爪きり 「――どうして俺に黙っていた?」 「いや……それは……お前さんが、忙しそうだったから……」 気まずそうに目を逸らす仕草が少しばかり引っ掛かる。 そもそも本来この男は、こんなふうにビクビクと他人の顔色を伺うようなタマじゃなかったように思うが……な。 ――今しがた小田原から大層立派な掛軸が贈られて来た。 こちらには寝耳に水の贈り物の名目は「黒田官兵衛の誕生日祝い」ということだった。 いつが誕生日なんだと当人に聞いてみれば今日がまさにそうだと言う。とうに日も落ちかける刻限になってるってのにだ。 前もって知っていれば、俺からも何か祝いの品を用意するなり、宴席でも設けるなりしてやったものを。 確かに俺もわざわざ問われてもいないのに、人に生まれた日がいつだなんて話をすることはねぇが……官兵衛はこのところどこか落ち着かない様子で、時折、俺に何か言いたそうな顔をしていた。 「どうした?」と聞く度「なんでもない」と流されてきた理由が、「忙しそうだったから」とは……何となく腑に落ちねぇ。 ――と言っても折角の誕生日に執拗に問い詰めて困らせるつもりもない。 俺は少し浮かない表情の官兵衛を自室に連れていき、適当に座らせた。 そして、 「本当はまだ言うつもりは無かったんだが……これが俺からの祝いということにしてくれ」 官兵衛の目の届かないところに隠しておいた細長い桐の箱を、差し出してやった。 「これ、は……?」 受け取った箱の蓋をそっと開けた官兵衛は、すぐに顔を上げて目の前の俺の顔を見やった。 ……長い前髪で見えないが、恐らく目を丸くしていやがるな。 箱にしまわれていたそれは、西陣織の反物だった。 「先月、政宗様の供で都に上った折に買い求めたものだ……オメェに合いそうだと思ってな。本当なら仕立てを済ませてから渡すつもりだったが」 官兵衛はいっそ大袈裟な程驚き、何度も箱と俺の顔とを交互に見やる。 「これを小生の為に……? 本当に貰っていいのか?」 「気に入らねぇようなら別だがな」 「そ、そんなわけがあるか……!」 まるで取り上げられるのを恐れるように必死に箱を抱え直す仕草が、幼子じみて何とも微笑ましい。 ――これだからこの男は……可愛くてならねぇ。 思わず顔が緩んだことで冗談だと理解出来たのか、官兵衛はほっとしたように肩の力を抜いた。 「……その……ありがとな……?」 そう言って少し照れたように笑む様は、「微笑ましい」では済まないような色を俺に感じさせるが、当人にその自覚はねぇんだろうな……。 「しかし小生に、こんな雅やかで品の良い柄が本当に似合うのかね……」 「鏡でも用意して、広げて合わせて見るか?」 「そう……だな、柄ももう少しよく見たいしな」 そう言いながら、箱から反物を取り出そうとしていた官兵衛だったが、触れる直前になって不意にその手が止まった。そして、 「……ちょって待て。その前に湯浴みしてくる……!」 何を言い出すかと思えば。 「湯浴み? 着物の上から布を合わせるだけでか?」 「それでも、もしかしてもしかしたらどっか汚れちまうかもしれないだろうが!? あー、それから爪だ爪!爪も整えないと、うっかり引っ掻けちまったりしたら大変だ……!!」 「官べ……」 「待っててくれ右目!すぐに戻る……ッ!!」 俺と反物とを置き去りに、奴は一目散に部屋から駆け出して行った。 直後に悲鳴が聞こえたところを見ると、廊下の角で誰かと衝突でもしたようだ。 思わず嘆息が漏れた。 「……まあ、喜んで貰えたならそれでいいが……」 ――それにしても喜び過ぎなんじゃねぇか? 誕生日を黙っていたこともそうだが……あいつの目に、この俺が土産や贈り物の一つもよこさないほど、情の薄い男に見えているということなら考えもんだな……。 ――これでも大事にしてやってるつもり、なんだがな……。 *.☆。.゜☆゜。☆゚* 「……なあ、右目?……そのくらいは自分でも……」 「危なっかしくてオメェに夜爪なんざ切らせられるか」 しっかりと手を掴まえて、小刀を慎重に宛がう。 「いいからじっと動くな」 枷が外れる前はよくこうやって整えてやっていたが、狐の懐から出てきたあの鍵で、俺が枷を外してやったあの時から、官兵衛は俺に世話をされるのを拒むようになった。 確かに折角自由に動くようになった体、なんでもテメェでやりたくなるのは理解出来るが……。 ――それにしてもこの男は俺に甘えるということをしねえ。 「……官兵衛」 爪の先を辿る刃先を止めることはしないままで、気にかかっていたことを問い掛ける。 「――オメェは、俺と居て幸せか?」 湯浴みしたばかりでしっとりとした手が、ビクリと強張ったのがわかった。 「――幸せに、決まってるだろ……」 俯いたまま呟く声に力はない。 「……俺の目を見て言えるか?」 更に問えば、今度は少し丸まった広い肩が震えた。 「……小生に何を言わせたいんだ……」 「……何か俺に対して不満があるならそれが聞きてえと思ってる」 「……そんなつもりはないんだ……ただ……」 官兵衛はしばし躊躇う素振りを見せながらも、ようやくその腹の内を語り始めた。 「――お前さんに甘え過ぎるのが……望み過ぎるのが、恐ろしい。……小生はな、我が儘なんだよ……お前さんの傍にいられればそれで幸せだなんて、いつまでも思っちゃいられない」 俺はひたすら作業を続けたまま、最後まで黙って耳を傾ける。 「――小生だけを見ていてほしいとか、もっと小生に構ってほしいとか……望むものが肥大していくのを止められないんだ。うっかりすると、答えの解りきった問いが口を滑りそうになる――小生と独眼竜の、どっちが大事だ……?……なんて具合にな」 「――政宗様は奥州全員の宝だ、他の何とも同じ秤には乗りはしねえ」 「……だろうよ」 解りきっている、と自ら前置きしていながら、あからさまに消沈する姿に、悪いとは思いながらも苦笑が浮かぶ。 「――言っとくが、それはオメェも同じだ。オメェと同じ秤に乗る者は誰もいねぇ……だから比べようもねぇだろう」 「右目……」 爪を整え終えた五指に軽く息を吹いて削りカスを払うと、邪魔な小刀を鞘に納めて脇にやり、そのまま官兵衛の手をしっかり握ってやる。 「――寂しいと思ったら素直にそう言え。甘えて我が儘を言ってみろ。俺に叶えられることなら叶えてやる……無理でも埋め合わせくらいは考えてやる。そのくらいの甲斐性はあるつもりだぜ」 呆けたように俺を見つめていた官兵衛の面に、じわりと朱が差した。 「……いい、のか?」 俺ははっきりと首を上下してやった。 「なんなら今、試しに何か俺に我が儘を言ってみるか?」 「えっ……そ、そうだな……」 官兵衛はそわそわと落ち着きなく視線をさ迷わせた後、いよいよ真っ赤な顔をしながらこう言った。 「――実は、前からお前さんを名前で呼びたかったんだが……」 そんなことなら断りなど要らない、と言ってやろうとしたが、遮るように官兵衛は続けた。 「……独眼竜とは違う小生だけの、特別な呼び方がいい……だから……その……」 包んでいた手が、すがるように強くぎゅっと握り返してきた。 「かっ……景綱、って呼ぶのは……駄目か!?」 「……」 ――あの方と、この男は同じ秤では比べられない……だが、しいて一つだけ言わせて貰うとすれば。 「――オメェの可愛らしい我が儘なんて、奥州筆頭のそれに比べりゃ、我が儘の内にも入らねえな……」 握り合った手をこちらへ引き、引き締まった大柄な体躯を腕に抱き寄せ、そのまま唇を重ねてやる。 「……ん……!」 せつなく漏らされた声が耳を擽った瞬間、俺は悟った。 ――この分では、布を合わせる前にもう一度湯浴みをさせる羽目になるだろうな……と。 《Happy Birthday☆》 ★戻る★ ★Topへ戻る★ |