こどもは白鼠と戯れる。 その隣には吸血鬼のような人影が佇んでいた。 悩ましげな溜息を吐いて、こどもは人影を仰ぐ。
「ねぇクリス、友達とそうじゃない人の依頼ならどっちを取ればいいんだろう?」 「うーん……僕なら極力友達を取るけど、やっぱりリオンが決めるしかないんじゃないかな」 「そうだよね……うう、どうしよう」 「相当悩んでるところ水を差すようで悪いけどリオン、もう汽車の時間過ぎてるよ、いいの?」
クリスこと、クリストファーの言葉を聞いたリオンは、声も無く顔を青くする。 「いってきます」、勢いよく言うと同時に扉を蹴破り、風のように駆け去るリオン。 苦笑したクリストファーの「いってらっしゃい」がその耳に届いたかどうかは微妙な線だ。
1931年 12月31日 シカゴ 発車の汽笛まであと少し
「うわーどうしよう切符無駄になっちゃったよもうこのごてごてした何とかプッシーフットに乗るしかないんだけど人気あるらしいし切符売り切れだろうしなぁというか元旦までにニューヨークに行かないといけないのに間に合うのかこれ」
シカゴユニオン駅のホームで、リオンは彫刻を押し潰したような列車、フライング・プッシーフットを見上げる。 列車という部類の中では珍品と言っても差し支えのない存在だと新聞か何かで読んだ気がした。
基本的な作りは英国の王室列車を真似たものとなっていて、一等客室は内側が全て大理石等によって装飾を施されており。 二等客室もそれに準じた作りとなっている、らしい。 通常の列車では各車両ごとに一等客室から三等客室まで区分けされ、尚かつ振動が激しい車輪の上の部分に三等客室が来るように作られているのが普通だ。 だが、この列車はそうしたセオリーから外れた構成によって建造されていた。 それぞれの車輪は一等車輌から三等車輌にクラス分けされており。 機関車輌の次から一等車輌が三両、食堂車輌が一両、二等車輌が三両、三等車輌が一両、貨物車輌が三両、予備貨物室と車掌室の車輌が一両。 このような順番で列車は構成されていた。 本来ならば、排煙の事などを考え、一等車輌は最後尾近くと相場が決まっているのだがこの列車はそんな常識をあっさり覆している。 食堂車を除く全ての車輌は進行方向に対して左側に通路があり、各部屋の扉の番号を確認してからそれぞれの客室に入るという形式だ。 この列車に貨車は無く、代わりにただっ広い貨物室があり、通路は通常どおり左側。 デザインを優先して機能性を落とした、まさに成金趣味の列車。 申し訳程度に作った三等客室がかえって痛々しさを感じさせ、乗客にどこか嫌な負い目を感じさせる程だ。 各車輌の側面には『彫刻を押し潰した』ような装飾が施されており、その列車自体の金満趣味をより一層際立たせていた。
他にも、この列車最大の特徴は本来の鉄道会社の運営から独立しており、会社から『レールを借りる』方式を取っている、ということ等。 リオンの脳内では現実逃避のようにどうでもいい情報ばかりが組み立てられ、結局のところこの事態の打開策は何も考えられてすらいない。
今度こそ真剣に考えなければどうしようもないと覚悟を決めたところで、どこかからの会話が耳に入った。
「良かったら、俺、その切符、二枚買いますよ?」 「え……?」 「ほら、旦那さんは切符代が勿体なくて、奥さんはこの列車に乗りたくない。そして、俺はこの列車に乗りたいけど切符が売り切れだった……ね?万事解決でしょう?」
どうやら切符が欲しいらしい男の声は、どこかで聞き覚えがあった。 しかも都合のいいことに不要になりそうな切符は二枚あるらしい。 切符を持っているのは老夫婦で、乗らない事は決定済みなのだが何やら事情があるのか渋っている。 続く会話を耳に入れながら、リオンは考えるよりも先に、人の波を掻き分けてその声が聞こえてくる方へ走った。
「すいません、僕にもその切符一枚売って下さい!」
驚きと共に振り向いた男の顔は至って普通の外見のそれだったものの。 特徴的な笑顔はよく記憶に残っていて、リオンは勢いに任せて彼に、エルマーに抱きついた。 老夫婦のぽかんとした表情を余所に、二人は再会を喜ぶ。 この列車で何が起こるか欠片も知らないまま、喜ぶ。
(久しぶり、エルマー!) (あ、リオン、何年ぶりだろう!再会の記念に取りあえず笑おう!)
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