籠鳥恋籠【後篇】 | ナノ


 籠鳥恋籠【後編】




「うんうん、実に賢明な判断だよッ。最初からそう言ってくれれば痛い思いもしなかったんだけどね」

 手当てされ、布を巻かれた肩口にぺたりと触れられ、痛みと不快感に顔を背ける。

「……満足したなら早く縄を解け。ついでに枷もな」

 ヤケクソ気味に吐き捨てる。

 狐は「ふーん」とうなりながら顎に手を当てて、値踏みするように小生を見つめたかと思うと、

「ちょっと失礼するよ」

 と言いながら、小生の衿をぐいっと引っ張り、隠されていた肌を露出させた。

「っ……な」

 そこには昨夜右目が残した痕跡がある筈だ……今朝確認したから見なくてもわかる。

「やめろ……何すんだ……」

 縛られた体を無理矢理ねじって隠そうとするがままならない。羞恥に体が熱くなるのを感じる。

「これはこれは……貴公が小十郎君の情夫という噂は本当のようだね」

 情夫??

 確かにそう言われればそんなようなものだが、思ってもなかった言いようにますます体が熱くなってくる。

「仮にそうだったらなんだってんだ……」

「ハハハ……いやいやなに、我輩も少し味見がしてみたいと思っただけだよ」

「……は?」

 言われた言葉の意味を把握するより早く、開かれた衿元から、冷たい指が入り込んできた。

「な……ッ……やめろッ……!!」

「楽にしていたまえ、すぐに善くなるからねッ」

「くッ……冗談、だろ……!?」

 いやらしく胸元を捏ねる手のおぞましさに鳥肌が立つ。


 ――いいようにされるってのか?

 こんな小者に?

 右目が――小生の愛しい竜が求め、愛でてくれたこの体を……。

「――所詮、小生は籠の雀だ……」

「んー?何か言ったかね??」

「……だが雀にも誇りはあるんだよ。

囚われる籠くらいは自分で選ぶ……!!」

 ぐっと渾身の力を込めた。

 ブチリとあっけない音を立て、小生を戒めていた縄が千切れる。

「お、おや?」

 何が起きたのかわからない顔をしている狐に、めいっぱい不敵な笑みを浮かべて見せなから、その頭に振り上げた枷を打ち付けた。

「コォォーンッ!!」

 奇声を上げ、前屈みになった狐を力一杯はね除けると、小生は鉄球を振るって派手に破壊した壁をくぐり、座敷牢から飛び出した……が、大事なことを思い出して引き返す。

 頭を抱えて唸っている狐の上衣から素早く鍵を奪取し、もう一度穴から飛び出した。

 すぐさま枷を外したかったが、なんせ今得物はこの鉄球しかない。丸腰で城から逃げるのは流石に無理がある。

 異変はすぐに広まり、バタバタと追手の足音が迫ってくる。

 ……捕まってたまるか。

 どんな手を使ってでも奥州に――小生の戻るべき籠に帰ってやる……!!



   *  *  *



 ハアハアと荒い息をつき、大樹を背にしながら束の間の休息を取る。

 追っ手を撒き、時にぶっ飛ばしながら突き進み城の外までは逃げ出した。
 ひとまず林に身を潜めたはいいがどうも囲まれているようだ。

「……まずい、な……」

 かすり傷とはいえ手負いな上、長いこと縛られていたせいで手足が痺れ、感覚が麻痺していつものように走れず戦えないのが響いちまってる。

 戦い自体が久々だからってのもあるか……。

 枷が外れりゃ刀が握れる……奥州に戻れたら、右目に頼んで鍛練をさせて貰うか……。

 ――そうだ、奥州に戻らなきゃならない。

 こんなところで終わる気はさらさらない。

 囲まれている以上、一か八か突っ切るより他はないだろう。

 小生は知性派だが、力業だってお手の物だ――押しきってやる。

 意を決すると、鉄球を無傷なほうの肩に背負うようにして、小生は全速力で駆け出した。

「――いたぞ!!暗の官兵衛だ……!!」

「生け捕りにしろ……っ!!」

 小生は野生の獣か??――随分な言われように苦笑しつつ、刀と槍を避け、矢も火筒も間一髪かわしながら向かってきた雑兵を蹴散らし、走る。

 よし、これならなんとか逃げられそうだ――そう思った瞬間。

 不意に足元が音を立てて大きく揺れ、体勢を崩して倒れそうになった。

「なっ……」

 小生のよく知る轟音が足元から響いてきた。

 まさか――と思いながら後ろに身を翻す。

 グオウンと重厚な音を立て、土煙を巻き起こしながら突き出した回転する螺旋状の巨大な錐。

 少し判断が遅れていれば直撃しただろう。

「な……なぜじゃ……」


 それは更なる轟音を上げながら完全に姿を現した。

 角土竜だ。

 小生の設計した重機がなんだってこんなところで襲って来るんだよ……!?


「ハハハ、見つけた、見つけたよ白田君ッ、あんまり往生際が悪いと我輩に嫌われるよッ!」

 もはや聞いているだけで腹の立つ声が轟音に混ざって響いた。

「も……最上義光……!!」

 少し離れた小高い丘に立ち、指揮刀片手に楽しげにくねくねと体を揺らし、狐は笑う。

「さあ、屈服したまえッ!さもないと我輩の超土竜角有剛護号の餌食になってしまうよッ!」

 何が我輩の、だ。元々は小生のもんだぞ……!?

 二重三重の腹立たしさに舌打ちながら、今にもこちらへ襲ってきそうな重機を睨む。


 流石に分が悪いか……?


 ――だが、屈服なんざありえんね。


「来るなら来い……何者が立ち塞がろうと、小生はお前さんの手には堕ちない……!!」


 啖呵をきった刹那、グインと唸り、回転する錐が小生に狙いを定めると、木を薙ぎ倒し、岩を吹き飛ばしながら突進を開始した。


 来たか――冷静にかわそうとした。だが、麻痺した足がもつれる。

「くっ……そ……」


 ――間に合わない。


「……官兵衛……ッ!!」


 目の前に飛び出して来た黒い影が、小生の視界を半分隠した刹那、鋼鉄同士がぶつかり合い軋んで悲鳴のような音が上がった。

「な……」

 異音を上げながら回転する角土竜の角が、黒光りする鋭い刀身で受け止められ、火花を散らしていた。

 小生は目の前に飛び出し、庇ってくれた相手が誰なのかを確かめるより早く、夢中で枷を振り回し、鉄球の一撃を角土竜に食らわせてやった。

 なんせ設計者だ、どこを狙えば効率がいいのかなど知り尽くしてる。

 鉄球を食らった角土竜はぐるりと半回転し、黒煙を噴き出しながら停止した。

 よっしゃ――首尾がうまくいったのを確認した刹那、無理に鉄球をぶん回したせいで体勢を崩し、地に倒れ込みそうになった。

 だがすんでのところでしっかりと体を支えられ、膝をついただけで済んだ。

 肩を上下し、荒く息を吐きながら、小生はようやく確かめた。

 小生を角土竜の一撃から守り、今こうして支えてくれている相手が誰なのかを。

「……み……ぎ……め……」

 信じられなかった。

 まるで都合のいい夢でも見ているかのようだ。

 小生のすぐ傍らに、竜の右目がいる……。

「――大丈夫か?怪我は……あるようだな」

「いや……大したことはない……が……お前さん、なんで……」

 右目は愛刀を鞘に納めながら、小さく笑って小生を見やる。

「迎えに来ねえほうがよかったか?」

 慌てて首を横に振った。

「違う……だが、お前さんは小生がいなくなっても構わないんだと……思ってた……」

「構わねえのはオメェが自分の意志で出て行く時だけだ――今回は違うだろう?」

 今度は首を縦に振る。

 だがどうして今回は違うとわかったのか。ここに囚われていると知っていたのか。

 右目は小生の疑問を察したかのように自らの懐に手を入れると、懐紙に挟まれていた小さな紫色の花を見せてきた。

「茄子の、花……?」

「オメェが間引いてた畑に落ちてた花だ。あんなに中途半端なやりかけのまま、オメェがどこかに行くとは考えられなくてな……とりあえず一番疑わしい輩を叩きに来てみれば、案の定だったか」


「右目……」

 ちゃんと気付いてくれていたのか。

 小生が望んで奥州を離れたわけじゃないことに。

 たったそれだけのことが心の芯を温める。

「待ちたまえッ!貴公らはさっきから我輩の存在を忘れていないかいッ!?」

 実際のところ本気で一瞬忘れていた狐の奴が飛び跳ねてわめいていた。

 あれはどうするのかと右目を見やれば、くいっと顎で狐のほうを……いや正確には狐の後ろを示した。

「よう、ジェントルマン。こんなところで1人でPartyかい?」

「え?」

 狐の背後から歩み寄り、その首筋に左右両方から刀の切っ先を突き付けた男……それは言わずと知れた独眼竜だった。

「な、何をするのかな、政宗君……そんな乱暴なことをするようじゃ紳士にはなれないよ!?」

「Ha、いいからこのままついてきな。アンタの所業について、徳川に報告を入れて貰うぜ」

「ひ、人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ、我輩は家康君の為に……」

「恥じるところがないなら構わねぇじゃねぇか。Ah〜?」

 ぺしぺしと刀の背で軽く狐の頬を打ち、誘導する。

 独眼竜は呆れ果てたようにその隻眼を半眼させ、

「そういうわけで、このジェントルマンは俺が預かる。そっちは任せたぞ、小十郎」

 そう短く告げると、右目が「はっ」と恭しく返事するのを確かめてから、たらたらと冷や汗を流す狐を引き連れて去って行った。

 狐の配下もいつの間にか散り散りに逃げていて、気づけばそこにいたのは小生と右目、そして黒煙をまとう角土竜だけだった。

 咄嗟で仕方無かったとはいえ、もったいないことをした。

 幾つかの部品にバラして奥州に持ち込めるようなら、組み直してみるか……少し弄りゃ田畑の開墾にも役立つようになるかもしれない。

「どうかしたのか――?」

 物も言わず、破壊された重機をじっと見つめる小生が気になったのか、右目が尋ねる。

「いや……帰ってからのことを少し考えてたんだ」

「帰ってから……か……」

 右目は微かに眉根を寄せる。

「――いいのか?手に入ったんだろう、自由が」

 そう言われて、ずっと大事に握り締めていた鍵の存在を思い出した。

「ずっと縛りつけられて、望みもしねえ生き方を強いられてきたんだろう? ――オメェは自由を、何より望んでるんじゃねえのか?」

 ああ、そうか。

 右目が小生を縛ろうとしないのは。

 何も望まず全て委ねてくれるのは。

 ――小生に、自由を与えてくれようとしていたからなんだな……。

 そうだ。確かに小生は自由になりたかった。そう望んでいた。

 だが。

 今となっては、自由を手にした喜びすらも霞んじまうほどに小生は――。

 しばらく鍵をじっと見つめた後、小生は徐に右目の手を取った。そして、

「官兵衛……?」

 戸惑いを覗かせる右目に、ぎゅっと鍵を握らせ、その手を両手で包む。

「お前さんに預ける。こんなものはどうだっていい……小生が望む自由はただ一つなんだよ」

 そっと顔を近づけ、目の前の男に唇を重ね合わせ、軽く触れて離れる。

「――お前さんの側にいたい……お前さんに囚われてい……ッ」

 最後まで告げる前に引き戻され、再び唇が重なる。

「んっ……ふ」

 荒らぶる嵐竜が、まるで蹂躙するかのように深く口吸う。

 力が抜け、膝立ちでも立っていられなくなり、自然と右目に体を委ねる。

 長い口吸いの後、離れた唇が苦笑を象る。

「――まったく……オメェという男は……俺がどんな気持ちで自重してたと思ってんだ……」

「自重……してたのか?」

 自重とは程遠い激しい攻めに翻弄されてきた記憶に顔が熱くなる。

 その顔に空いていたほうの右目の手がそっと添えられた。

「この先ずっと俺のものになるつもりなら、あんなもんじゃ済まさねえ――覚悟は出来てるか?」

 熱を帯びた眼差しに魅入られながら、夢中で首を縦にした。

「上等だ」

 すかさず背に回された腕の力強さに、幸福な溜め息が漏れた。


――帰ってこれた。

小生の、愛しい籠の中に……。






《終》



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