわざとやっているのだろう。
それが、ヒューイ・ラフォレットという名の不死者。 リオンたち人造人間の、創造主。
従って性格が悪い。
「実験狂、ですか。それは私への最大の賛辞ですね」 「褒めたつもりないのに。むしろ貶めたつもりだったのに」
何この敗北感、と、むくれた表情に殺意を滲ませながらもリオンは面倒そうにヒューイのため珈琲を淹れた。 彼はふと笑みを溢し、ありがとうございますと呟く。
淹れ方はクリストファー直伝なので味の保証はあるがここに使用済み雑巾が無かったことが悔やまれる、と、リオンが密かに悔しがっていたことにヒューイは気付かない。
別にここで頬を染めながら「アンタのためにやったんじゃないんだからねッ」などというおいしい反応をリオンが返すはずもなく、実際は「どういたしましてぇ」という何とも気のない、めんどくさそうな返事をしている。 ヒューイはもう一度、気取られない程僅かに笑った。
ヒューイが静かに珈琲を啜るのを、頬杖を突きながら黙って眺めるリオン、彼女の前のカップには茶褐色のココアがあった。 彼女は淹れるのは得意なくせに、珈琲が飲めない。
残り僅かとなったクッキーに手を伸ばし、口へ運び、頬張り、目を伏せて誰に言うでもなく、呟きはじめる。
或いは、それは独り言だったのかもしれない。
応える相手がいないこともない、ただの独り言。
「………シャーネと話すの、好きだった」 「別に、もう話せないというわけではありませんよ。筆談とか、いろいろあるじゃないですか」 「シャーネの声はもう聞けない」 「まぁ、そうなります」 「僕はシャーネの決めたことに難癖つけるつもりはない。ただ、声を捧げたのもお前の実験の内だとすると、無性に腹が立つ。ヒューイ、アンタの返答次第で僕の気分が良い方にも悪い方にも変わるんだけど?」
「もちろん、実験ですよ。貴女も解っていたでしょう?私がそう答えることを」
リオンはクッキーを飲み込んで、黙りこくる、それが返答の代わりになっている。
そう、わかっていた。
リオンはヒューイの回答を一字一句間違わずに予想できたし自分のテンション一つで彼の返答が変わるわけがないというのも、全部。 全部、知っていた。
知っているからこそ、否定したくてたまらない。 これまで、彼女がヒューイという人物に肯定したことはなかったけれど、今この瞬間も、リオンが世界に否定される不自然な存在であり続けるように。 いつまでもいつまでも、創造主を否定し続けようと。
「そんで、ヒューイ。僕に何の用事? 普段のおまえなら双子のどっちかにまかせて終了じゃん。……まさかヒューイまでサロメみたいに『妖怪』に入れとかそんな勧誘じゃないよね? 僕はヤダよ入らないよ」
話題の切り替えを図ったリオンを一瞥し、ヒューイはゆるゆると首を横に振った。
「……いえ、違います。今日は」
彼は手に持っていたカップをコトリと皿に置いて、言う。
――今日はって何ですか今日はって。後日は勧誘するってことですか。それにしてもサロメの奴には参るよ、いつもは顔合わせるたびにさながらしつこいキャッチセールスのごとく勧誘してきてさ、特典とかつけて。以前のお菓子大量詰め合わせセットは焦ったなぁ。
これ以上クッキーを奪われないようにと、手を休めず頬張るリオンは脳内で独り言を零しながら言葉の続きを待つ。
「少し、面白い子を見つけましてね」
ヒューイに気に入られるなんて可哀想だ、などと毒づきながら、リオンは欠伸を噛み殺した。 涙の滲んだ赤い瞳に剣呑さが宿っている。
「その子も、実験体なんだ」 「ええ」 「僕も」 「ええ」 「エルマー、っていう人は?」
「―――実験対象には、入りません」
引っかかってくれるかと思ったがやはりというべきかヒューイは注意深い。 聞いていないようで聞いているのだから。
流石、革命家などという職に就いていて政府に捕まらないだけある。
彼女は頬杖を解いて溜息をつき、何気にホテルの最上階だったその部屋の窓を開け放った。 冷たい夜風が吹き付け、若干眠気を覚ましてくれた。
リオンは窓から地上を見下ろして思った。
――ヒューイなんて、こっから落ちて脳味噌グチャグチャに掻き回して馬鹿のアンポンタンになりゃいいんだ。
その落ち着いた顔からは想像できないほどに恐ろしくえげつない事を考えながら彼女は口を開いた。
「おまえは、全ての事柄が実験結果に思えるの? 実験体の僕が今何考えてるか、解る?」
その言葉に、彼は顎に手を添えて思考しながら頷いた。 金の瞳にはいくつかの代案が浮かんでいるらしいが彼が口にするのは、最もそれらしい返答。
「ええ、そうですね……大体は。大方――― ヒューイなんて、こっから落ちて脳味噌グチャグチャに掻き回して馬鹿のアンポンタンになりゃいいんだ…なんて、そんなところでしょう?」
満面の笑みで言ってのけるヒューイ、一字一句間違っていないことに面食らった彼女は肩を竦めると自然とヒューイの方に向いていた視線を窓に戻す。
その顔に、何か思いついたような笑みが浮かんでいた。
――負けっぱなしは趣味じゃない。
「じゃあもし、僕がここから飛び降りたら予想外かい?」
外見相応の年齢のこどもみたいに顔を輝かせてヒューイに問うリオンに、今度は彼の方が面喰ってぱちりと金の目を瞬いた。 その仕草は、同じく見かけ相応の青年のようでリオンは一瞬息が詰まる。
――直後 ヒューイは笑った。
苦笑ではなく 作り笑いでも 含み笑いでも 嘲笑でもなく
笑った、普通の人間のように、 笑ったのだ。
「あは、ははは―― ええ、驚きますね。今貴女が口にしたことで私の選択肢を増やしてもう驚かないことは確かですが、もし先程飛び降りてたら不死者である私ですら驚いてショック死したかもしれませんね」
それは不死者であるヒューイにとって最大限に気を遣ってみせた言葉だ。 気を遣われたことに、リオンは逆に落胆し肩を落とす。
「……ちっくしょう。飛び下りればよかった」
「まぁ、そんな表情をしないでくださいよ、リオン」
父が娘にするように、優しく彼女の頭を撫でるヒューイ。 父であり父ではない存在の掌は、心地よくて居心地が悪かった。
「………僕は子供じゃない」
荒々しく、とまではいかずとも、その手を押し退ける彼女の顔には最初と同じ不満が戻っていた。
「結局おまえ、何の用でここに来たの。僕、そろそろ眠いんだけど」
ふぁ、と今度は噛み殺せずに大きな欠伸をしたヒューイは先程からの余韻でくすくすと笑ってもう一度その白い頭を撫でる。 そのまま唇を額に近づけ、吐息のかかる距離で彼は言う。
「正直に言うと、貴方の顔を見に来ただけなんですよ、リオン」
返答も反応も待たず、ヒューイは軽く、リオンの頭の上に手を置いて、優しく撫でた 温度が、温かい人の熱が、髪の上から伝わって、
眠気の所為かそれとも別の何かの所為か、彼女は一瞬思考回路が停止した。
「……は、」
やっと絞り出せたのは、呼吸音と紛う程の掠れた声。 普通に発声できるようになった時には既にヒューイは扉の取っ手に手を掛けていて。
「それじゃあ、また会いましょう。私も表向きは革命家ですので、色々忙しいのですよ」
パタン
扉の向こうへと消える、革命家。
扉はこの部屋で起こったやり取りと比べれば、あまりにもあっけない音で閉じてしまった。
ちくたく、ちくたく
これまで意識していなかった時計の刻む音が嫌に煩い。
どくん、どくん
それに合わせて、心臓の鼓動すらも煩くなっている、先程と変わらないはず、なのに 黒い窓ガラスに映ったリオンの頬は。 よく熟れた林檎のようになっていた。
「……ヒューイのヤツ…風に飛ばされそうな名前しやがってさぁ…!」
結局先程までの眠気は吹き飛び、よく眠れなかったリオン。
それでも、翌日の仕事には支障もなく、ただ事件現場にはいつも残すより、幾分か乱雑な子猫が残されていた。
(だってあんなの、普通の親子みたい) (You hate it!)
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