黒猫戯曲 | ナノ


1934












チューチュー
 チチ、チチチ


鼠の軽快な鳴き声に混じって

何かが壊れる音がした
何かが狂う音がした


くるくる
   クルクル
      狂ル狂ル
         狂々狂々



「嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ウソうそうそ」



一際大きな音を立てて、もともと壊れていたものが壊れる
更に壊れて、その音も何も、聞こえなくなって、後に残ったモノは

真っ黒焦げに焼けて死んだ黒猫の、死体の影


そんな印象を与えてしまうような、真黒な"ナニカ"




ホン・チーメイという名を持ち、そう呼ばれる人造人間(ホムンクルス)は
目の前で起きる、崩壊、自壊、破壊、それらを止められずにいる
尤もそれは単なる例えで、『壊れて』いくのは建物でも何でもない

彼と同じような境遇で、同じ造まれ方をした、人造人間の少女
彼女は両手で耳を塞ぐような形で頭を抱え、全てを拒絶するかのようにかぶりを振った


「だってそんな、ウソだよ、チー。そうだ、これはウソ」


「リオン…」


赤い双眸を見開いて、しかし現実を映そうとはしない##name_1##
どうして彼女に、「現実を受け入れろ」などと言えようものか
その代りにチーは瞑目し、口を噤んで僅かに唇を噛んだ
包帯に覆われたその中で、両の手はきつく、きつく握り締められて

だが彼の眼はすぐに開かれた
『家族』であるリオンが現実を受け入れようとしていないのならば
『家族』である自分自身が彼女という現実を見据えてやらねばならないのだと
責任感の強いチーだからこそ、そんな考えに至ったのかもしれない


或いは、この状況を引き起こした発端である青年ならばどうしたのだろう

青年は、不在
ここ一年近く全くの音信不通で、どこにいるのかもわからない
彼が死んだのではないかとの噂も『妖怪』の組織の中で実しやかに噂される始末


今この瞬間にも目に見えない何かが壊れていくのが分かる
先刻まで泣きそうなほど歪められていた顔が、段々と無表情になっていく
全てを漂白された、まっさらな無表情になった頃

リオンは確実に、自らを壊す要素を受け入れ始めた



「チー、クリストファーは言ったんだよ。ちょっと出かけるだけだって。すぐ戻ってくるから、その時はケーキを焼いてくれるって」

「ああ……」



確かに青年は、クリストファー・シャルドレードという人造人間は、そう言ってニューヨークを出た
そして、それっきり彼の姿を誰も見ることはなく、一番付き合いの長いチーにさえ連絡もなかった
数十年前から互いを必要とし合っていたリオンにも、姿を見せることはなく

それが、彼女を壊すことになろうとは
クリストファーは考えたことがあっただろうか




「全部ウソ。クリスが帰ってこないのも、ウソ」

「ましてや死んだなんて真っ赤なウソ」

「次にそんなこと口に出した奴は、僕が目玉を抉って瞼と口を縫ってあげるよ」




淡々と、淡々と紡がれた、『壊れた』台詞を並べ立てる
だが『壊れた』ことを悟らせないような自然な響きと声で、それらは空気によく馴染んだ
チーが何も言えずにいると、リオンはふらふらと部屋を出ていくところだった
冬だというのに、トレードマークであるはずの黒いコートも、帽子も持たないままで
でも、肩にはしっかり白鼠を乗せたままで


「リオン、」とチーが呼びかけると、彼女は立ち止まって振りかえった
昏く虚ろな瞳は、リオンが今一番求めているであろう色彩
何も書かれていない白い画用紙のような表情へ、一滴の血を垂らしたみたいに##name_1##は微笑む
どこまでも人工物染みた笑みは、実際に人工物である彼らへの当てつけのようでもあって

それは、リオンが、壊れ、毀れ、破れてしまったことを意味している



チーはその背を見送ることしかできないでいた
唯一、彼女を止められるであろう存在はここには無い、から


青年は、不在






1934年 冬 某所
視えない影を探して、こどもが求めたのは、





あまりに軽々しい音を立てて扉は閉じてしまった
いつもなら聞こえるはずの、「行ってきます」はどんなに待ったところで聞こえない
人造人間として言うなら、クリストファーの存在が抜け落ちたことは痛手ではないのは確か

けれど、リオン・フォーネロ個人にとってみたなら、それは自分自身の欠落に等しいものだった
ただそれだけのことだ、と物事を完結してみたところで
チーの胸は、霧がかかったようにすっきりとしないまま、『吸血鬼』としての仕事を迎えることとなる


(『吸血鬼』の代名詞が欠員している)
(ああ、これが"奴"の言う『不自然』なのだな)





And the black cat was broken.

The white rat is normal.




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