四文字の束縛【後編】 | ナノ


四文字の束縛【前編】




「あ……いけねえ」


 官兵衛の部屋を出て大分立ってから、元親は重大な忘れ物を思い出した。

 官兵衛が夜なべして書いたと思われるカラクリの設計図――うっかりあれを持って来るのを忘れていたのだ。

 すぐにくるりと踵を返し、元来た廊下を戻り始める。

 この廊下を通って官兵衛の部屋に通うのはほとんど最近の日課になっていた。

 家康によく聞いていた通り、官兵衛は面白い男だった。

 元豊臣の軍師、と言われて頭の回る小狡い奴か、腹黒い冷血漢を想像していたのだが、実際の官兵衛は、頭は回るがあまり要領のいい人物ではなく、口は悪いが人は良さそうな男だった。

 元親と対等に話せるほどカラクリに詳しいのも頼もしい限りだったし、四国の復興にも力を尽くしてくれている。

 まだどことなく遠慮している様子なのが気になるが、それでも最初に比べれば随分打ち解けたほうだろう。


――あれは根からの裏切り者だ。容易く信用し過ぎるな……。


 以前、ある人物から言われた言葉をふと思い出した。

 ……もうそろそろ、いいんじゃねえのかな……と心の中で呟きながら、元親は上着の物入れにいつもしまってある、とある「預かり物」を指先で弄ぶ。


 はじめ官兵衛を複雑な表情で見ていた「野郎共」も、近頃では官兵衛と話したくてうずうずしている様子なのがよくわかる。

 あのカラクリの設計図は、いいきっかけになるだろう。
 あれを見れば連中は官兵衛をますます見直すだろうし、話しかけるきっかけも出来る。

 たちまち人気者になって質問攻めにされている様が目に浮かぶ。

 そうなってくれればひと安心――なのだが、なんとなく寂しいような気もするのは、官兵衛と2人きりでゆっくり語らう時間が必然的に減ってしまうからだろうか。

 一体何考えてんだろうな――と苦笑するうち官兵衛の部屋の前に戻り着いた。

 「入るぞ」と声を掛けようとした元親は、異変に気づいて口をつぐんだ。

 声がする。

 苦しげな呼吸とともに、官兵衛の声が。


「……西海……っ……西、海……はぁ」


 その声が自分を呼ぶものだと気付いた元親は、一体何事かと隻眼をすがめながらも、障子戸を少し開けて中の様子を伺った。


「……っ」


 思わず息を呑んだ。

 つい今しがたまで話し込んでいた官兵衛が、あられもない格好で自分を慰めている姿が目に飛び込んできた。

「っ……あ……西海……っ」

 脚を開いて座り、枷で戒められた右手で竿を扱き、左手では袋を揉み、反らせた逞しい背を震わせながら甘い息を漏らし、そして――ひたすら取り憑かれたように元親を呼び続ける。

 あまりの出来事に、元親は完全にあっけにとられていた。

 元親に見られているとは夢にも思わないのだろう、官兵衛は恍惚の表情で自分の身体をまさぐり、狂おしげに腰を蠢かせる。

「う……っ……ぁ……西海……西海……西海っ……」

 限界が近いのか呼吸の間隔がどんどん短くなり、声音もどんどん余裕がなくなる。

 いつしかその光景に見入ってしまっていた元親は、半ば無意識にもっとよく見ようと身体を乗り出していた。

 その時、膝頭が障子戸に当たり、ガタッと予想外の大きな音が響いた。


 その音に、官兵衛が突如我に返ったというようにばっと振り返った。


「あ……」


 思いきり目が合った2人は同時に間の抜けた声を漏らした。


「さ……さ……西海ッ……!?」

 官兵衛は気の毒なほど狼狽え、まだ欲を吐き出せず屹立したままの一物を着物で隠し、大きな身体を縮こまらせながら、怯えたように元親を見上げた。

「……ち……違うんだ……これは……今のは……」

「黒田……?」

 元親もまた、勝手に覗いていた手前ばつが悪い気持ちになりながらも、室内に踏み込み、官兵衛の前にしゃがんだ。

「……あんた今、俺のことを……」

「だから、違うんだ……小生はその……」

 しどろもどろで言い訳を探す官兵衛を見つめながら、元親はひとつため息をついて、また口を開いた。

「……もう一度『も』を言ってみるか?」

――モウ嘘ハ、ツカナイ

「っ」

 官兵衛は押し黙り、すがるような目で元親を見た。

 それでも元親が何も言わずにいると、諦めたように項垂れ、重い口を開いた。

「……そうだ。小生は今お前さんの名前を呼びながら……していた」

 羞恥に肩を震わせながらの告白に、元親は思わず右目を見開いた。

「あんた……なんだってそんな……」

「……気色の悪いことをしてすまん……許してくれ……」

「誰も謝れなんて言ってねえだろうが。なんだってそんなことしたのか、って俺は聞いてんだ」

 官兵衛は行為の余韻で荒く息をつきながら、覚悟を決めたかのように声をしぼり、答えた。

「……お前さんに、惚れてるからだ……お前さんに……身体に触れられて、優しくされて……ただそれだけで欲情するほどにな……」

 最後のほうは自嘲に震えていた。

 思いもよらない告白に少なからず衝撃を受けながらも、元親は冷静に官兵衛を見つめていた。

 一体いつからそんな想いを向けられていたのか?
 言えずに苦しい思いをしていたのではないのか?

 すぐに察してやればよかったな、と思った。

 元親は思わず頭をかいた。

「そりゃ……なんつーか……ありがとな」

「……何でお前さんが礼を言うんだ……?」

「そりゃもちろん、あんたの気持ちが嬉しかったからだ」

「うれしい?」

 はっきり言ったつもりなのに、官兵衛はまるで意味がわからないという顔をしている。

 やはり要領の悪い男だ。

 元親は思わずくっと笑い、

「どうやら俺もあんたが好きみてえだ……あんたの色っぽい声で呼ばれて、興奮しちまったくれえだぜ」

 そう言って、枷から伸びた鎖を掴み、官兵衛の手を自分のほうに引き寄せ、布越しに自身に触れさせた。

「ほら……な?」

「っ……ぁ」

 確かな熱と硬さを示しているそこに触れ、官兵衛は悩ましい吐息を漏らした。

 元親は我知らず喉を鳴らし、低い声音でそっと囁いた。

「……いきなりで悪ィが、これからあんたを抱かせてもらう」

「っ……んふっ」

 何か言いたそうな唇を塞ぎ、そのままトンと押して背中から寝転がらせた。

「っ……う」

 枷のついた両手を頭の上に上げさせて、覆い被さるようにして、深く口付ける。

 逃れようとするかのように身じろいでいたのは最初だけで、徐々に抵抗は弱まり、元親に全て委ねるように舌を差し出してきた。

「……ぁ……西、か……い」

「ん……」

 角度を変えて求め合ううち、あの事件以来、二人を隔ててきたわだかまりの壁が完全に消えていくのを感じ、その心地よさに酔いながら、ふと視線を斜め上に向けた。

 枷に囚われた手がもどかしそうに宙をかき回している。

 元親は物入れに突っ込んだままの手に、例の「預かり物」を握るとそれを取り出し、口づけを続けたまま、さ迷う官兵衛の手を取った。

 チュッチュッという口腔の粘膜が立てる音に、カチャカチャという無機質な音が重なり出す。

 ガッチャンと一際大きな音が鳴った瞬間、官兵衛の身体がビクッと震え、唇が離れた。

「な……なぜじゃ……?」

 官兵衛は頭の上に上げていた腕を下ろし、呆然と自分の手を見つめた。

 枷から解き放たれた両手を。

「やっぱり、抱き合うにはそいつは邪魔でしょうがねえもんな……」

 そう言って笑いながら、元親は例の「預かり物」……枷の鍵を官兵衛に見せてやった。

「お、お、お前さん……なんでそれ……」

「アアン? 説明は後だ後、とっとと邪魔なもん全部取っ払って楽しもうぜ」

「なっ……西海……!!」

 元親は鍵を物入れに戻し、そのまま上着を横に脱ぎ捨てた。そして枷が無くなって格段に剥ぎ取りやすくなった官兵衛の着物にも手をかける。

 まだ何か聞きたそうな官兵衛だったが、剥き出しの肌に直接触れてやると、流石に余裕も無くなったのか、何も言わなくなった。


 鍵の話はそのうちしてやるつもりだ。

 気難しいが真っ直ぐな気性の「鍵の主」は、元親の求めに渋々応じて鍵を差し出しながらも、むすっとした顔付きで忠告してきた。

――あれは根からの裏切り者だ。容易く信用し過ぎるな……。
貴様があの男をどうしても解放したいというなら私は止めはしない……だが、覚えておけ。

あの男が、けして自分を裏切らないと確信出来るまでは枷は外すな。


「っあ……西、海……」

 生まれたままの姿を暴かれ、欲望に張り詰めた一物を再びさらけ出させられ、あまつさえ後孔を指で探られ、羞恥に顔を紅潮させながらも、自由になった手でひたすら元親を求めてくる官兵衛の姿。

 これを見て、裏切りの懸念など湧いてくる筈がない。

 ――だから、もういいよな? ……石田。

 「鍵の主」に心の中で問いながら、元親は官兵衛の手を取り、自身の背中に回させた。

 官兵衛はどこか安堵したように笑みを浮かべ、元親の背にすがりついた。

 元親も背中を這う指の感触に深い満足感を覚えながら、官兵衛の首筋に軽い唇を落とし、

「……入れても平気か?」

 と静かに問うた。
 官兵衛が頭を上下するのを見るや否や、実はとっくに我慢の限界を越えつつあった自身の欲望を、官兵衛の後孔にぐっとねじ込む。

「ひっ……あぁッ」

 強ばる身体をなだめるように、あちこちに口づけを落としながら、元親は自身を官兵衛の奥まで突き入れ、労るようにゆっくり腰を動かし始めた。

「……んぁ……」

 同時に前も慰めてやり、全身を使って官兵衛を追い上げる。

 官兵衛のものがとろとろと先走りを零れさせ、手を汚すのを感じて、少し腰の動きを早めた。

「っ……ぁ」

「……イイのか? 黒田」

「……ぅ」

 元親の問いに、羞恥心からか、官兵衛はただせつなげに吐息を漏らすばかりで答えようとしない。

 ほんの少し悪戯心がうずき、官兵衛の耳元に囁く。

「……黒田……『か』は……?」

――隠シ事ハシナイ

「っ……な……」

 官兵衛は「こんな時にずるいぞ」と抗議するかのように元親の背に爪を立てながらも、

「……イイ……気持ち、イイか、ら……もっと……西海……!」


 そう素直に口にし、もっと深く繋がろうとするように、脚を絡ませてくる。

 元親は今更ながら込み上げてくる愛しさに胸を焦がしながらも、ともに辿り着く絶頂を目指し、更に激しく腰を打ち付け始めた……。



   *  *  *



 嵐のような行為の後、官兵衛は、出すものを出しきってぐったりと疲れきった身体を横たえた。

 元親もその隣に身体を休め、さっきから官兵衛の長い髪を弄んでいる。
 その感触の心地よさに眠気を誘われながら、

「……大坂には、行かなくていいのか……?」

 と今更のように問う。

「今日はやめだ……あんたが眠るまでこうしててやる」

 官兵衛は重い目蓋を持ち上げ、元親を見やった。

「……西海……やることやっといてなんだが……小生は今一つ、状況が整理出来てない……その……」

 元親は髪をいじるのを続けながらも、フッと笑みを浮かべた。

「……黒田……『も』を言ってやろうか?」

「え……?」

 意味がわからず困惑する官兵衛の耳元に顔を近づけ、元親が囁く。

「『も』は、もうこれであんたは俺のもん……だ」

「……あ……」

 恥ずかしい言葉を耳元で言われ、一気に眠気が吹っ飛んでしまう。

「『と』は……永遠(とわ)にあんたへの愛を誓う、だ」

「それから『ち』は……」

「も、もういい!!わかった!!よくわかった……!!」

 これ以上はもう聞いていられない、と、官兵衛は、続きを言おうとする元親の唇を慌てて塞いだ。









《終》






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