黒猫戯曲 | ナノ


葡萄酒








 両の腕に包帯を巻いた青年を、一昔前の貴族のような奇抜な格好をした青年が迎え入れた。
 東方風の顔立ちの青年は静かに口を開く。


「…今帰った」

「やぁ、お帰りチー。何かこういうのって新婚夫婦みたいだね」


 貴族のような格好をした青年――クリストファーが冗談半分に言う。
 両の腕に包帯を巻いた青年、ホン・チーメイは顔を顰めながらも喉を鳴らして笑った。
 その程度の冗談を軽く受け流せるくらいの年月を、彼らは共に過ごしてきたのだ。


「チーーーーー!!!」

「むっ」


 チーの背後から飛びかかるように抱きついてきたのは、少年のような少女リオン。

 殺し屋と言う生業に就いていながらもチーメイがそれを避けないのは、このようなことをする人物が一人しかいないのと、走っているというのに音も気配もないのでは、避けようがないからだ。


「来ていたのか、リオン」

 チーは少し、ほんの少しだけ表情を柔らかくし、包帯を巻いた手で彼女の頭を優しく撫でる、リオンも無垢にはにかみながらそれを受け入れた。
 そうしているところだけを見れば、見かけ相応の子供なのだが、どうもこの部屋に会する人物は一癖も二癖もある人造人間ばかりなもので。

「ん。来てたよチー。……アレ? 『詩人』さんは?」
「『詩人』はもうシックルに蹴られちゃったよ」
「『詩人』さんの独り言は凄く為になるから好きなのになぁ」
「やめておけ。ためになることは何もないどころか全てがマイナスの方向へ向かうぞ」

 ため息交じりに言うシックルだが、彼女は普段より幾分か涼しい表情で戻ってきた。
 右足に赤い飛沫が見える気がするのは目の錯覚だと思っておこう、いや、むしろ昨日の晩御飯に出たハンバーグのケチャップか何かだ、きっとそうだとリオンは思うことにして、シックルの言う事は比較的よく聞くリオン、彼女は別の話題を持ち出した

 話題、と言っても、単なる思い付きに過ぎないので期待はしていない。


「チー、お土産ある?」


 クリストファーや『詩人』に多大な影響を受けて育った彼女にしてはあまり捻りのないその言葉に、チーは懐を探って何かを取り出した。

 それは、二枚の紙切れ


「……なぁに、これ」

 まさか本当にお土産があるとは思わなかったリオンは首を傾げる。
 チーは紙切れを受け取るよう促し、問いに対する答えを告げた。

「サーカスのチケットだ。クリストファーとでも行って来い」
「やた! チーありがと! 行こうクリス今すぐいこう!」
「はは、そんなに急がなくてもサーカスは逃げないよ」

 子供らしい笑顔でチケットを受け取り、クリスの手を引っ張って走るリオン、そこには殺し屋としての残忍な色はこれっぽちも見当たらず、ただ、見た目の年相応かそれ以下のこどものように、彼女は無垢に笑みを振りまく。

 当然そのサーカスで、ある一人の天才と出会うことなんてまだ知る由もない。






「ねぇクリス。あの子天才なんだってさ」
「へぇ、どうして?」
「だって看板にそう書いてあった」
「そりゃすごいや」

 最後列でサーカスを観覧する二人はそんな話をしていた。
 最後列と言えばかなり見辛いはずだが、それは普通の人間の見解であり、二人の視力は人並みではなく、まず人間ですらない。

 その視線の先には、落ちれば確実に死ぬか重傷かの高さに張られているロープを命綱も付けずに渡る赤毛の少年。
 彼は綱渡りのほかにも、空中ブランコやジャグリング、玉乗りをしながらの体術を繰り広げて見せた。

 どれも『普通』の人間にはできない芸当だと、リオンはそう思った。


「ねえあれクリスも出来るんじゃない?」
「リオンも練習すれば出来るんじゃないかな、今度やってみようか」
「うん賛成。でもあの子、人間にしておくには勿体ないなんて思っちゃうんだけど変かな」
「アハハ、僕もあの子は凄いこ思うよ、これは純粋にね。大自然に愛されているのかも」


 『このサーカス始まって以来の天才』

 赤毛の少年の解説は、その見出しから始まっていた。
 神に授けられた才能、生れながらの天才。

 そんな陳腐な言葉を羅列するばかりのパンフレットにリオンはこれ以上目を通す気が起きずそのまま閉じて懐へと仕舞いこんだ。

 ――天才、なんて。あの子が可哀想じゃないか。

 リオンは心の中でだけそう呟く。
 演技を終えた赤毛の少年の顔に浮かべられた自慢げな笑み、けれどその笑みの本当の理由に気付いている人間なんていない、無論彼女も知らない、知るはずがない。
 きっと彼を特別視する人間は、決して気付けるものでもないのだ。


 頬杖を突きながら、リオンは大きな欠伸を一つ。
 サーカスが一通り終わるまで、気の無い拍手を数度打つだけであまり楽しんではいない様子だった。



 サーカスが終わった後、リオンは人混みに紛れてクリストファーから離れた、理由などない、ただ何となくそうしたかった。

 或いは、必然だったのかもしれない。


 ふらりと彷徨い丁度そのサーカスの建物の裏辺りで出会ったのは、
 天才と称される、赤毛の少年。




「あれあれぇ、キミは、サーカスの花形くん?」


 控えめな、それでいて不敵なリオンの声に、赤毛の少年は振り向いた。
 少し考えるように虚空を見つめると、何かを思い出したらしく視線を元に戻し口を開く。

「……あんたは、最後列で観覧してた、」
「わあ、驚いた! あんな遠いのによく僕の顔が見えたね」
「まぁな」

 手を打ち鳴らし感嘆を表す観客を前にして少年はふふんと誇らしげに胸を張って見せた。
 この拍手は自分だけに向けられた、自分だけのものだ、と。
 だが次の瞬間、目の前の観客は自分が一番欲しくない言葉を送ってくれた。

「はは、さすが天才なだけあるね」


 ――また、か。

 その言葉によって、彼の表情は苦虫を噛み潰したようなそれになったが、一瞬のことだった。
 何故ならそれが常だったのだ。
 仕方ないことなのだと割り切っていたから、そりゃどうも、といっそ何でもないように笑い飛ばしてやろうとした。
 しかし次の言葉によって彼の表情は崩されることになる。


「なーんて、詰まらないこと。僕が言うと思ったかい? あ、思ったでしょ、その顔見れば分かるって」

「は」

 少年は意味が解らないと言ったように目を白黒させ、ガシガシと頭を掻いた。
 けらけらとおかしそうに笑いリオンは少年に近付いて、柔らかい赤髪を撫でる。
 突然の接触にリオンと同じくらいの背丈の少年は、訝しげに眉を顰めた。

「キミは天才じゃなくて、頑張り屋さんなんでしょ。すごいすごい」


 目の前にいる白髪の少年(少女かもしれない)は自分にとって一番見てほしかったところを、見て、くれた。

 言葉にならない思いが喉奥に溜まり、胸のあたりがじわりと温かくなる。


「きっとみんな何でもできちゃうキミが羨ましいんだ、そうに違いない。もういっそ俺最強なんだぜーって誇っちゃえばいいよ、それがいい!」


 観て、くれている。ああ温かい、こんな感じは久し振りだ、少年の目は自然と細められていく。
 それだけで、少年が言葉を失うのには十分すぎるものだった。

「神から授けられた才能とか、そんなのないよね、神様なんていやしないのに」
「ああ」
「僕はキミを凄いと思うよ、ああすごいね、人間にしておくには勿体ないくらい」
「ああ」
「努力をたくさんしたんだよね、かっこいい、僕はキミみたいな子が好きだよ、大好き」
「……ああ」

 よく頑張ったね、かっこよかったよ、また見たいな。
 そう言って目前の白髪の子供はもう一度彼の頭を撫でて、屈託なく笑った。

 頑張ったね、だなんて初めて言われたような気がした少年は口を噤む。

 初めて、かもしれない。
 自分の努力が、ここまで報われたと感じたのは。

 初めてかもしれない。


 少年はただ肯くばかりなんて、自分らしくないと気付いた。
 そこで、こっちから質問してみようと、そういうことになった。


「あんた、名前は。俺はクレアだ、クレア・スタンフィールド」
「僕はリオン」
「リオンだな、よし覚えた」
「よろしく、クレア少年」

 初めて互いに握手を交わし、それからクレアは自分の事をたくさん話した。
 全部聞いてほしいと思えた。

 今までどんな街で公演したか、
 自分にはどんなことができるか、
 サーカス団に入る前はどんなところで育ったのか、
 兄弟分のことも、少し。


 話題も尽きた頃、最後に、一つの、とっておきを。



「この世界はさ、俺にとって都合のいいように出来てるんだ。何故なら、この世界は俺の見ている夢のようなものだからな」

 大抵の人間なら笑い飛ばすその台詞だが、彼女は感心したように口笛を吹いた。
 その表情にはちょっとした好奇心が滲んでいる。

「じゃあ僕も、キミの世界の一部ってこと?」
「まぁ、そうなるな」
「だったら、またいつか会えるね」
「?」
「だって、クレアくんの夢の中の登場人物である僕はいつかキミが願えば引き寄せられて出会う。……違うかい?」
「一理あるな」
「それじゃあ、僕はもう行くよ。そろそろお迎えがくるっぽいし」
「なんだそりゃ」

「また、会おうね」



 闇に溶けるようにして消えて行ったリオンは自分が勝手に作りだした幻じゃないのだろうかとクレアは一瞬考えた。
 だが、その思考に終止符を打つように小さく笑みを零すと既に聞こえていないことを知りながら僅かに唇を動かした。

「また……な。神出鬼没な子猫くん」

 どこかふわふわと地に足のつかない佇まいと物言いは下手なクラウンよりもそれらしく、クレアの脳裏に焼き付けられた。


 ――そういや、あいつって結局男だったのかな、それとも女だったのかな。
 ――まぁどっちにしても、次に会ったら告白してみよう、そうしよう。

 そう、心に決めて、クレアはサーカス団のテントへと戻った。



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