恋い病みのメドゥーサ【中編】 | ナノ


恋い病みのメドゥーサ【中編】




――みっともないにも程がある。

 当てもなく海辺を歩き回り、辿り着いた岬にてしばしぼんやり佇んでいた官兵衛は、ようやく完全に姿を見せた太陽の光を浴びているうちに、徐々に平静を取り戻していった。

 あの部下の男には悪いことをした。

 落ち着いて考えてみれば、あの男にからかうつもりなどなかったのだということは容易に理解出来る。

 元親の部下で、官兵衛が元親の傍にずっと侍り、褥を共にしていたことを知らない者はいない。

 元親の懸想の相手と言われて、官兵衛とのことを連想したとしても別段不思議なことではなかった。

 後で見かけたら謝罪をしよう。
 しかしどんな言い訳をするべきか。

 そんなことを考えながら岬から海を眺めていると、ふと見覚えのある旗印の船が、こちらへ向かって来ているのが見えた。

 伊予河野。
 あの小生意気な海神の巫女の船だ。

 確か元親とはことあるごとに他愛ない小競り合いをしている仲だったと聞いている。

 小競り合いと言っても命の取り合いをするような殺伐としたものではなく、微笑ましい子どもの喧嘩のようなものだとは言うが、長曾我部領にわずか一隻で入り込んで来るとは妙な話だ。

 元親の留守に面倒を起こされるのはよろしくない――そう判断した官兵衛は、船の進路からおよその当たりをつけ、接岸する地点に先回りすることにした。

 よからぬことをするつもりなら追い返せばいいし、違うなら話を聞いて、場合によっては元親の城まで連れて行ってやってもいい。

「――小生が、西海の留守を守る、か……皮肉な話だ」

 自虐的な独り言を漏らしながらも、官兵衛は来訪者を出迎えるべく歩き出した。



   *  *  *



 官兵衛が目標地点に到着した時、すでに鶴姫の船は岸についていた。

 先回りする筈が、毎度の如くなんだかんだと妨げがあり、結局遅れを取ってしまっていた。

 満足に留守番も出来ないのか――と自分で自分が哀しくなったが、とりあえずは慎重に船に近づき、様子を伺うことにした。

 地元の漁師が使っていると思われる簡素な小屋の物陰に身を潜めながら、船の周りに誰かいないかと視線を巡らせていると、


「――……だって言ってるじゃないですか!!」

「――……っせぇな、しょうがねえだろうが!?」


 思いもかけない光景が目に入り、官兵衛はそちらを凝視した。


 船の主・伊予河野の巫姫と、この陸を統べる者……西海の鬼その人が連れ立って何事か言い合いをしている。

 なぜ珊瑚を探すために沖に出た筈の元親がここにいるのだろうか。

「――……っと海賊さん、いい加減にしないとわたし……」

「――……から、この俺がここまで頼んで……」


 切れ切れに聞こえてくる会話から察するに、元親が鶴姫に何か頼み事をし、鶴姫がそれに難色を示して言い合いになっているような様子だ。

 この様子だと鶴姫がここへ来たのは、元親に招かれたからなのかもしれない。

 なんだただの取り越し苦労だったか、と安堵した官兵衛は、噂に聞いていた通り、年端のいかない娘相手にムキになっている元親を見やり、思わず小さく笑った。

 まあ面白いものが見れてよかったか……と、その場を去ろうとした刹那、耳に届いた言葉が官兵衛の笑みを凍り付かせた。


「――……それに、わたしもっと可愛い色の珊瑚が欲しいですッ!!」


 ――珊瑚?


「――……アン? ったくこれだから田舎もんは……珊瑚ってのは色が深いほうが価値があんだよ……」

「――……え、そうなんですか?

……えっと、いいんですか?わたしが貰っても……」

「――……いいって言ってんだろうが……だってそいつは……」

「――……ふふ、西海の鬼とやらも形無しですねー?」

「――……っせぇ、泣かすぞッ……!!」

 どこか照れ臭そうな様子の元親と、先程までより随分態度を和らげ、満更でもない反応を示す鶴姫――。

 なんだ、そうか――西海が珊瑚を贈りたかった相手は女巫か。

 確かに、お互い似たところがあるようだし、案外似合いかもしれない。

 伊予河野が長曾我部と結べば、西の海はますます豊かに、平和になるだろう。

 誰もが祝福する。

 何の問題もない。


 ……何の問題も。


 冷静であろうと努めれば努めるほど目の前が真っ暗になり、ガクガクと体が震えた。


――アンナ小娘ノドコガイインダ。


 理性を凌駕し、飲み込もうとするかのように、ほの暗い声が頭の中に響く。


――西海ハ……小生ダケヲ見テイレバイイ……小生ダケニシカ触レナクテイイ。


――誰ニモ渡シタクナイ……。

「っ……」

 両手で顔を覆い、呻いた。

 もはやいつなりと爆発しそうな負の感情が、ごうごうと渦を巻いていた。

 安芸の地にて、ただ純粋に「四国に帰りたい」とだけ願っていた筈が、いつの間にこんなにも汚れた感情を抱え込んでいたのか……。

 この感情をそのまま叩きつけたらどうなるだろうか。

 ――どうにもならないだろう。

 諦めてくれ、と説き伏せられてそれでしまいだ。


 終わりだ。
 何もかも。



   *  *  *



「よっしゃ、じゃあ明日は南西に船を出してみるか……」

「もう、本当にこれが最後ですからね!」

 この期に及んでケチ臭いことをわめいている巫に、元親はチッと舌打ちした。

「貰うもん貰っといてガタガタ言ってんじゃねえ!!」

「まあなんて、恩着せがましい人……いらないからよこしただけじゃありませんか!」

 鶴姫は懐に入れていた錦の小袋の口を開け、小さな掌にその中身を全て出して、ひい、ふう、みいと数えた。

「もう7つ目ですよ。まだご不満なんですか?」

 血潮のような鈍い赤色の珊瑚。
 最高級の血赤珊瑚が7つ、鶴姫の手にある。

「――まだまだこんなんじゃいけねぇ。もっとデカくて、もっと色の深いやつを見つけねえと……」

 鶴姫の預言に従って船を出し、珊瑚を見付けてはそれを報酬にまた占って貰い、また船を出して珊瑚を探す……元親はもう7日もそれを繰り返していた。

「本当に、納得のいくものが手に入るまでずっとこれを続けるつもり……なんですか?」

「なんか文句あんのか?」

 軽く凄んで見せたが、鶴姫は何ら怯むことなく、それどころか不敵な微笑みを浮かべてきた。

「――海賊さん、本当は想う方に袖にされるのが怖くて、ただ先伸ばしにしちゃってるだけだったりして」

「ば……馬鹿野郎がッ!!そんなわけあるか……!!」


 その場では思わずムキになって否定してみたが、実際のところ元親自身にも思い当たる部分はあった。

 鶴姫の船が出立するのを見送った後で、思わず元親は深く溜め息をつき、頭をかいた。


 認めたくないが、恐ろしいと思っているのは、事実だ。


 誰も目にしたことがないほど上等な血赤珊瑚を手に入れたら、それを贈って、改めてちゃんと口説き直す。


 そう決意したはいいが――黒田官兵衛、あの男は首をどちらに振るだろうか……横だったら、と考えただけでぞっとする。

 ぞっとはするが、そうなる可能性が高いような気もしている。


 自らの居城へ戻る道すがら、元親は官兵衛が最初に四国を訪れた時からのことをぼんやり思い出した。

 官兵衛と初めて交わったのは、3日目の晩だった。
 夜中に元親の寝所を訪ね、夜這いをかけてきたのだ、あの男が。

 大きな図体をしているくせに、今にも泣きそうな心細そうな顔をして「小生を、抱いて欲しい」とすがってきた官兵衛は大いに劣情を誘い、元親は躊躇いなく受け入れた。

 大胆な誘いをかけたくせに、妙にぎこちない奴だと思いながらも抱いて、事が一通り済んでから「男とは経験がなかった」と聞かされて、焦った。

 初めてとわかっていればもっと気遣ってやったのに――と言ってやったが、「別に、どんなふうにされても構わないんだ」と官兵衛はただぽつりと呟いただけだった。

 あの時から、本当は違和感を感じていた。

 それなのに、気付かない振りをして毎夜官兵衛を抱き続けた。

 抱かれている時に顔を見られたくないという官兵衛を後ろから犯しながら――本当はいつも、部屋の隅に置いた鏡を介して見ていたのだ。

 絶頂を迎える度、快楽に溺れながらも、悦びとは別の、冷たい涙を溢す官兵衛の顔を。


 それでも、何もしてやらなかった。


 官兵衛の気持ちなど無視し、ただ自分の渇きを満たすための道具として使い続けた――これではまるで、元親の大嫌いなあの男と同じではないか。


 さぞや辛かったのだろう。

 罪の意識に苛まれ、望みもしない行為を乞い、別に好いてもいない男に脚を開いて。

 もし自分が官兵衛の立場だったなら、いっそ死にたいとすら思うだろう。

 ――実際、官兵衛もそう思っていたのかもしれない。


 そんな苦しみからようやく解放され、自由になった官兵衛を、再び四国に連れ帰ったのが本当に正しいことなのかはわからない。

 自分の近くにいる限り、あの頃のことを思い出して辛くなるのではないかとも考えたが、出来れば今度こそ官兵衛とちゃんと向き合い、大切にしてやりたいと思った。

 ――何故なら、惚れているからだ。

 どうしようもなく、あの男が愛おしい。


 だが今更こんな想いをぶつけて、果たしてうまく伝わるのか。
 それが不安だからこそ、形のある証明が欲しかった。


 雑じり気のない想いの結晶……血潮のように赤い珊瑚。


 いつか重なり合いながら話したことを覚えているなら、珊瑚に託した想いは官兵衛にも伝わる筈だ。


 だが実際に珊瑚を手にすると、二の足を踏んでしまう。確かめることを躊躇する。

 まだこんなもんじゃ足りない――そんな気持ちになる。

 あの巫が言うように、これは逃げなのかもしれない。


 西海の鬼ともあろうものが、こんな体たらくか。


 自嘲の溜め息を漏らしながら、ようやく帰り着いた居城の門をくぐったところで、

「アニキーっ!!」

 どどどど、と凄い勢いで部下たちが大勢駆け寄って来た。

「な、なんだお前ら、どうした?」

 流石に面食らう元親を、部下たちはひとまず「お帰りなさい」と迎えたが、変にそわそわした様子だ。
 何事かと思っていると、一人が代表するように口を開いた。

「実はちょうど今さっき、家康さんが来たところなんですよ」

「家康が? なんだ、それなら早く言いやがれ、どこの部屋に通した?」

 徳川再興のために忙しく飛び回っている家康は、なかなか四国に顔を出さない。

 少しの時間も惜しく思われ、早く家康のところへ――と気が急ぐが、それにしても部下の様子が妙だ。

「野郎共……まさか家康に、なんかあったのか?」

「いや……家康さんになにか、ってより……官兵衛さんが……」

「……黒田?」

「今家康さんと話してるんですけど、なんか様子が……」

 もう話はそれで十分だった。

 家康と官兵衛がいる部屋を確認すると、元親は勢いよく駆け出した。

 官兵衛に何かあったというなら、じっとなどしていられない。

 今度は見て見ぬ振りはしない。

 ちゃんと向かい合い、お互いの目を見て話がしたい。

 まずはそれからだ。


 しかし。


 無我夢中で突っ走り、目的の部屋の前に辿り着いた時、中から聞こえてきた官兵衛の言葉は、元親の想像を絶するものだった。


「――権現、小生を連れ出してくれッ! もう、ここには居たくない……嫌なんだ……」









《続》








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