黒猫戯曲 | ナノ


1930









 見たことのない、しかし何故か親近感の湧くスーツを着た女性がセラードにナイフを突き刺す瞬間だった。
 周囲の状況など気にも留めず、リオンは声を大にしてセラードへと飛びかかる。


「くたばれセラード・クェーツ!!」


 その叫びと同時に蹴りを繰り出そうとしたスーツ姿の女は倒れ、そして「マイザーさん!」と、死んだはずの少年の声が聞こえた。
 リオンのナイフを腕で受け止めたセラードは、倒れ伏した女を蔑んだような目で見降ろす。


「ほほう…このガキどもも素通りさせたわけか…エニス……」


 エニスと呼ばれた女の顔色が、見る見るうちに真青に、真っ白になっていく。


「…残念だ…とは言わん。そろそろだとは思っていた。お前の前にも何体か造ったが、やはり余計な知識を得た途端に裏切っていった…・雌性体にすれば変わるかと思ってお前を造ったが……やはり変わらなかったな」


 彼の言葉を聞いたエニスの瞳に複雑そうな感情が浮かぶ、体は横たわったまま起き上がらない。
 しかしその言葉を聞いて、激昂したのはリオンだった。


「お前が……お前さえいなければ……!」

「して…お前は何者だ?…私の名を知るということは…不死者か?」


 腕に刺さったナイフを振り払い、セラードは思い切り右手を突き出してリオンの白い頭を掴む。
 だが、セラードがいくら『喰いたい』と念じたところで、リオンの小柄な体が右手に収束されることはなかった。
 驚いたようなセラードの顔を見て、にんまりと笑ってみせるリオン。


「あは、あはははは!僕が不死者だとでも思ったの?残念だね、僕は出来損ないの中の出来損ないさ!」
「何……?」
「初対面だけど大告白、僕はヒューイの次にセラードっていうクソジジイが大っ嫌いなんだ!」
「そうか、貴様はあの小僧の……!」


 掴んだ頭はそのままに、すぐ傍の壁へと痩躯を叩きつける。
 痛みを感じないリオンは「ぐ、」と小さく呻いたが、すぐに襲い来るだろう機銃の襲撃に備え受け身を取った、しかし。
 意に反し、次にその目に映ったセラードは、実に滑稽な姿をしていて。

「こいつ!エニスに何をしたぁっ!」
「リオンを苛めないでよぉ!」

 神父と尼僧が胡椒の入った袋を矢継ぎ早に投げつける。
 これもこれで滑稽な姿ではあったが、不死身の男が胡椒の眼つぶしに怯んでいるのに比べればまだましなものだった。
 その隙をついて、リオンは咄嗟にナイフを投擲しセラードの眼窩を射抜く。
 頭部の損傷を修復するのは時間がかかると、彼自身が零した情報のお陰である程度の時間稼ぎは出来そうだ。

 リオンはセラードを殺す事が出来なくとも切り刻んでやろうと立ち上がるが。
 驚きに言葉を失う、確かに数分前まで事切れていたマルティージョの幹部たちがセラードの後ろにはいて。
 幻聴かと思われたフィーロの声も実物だったらしく、少年は血の一滴も流さずに、横たわったエニスと膝をついたマイザーと言葉を交わしていた。


 ――あ、そっか。


 自分の間抜けさにリオンは肩を竦める、昨日の今日ですっかり忘れていたが、彼らは不死の酒を飲んでいたのだ。
 銃で撃たれたくらいで死ぬはずが、ない。
 恐らくそこにいる神父と尼僧、改め、アイザックとミリアも不死者と化したのだろう。

 一瞬、意味ありげな笑みを浮かべる秘書の男が脳裏を過った。



「貴様ら……殺した筈だ!馬鹿な……酒は減っていなかった……それに…マイザーが飲ませる筈がない……!」


 ランディがセラードの頭から浴びせかけたのは、液体燃料。
 何わけのわかんねえこと言ってんだ、と本気の疑問符を浮かべる彼の手には空になった缶、隣に立ったペッチョの手から、赤く燃えるマッチが投げられた。


「俺らも、手袋や倉庫は燃やしてきたけどよ………頭を燃やすのは初めてだな」


 セラードの頭全体が青白く燃え上がり、意味を持たない叫びが上がる。
 痛覚がないのなら過度の熱さも感じない、それでも激しく揺らめく炎は確実にその視界を奪っていた。

 隙をついて、フィーロがセラードへと駆け寄る。
 とっさの判断で彼は、迫り来るフィーロに右手を素早く突き出した。


「おおおぉぉぉぉぉ!さぁせぇるぅかぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「邪魔だぁっ!このクソ右手ェっ!」


 フィーロは激情に任せるように、懐から抜いたナイフを振り下ろした。
 刃はセラードの右手の人差指と中指の間を走り、手首の辺りまで一気に切り裂いた。
 骨に食い込んで止まったナイフを、そのまま左手で押し込みながら、フィーロは己の右手を、燃え盛るセラードの顔面に突き出した。

 腕が焼けてもなお、少年は強く願う、セラードを憎しみのままに『喰い』、そして一目惚れした名も知らぬ女を救うための知識を得るために。


「ぐぁ……」


 三百年近く生きた男にしてはあまりにも呆気ない断末魔。
 間近でそれを耳にしたリオンは、口元を歪めながらフィーロの右手に老人が『喰われる』のを眺める。
 壁に叩きつけられた際出来た頭部の傷から流れた血が顎から滴る頃には、セラードの痕跡は赤々と燃える服と靴のみとなり、それらもやがて灰となり、風に飛ばされ、どこかへと散り去ってしまった。













 フィーロは無事エニスを救い、不老不死となり永遠に続く螺旋を下る運命を背負った者たちは先の事など考えずにはしゃぐ。
 これだけ銃声が続けば当然警察も出動し、アイザックとミリアは逃げ、尚も馬鹿騒ぎをやめないマルティージョの面々。
 そんな陽気な声を遠巻きに聞いて、リオンは路地裏の壁に背を預け、操者を失った操り人形のように手足を投げ出し暗い空を仰いでいた。

 特に何も考えず、無心のまま呼吸だけを繰り返していると、ずる、ずる、と何かを引き摺る音が耳に入る。


「おや……あなたは、」

「やぁ、久し振り、だね…ラックくん」


 ガンドール三兄弟は、一人ずつチンピラ風の青年を引き摺りながらリオンの前を通過しようとしていた。
 驚いた顔を浮かべた三男のラックが引きずっていたチンピラは先日遭遇したダラスという男だったのだが、リオンはそれに気づかずに終わる。


「何だぁ、知り合いかラック?」
「知り合いっていうか…八年くらい前に会ったじゃない、『黒猫』」
「あーあの時の。ガハハハ、全然変わらねぇ小せえままだ!」
「…………」
「わかってるよ、キー兄。今はこいつらを運ばないとね」


 とても久し振りに聞いた兄弟のやり取りが何となく懐かしい。
 彼らのアジトにはあの鋏と笑顔が特徴的な少年がいて、今は立派な青年になっているのだろうとリオンは思う。
 何やら急ぎの様子だったので、ひらひらと手を振りながらリオンは昔と寸分違わぬ笑顔を浮かべた。


「今は急ぎらしいけどさ、前にも言ったとおり君たちの頼みならタダで殺ってあげるから。いつでも頼ってね」

「お気遣い感謝します。もしかすると、近いうちに手を借りることになるかも知れません」


 初めて会った時よりも随分と大人びてしまったラックのゆるい笑みを見送り、キースとベルガにも手を振った。

 そして、彼らと入れ替わるようにして現れたのは、マルティージョの幹部、『出納係』ことマイザーだった。
 彼はあくまで紳士的で、地べたに腰を降ろしているリオンに目線を合わせるため膝をつき、ハンカチを差し出す。
 何の用途かと思えば、つい先刻セラードに壁に投げつけられて頭を打ち、流血していたような気もする、ぼんやりと、差し出された紳士物のハンカチを眺めていると、やや躊躇いながらもマイザーが彼女の顔を彩る赤を拭き取っていく。
血はほぼ乾いていたためあまり効果はなく、マイザーは苦笑して少ししか役に立たなかったハンカチを懐へ仕舞った。

「僕に何か用、マイザー、さん」
「いえ……ただ、少し気になったもので」

 決して、「あなたの正体が」、そう言わないあたりやはりマイザーは大人だ。
 それは当然だろう、もう二百年以上は生きているのだから、物腰の一つや二つ嫌でも覚える。


「聞いてたでしょ、僕は……出来損ないの中の出来損ないさ」
「それは一体どういう……」
「強いて言うなら…あれだね、僕はエニスの『兄弟』なのかも。製造元はラフォレットさんだけど」
「………そうですか、あなたはヒューイの、」

 ヒューイがセラードの人造人間に関する情報や知識を盗み、独自に完成させたのがリオンのような人造人間。
 不老だけど不死ではなく、不死ではないが不老、そんな、不自然な存在。
「エニスには内緒にしておいてね」、と悪戯っぽく笑う姿はこどもそのものなのに、彼女が造まれてからの年数は外見に反する。
 もう一度苦笑したマイザーは、ゆっくりと立ち上がって暗闇へと姿を消す黒猫のような少女を呼びとめようとは思わない。
 一瞬、『フィーロやエニスには会わなくていいのか』と下世話なことが口を吐きそうになったが、何とか抑えて口元は笑みを作る。



 流血したままの、白鼠を従えた黒尽くめのこどもがとある小さな新聞社に乗り込み、ほんの少し情報を流して。
 1930年の11月、ニューヨークで起こった一連の事件は、一旦幕を閉じることとなった。






1930年 11月 ニューヨーク
幕は閉じ、幕は開ける






 登場人物が減ろうが増えようが、螺旋は絡み合い、終わる事など決してない。



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