話せば解る 「お前さんは、酒はやらんのか?」 そう問いながら杯を傾けて見せたが、案の定答えは無かった。 首を振って見せる程度の素っ気ない意思表示すらせず、その忍は無言のまま胡座をかいて座り、こちらを見ていた。 いや、兜で顔が半分隠れているので正確には見ているのかどうかすらわからない。 伝説と呼ばれる忍・風魔小太郎はそういう男だった。 折角統一した九州を豊臣に奪われた官兵衛が、更なる支配から逃れるために小田原と結び、北条氏政に匿われて半月が過ぎた。 この半月官兵衛は、氏政から小田原城内の一室を与えられ、忌々しい手枷を外すことが出来ないまでも、気持ちの上では久々の自由を満喫していた。 まだまだ再建中の小田原城ではあったが、官兵衛の部屋はよく手入れされた庭に面していて、襖を開け放てば、今宵のように星を眺めながら酒を楽しむこともできる。 「小田原はいいところだな、風切羽」 風切羽、そう呼ばれたのが自分だとわからないわけでもないのだろうが、やはり風魔は何も反応を示さない。 官兵衛は小さく溜め息をつき、戒められた不自由な手で杯を煽った。 「……とはいえ、いつまでもここでのんびりしてるわけにもな」 氏政の厚意に報いる為にも、憎き豊臣を叩き潰す為にも、そろそろ東をまとめる戦を始めなくてはならない。 この半月でその為の策は整った。 そして氏政は官兵衛を信頼し、勝利の為、小田原の軍を好きなように動かしていいと言ってくれている。 それはつまり今目の前にいる男、北条家の切り札たる風魔小太郎をも好きに使っていいということだ。 実際、主である氏政から「官兵衛殿に良く従うようにのう」と命じられているらしい風魔は、官兵衛が一声呼べばすぐに音も無く駆け付ける。 「小生の晩酌に付き合え」と言えば、自分は飲まないまでも、こうして静かに傍らに控えていてはくれる。 だが、あくまで「いてはくれる」、というだけだ。 官兵衛は杯を置くと、鎖をジャラリと鳴らしながら風魔のほうに向き直った。 「いいか、風切羽。戦が始まったら、お前さんの力は戦場の要になる。小生の軍略とお前さんら風魔忍者の術が巧く噛み合えば、どんな軍にも負けはしないだろ……たぶんな!」 官兵衛はニヤリ、と口の端を吊り上げた。 「だから、うまく戦を運ぶ為にも、小生はお前さんとは互いに理解を深めておきたい……極端に無口なのか他に理由があるのかは知らんが、少しくらい、小生と話をしてみる気にはならんか?」 話せば解る。 伝説の忍と言えど人間の筈だ。言葉を交わせれば、人となりを理解できるだろう。 裏を返せば、話さなければ解らない。 解らないものは信用出来ない。 風魔の忍としての力量には疑いはないが、だからこそ何かの拍子に敵に回るようなことがあれば致命的だ。 風魔も所詮は金で雇われている傭兵。 乱世を生き、様々な裏切りに遭遇し、様々な不幸を味わってきた官兵衛は、簡単には他人を信用しない。 何としても「風魔小太郎」という男の本質を見極めたかった。 しかし風魔はこの期に及んでも何も答えようとはしなかった。 梢に留まった、鳴かない大きな黒い鳥のように、ただ静かに佇んでいる。 「……なあ、おい」 官兵衛は、御簾のような長い前髪ごしに風魔を睨んだ。 「言葉が話せないならせめて、是か否かの意思くらい見せてくれ」 少しばかり酔いが回って来たようだ。 そう頭の片隅で理解しながらも、官兵衛は畳の上を擦るようにして、無口な忍ににじり寄った。 風魔がその気になれば一瞬で首と胴体が永遠におさらばとなるであろう、危険な間合いに無防備に入り込み、酒臭いであろう顔を近づける。 しかし風魔は動かない。 その無反応が気に障る。 一体何を言えば、この沈黙を崩せるのか。 「……お。お前さん、近くで見ると端正な顔立ちをしてんだな」 そして官兵衛は、酔っていたとはいえ、実に下らないことを思い付いてしまった。 「……今から、小生の夜伽相手でも務めてみるか?」 勿論本気ではなかった。 衆道の経験がまるっきりないということもなかったが、共寝するなら女のほうがいい。 ましてやこの無愛想な忍と事に及ぶなど考えてみたことすらなかった。 ただ、このくらい突拍子の無いことでも言わなければ風魔は素を出さないと思ったのだ。 いくら風魔でも、突然夜伽の相手をしろ、などと言われれば嫌な顔くらいはして見せるだろうと。 官兵衛としては、それだけだったのだが。 「ん……ふっ」 思わず鼻にかかった声が漏れた。 一瞬何が起きたかわからなかい。 唇を隙間無く塞がれていたのだ。 目の前にいるこの男の唇で、だ。 狼狽えている間に歯列が割れる。 ぬるり、と舌が潜り込んでくる。 「ん……うっ……!」 逃れようとした頭を押さえ付けられて、きつく吸われる。 「っ……ふぁ……っ!!」 よせ。 やめろ。 もういい。 はなせ。 ばか。 言葉に出来ない思いを込めて、枷のついた手で風魔の胸を叩いたが、そんなことでは奴はびくともしない。 けして口吸いを止めようとはしない。 ほら見ろ、言葉にしないと何も伝わらないじゃないか。 心の中でそうぼやきながら、気づけば背中にひやりとした感触があった。 畳だった。 口を吸われながら押し倒された……自分の身に起きていることがまだ完全に理解できず、官兵衛はただ状況に流されていた。 「く……ぁ」 元々酔っている上に、良いように口内を蹂躙されながら冷静な判断など出来る筈もない。 迂闊にも薄っぺらい夜着しかまとっておらず、両手は常通り拘束されているものだから、器用そうに動く手が、布の合わせ目から侵入するのをあっけなく許してしまう。 「ん……う」 冷たい指先で直に腿の辺りを撫でられ、思わず背中を仰け反らせる。 そうしている間にも口内を好きに弄ばれて、飲み込めない唾液がつ、と溢れてきた。 一体こんな技をどこで覚えて来たのか、と思うほど風魔の舌使いは巧みだった。 風魔忍術には房中術の類いも含まれるのだろうか。 おまけにこちらは長いこと色事に無縁の穴蔵暮らしを余儀なくされていた身だ。 捌け口の無かった欲は刺激されればすぐにでも熱に変わる。 自ずと体の中心に熱が集まるのを感じて、官兵衛は身を捩った。 微かに濡れた音を立て、糸を弾きながら唇が離れた。 離れて尚至近距離で官兵衛を覗き込む風魔は、こんなに激しい行為を施しながら、何事もないような涼しい顔をしている。 官兵衛は畳に寝転んだまま荒く呼吸をしながら、自らの袖口で唾液にまみれた口許を擦った。 「か……っ、風切羽……」 ようやく、もういいから止めてくれ、と頼む隙が出来た。 官兵衛が止めろと言えばすぐにでも風魔は手を引き、それ以上何もしてはこない筈だ。 だが、煽り立てられた身体はただ正直に次の刺激を欲し、官兵衛に制止の言葉を呑み込ませた。 このまま、中途半端なところで止められるのはきつい。 ならばいっそ。 そんな考えが頭の中を占拠する。 風魔はただ淡々と任務をこなす、といった面持ちで官兵衛の着衣の前を開き、露になった肌をなぞり、下帯にまで手をかけた。 その時。 「ま……待て……!」 ようやく官兵衛が絞り出した言葉に、風魔の手が止まる。 兜ごしに、静かな眼差しが官兵衛を見つめていた。 官兵衛はその眼差しを受け止めながら、枷のついた手を上げ、すぐそこに広がる庭のほうを指し示した。 「……襖を、閉めてくれ……頼む」 風魔はしゃがんだ姿勢から軽々と跳躍し、すとんと立つと、手早く庭と部屋とを仕切る襖を隙間無く閉ざし、また元の位置に飛び戻った。 そしてまた、次の指示を待つかのようにじっと官兵衛を見つめる。 自分からは何も語ることはなく、官兵衛が望みを口にするのを待っている。 官兵衛は深く溜め息をつき、口を開いた。 「……続きを、やってくれ」 ついに欲望に身を預ける決意をした官兵衛に、風魔は再び仕事を始めた。 すでに起き上がっている官兵衛の一物を取り出し、握る。 相変わらず体温を感じさせない指が絡まり、ゆるゆるとそこを扱き立てた。 「っ……はぁ」 熱い呼気を吐き出しながらも、官兵衛は風魔を見つめた。 伝説の忍にこんな真似をさせていいものなのか、と今更思うが、先方のこなれた所作を見ていると、意外と珍しいことでもないのかもしれないとも考えてしまう。 風魔の顔立ちが(晒されている範囲に限るが)整っているのは事実であるし、雇用主の命令とあれば何でも忠実にこなすこの忍を、褥に招きたいと思う者がいてもおかしくはない気がした。 この性技も過去に風魔と契約した何者かに仕込まれたのかもしれない……などと思いを巡らせるうちに、当の風魔は官兵衛の下腹部に顔を埋める。 「っ……はぁ」 躊躇いもなくそこを口に含まれて、舌と唇で刺激を与えられる。 先程口吸いだけで官兵衛を追い詰めたあの舌使いで責められるのだからたまったものではない。 始めて幾らも経たないうちに、あっという間に限界までもっていかれ、くっ、と息を詰めながら達した。 官兵衛は解放感と安堵に身体を弛緩させながら、嫌悪の色など一切見せることなく口内に出された男の精を飲み下す風魔を見やった。 何も感じないのだろうか、と思う。 課せられた任務に大して、喜怒哀楽どころか快も不快も、何も。 躊躇うことも、悔いることも。 「……お前さんは、こんな命令には従いたくない、と思ったことはないのか?」 急速に熱が覚めて冷えきった頭の中に、忘れられない光景が……あの青く澄んだ海が浮かび上がる。 汚れない青が、血と炎で赤色に染まっていったあの日の記憶が。 「……小生にはあった。だから、ここに来たのさ」 風魔は相変わらず無言のまま官兵衛をじっと見つめている。 それに官兵衛は苦笑をたたえた。 「……お前さんにはわからんかもしれんが、それでもいい。滅ぼした側の良心の呵責の有無なんざ、滅ぼされた側にしたらどうでもいいことだろうよ」 官兵衛が鎖を鳴らしながら上体を起こすと、風魔は甲斐甲斐しく乱れた夜着を直す。 みっともない自嘲の言葉など聞いているのかいないのかすらわからない顔で。 氏政が風魔を手放さない理由がよくわかる。 もちろん一番の理由は忍としての実力故だろうが、恐らくそれだけではない。 沈黙が心地よいのだろう。 罪人を咎めることも赦すこともしない。 敗者を蔑むことも哀れむこともしない。 空のよう。 風のよう。 そんな風魔を側におくと、不思議と心が軽くなる気がする。 仕事を終え、また最初に控えていた定位置に戻ろうとする風魔を、 「風切羽」 そう呼び止めて兜ごしに顔を覗く。 「……もし小生が、北条殿の倍の金子でお前さんを雇いたいと言ったらついて来るか?」 そう問うた刹那、風魔はふわりと宵闇色の羽を撒き散らしていきなり姿を消した。 「おい、本気にするなよ。冗談だからな?」 どこに消えたともしれない忍にそう語りかけながら、畳の上にゆっくり降りてくる羽を目で追い、官兵衛は小さく笑った。 「……まったく、よく解らん奴だ」 《終》 ★戻る★ ★Topへ戻る★ |