風待ち星 | ナノ
 徳川家康と本多忠勝が去った後、足早に私室に戻った黒田官兵衛は戸を閉め切ると、徐に部屋の中央にしゃがみこみ、鉄球に頭を軽く打ち付けるようにして預けて深く息を吐き出した。
 ずっと耐えていた何かを解放したかのような深い嘆息の後、出来るだけ声を殺すようにしながら黒田官兵衛は肩を震わせてえづき始めた。抑えた呻きと共に何度も断続的に吐き出される呼気。
 結わえた髪の下から覗く太い首筋は血の気を失ったような色をして冷や汗を滲ませていた。
 俺はいつものように最初姿を隠して後ろに立ち、しばし様子を観察した後、術を解いてその背を軽く叩いた。
「……っ……」
 黒田官兵衛は、びくりと怯えたような反応を示し、首を捻って俺の姿を視界に捉えた。
「……か……かざ……っ」
――やはり、泣いていたのか。黒田官兵衛……。
 大の男が落涙で顔を汚し、悪夢から醒めきらない童のような顔をして、声が詰まって満足に俺の名を呼ぶことも出来ていない。
 だが呼ぶ必要もない。俺は、ここにいるのだから。
 温もりがほしいか? 黒田官兵衛。その青ざめた体を温めてやるにはどうしてやればいい?
 俺は黒田官兵衛の傍らに膝を突き、汗に湿った黒髪を少しどかしながらその頬に触れ、雫を指で拭った。
「……あ……」
 黒田官兵衛は短く声を漏らすと、更にその顔を歪め、また新しい雫が伝い落ちた。
「……す……まん……っ」
 何故か謝罪の言葉を口にした後で、黒田官兵衛はその大柄な体躯をぶつけるようにして俺に身を預けてきた。
 そのまま受け止めれば、二つの体に挟まれた枷と鎖が窮屈そうに擦れて音を立てた。
 俺はあえて一度体を離すと、黒田官兵衛の両腕が作る輪をくぐるようにしてその間に入り込み、そのまま体を密着させるようにして抱き締めた。
「えっ……あ……」
 こうしてやったほうが温もりはよく伝わる筈だ。体勢による負担も少ない。 
「……風切、羽……」
 いくらか落ち着いたのか、俺の名を今度こそ明瞭に紡いだ後、黒田官兵衛はゆっくり深呼吸を始めた。
 呼吸を整えながら思考を……いや、それ以上に感情を整理している。 
 この男を苛むものは身体の苦痛ではない――“心”の苦痛、恐らくはそうだ。
 お前がそうして苛まれる姿に、俺の中で軋みを訴えている“これ”もまた……“心”。
 一度受け入れてしまえば違和感なく、俺の中でそれは新しい理となった。
 俺は影に生きる者でありながら、人の理に近づき過ぎた“風魔小太郎”。
 掟によって裁かれることが既に覆らぬ運命だとしても最早この新たな理から逃れることは出来はしない。
 だから俺は全てを受け止める覚悟を持って、お前をこの腕に抱くのだ。 

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