籠鳥恋籠【前篇】 | ナノ


 籠鳥恋籠【前編】




褥での振る舞いは、さながら荒らぶる嵐竜だ。

「……っ……ん」

 噛み付くように首筋に口付けられ、思わずしなった背を引き寄せられた。
 埋め込まれた楔が更に奥を穿る。

「くうッ……あぁ……ッ」

 突き上げられた臓腑が歓喜する。

 まるで楔の形を確かめるかのように無意識に締め付け、それに反応して首筋に熱い吐息が漏らされたことにゾクゾクと震えた。

「……ぁ……み……ぎめ……」

 右目。

 竜の右目。

 天を翔る蒼竜を守るため、地に伏す漆黒の竜。

 静謐なる黒竜の内なる激情――戦場で見せるそれにも似た灼熱が小生を組み伏せ、焦がす。

 容赦なく鋭く磨がれた爪に囚われ、身動きも取れず。

「あ……ぁ……っ……も……っと……」

 身も心も暴かれ、貪られ、食らい尽くされる時を幾夜ともにしたのか、もう数えてはいない。

「っ……は、ぁッ……!!」

 だが絶頂を迎え、ガクガクと痙攣する体を支えられながら施される口付けの優しさは、最初の夜から変わりはしない。

「ん……」

 小生を食らおうなんざ、酔狂な竜もあったもんだ。

 満足気な溜め息とともに小生を貫く肉の切っ先が出ていくと、その感触にまたぶるりと震えた。

 今しがたまでの嵐のような激しさがなりを潜め、元のを静謐をまとい直した右目は、わずかに乱れて零れた髪を邪魔そうに後ろへかき上げながら、

「……明日はゆっくりで構わねえからな」

 と淡々と囁く。

「ああ……」

 小生は短く答えると、にわかにどっと押し寄せる事後の倦怠感に目を閉じた。

 閉じられた目蓋の向こうで、ふっと苦笑されている気配を感じた。

 ――この男は、小生を一体どうしたいのだろう。

 関ヶ原の戦の後、奥州の手に堕ちた小生は今、表向き人質として囚われている身だ。

 竜の右目――片倉小十郎の管理下に置かれ、促されるままそのお役目を手伝っている……まあ、ほとんどが奴の大事な大事な畑関係の仕事なわけだが。

 右目自らがなんだかんだと世話を焼き、こと細かに面倒を見てくれている。

 そして時にはこうして求められ、情を交わすこともある……言ってしまえば、飼われている……という感じだ。

 だがどうやら右目は、別段小生を籠に入れるつもりも、紐で繋ぎ留めるつもりもないらしく、「出て行きたくなったら好きにしろ」なんてことを言ってくる。

 もっとも解き放たれても今更西軍に戻る理由もなければ、他にろくにあてもない小生としては、すぐにここを出る意志はない。

 だが、小生が明日ここを発つと言っても、書き置き一つ残さず消えたとしても、右目は引き留めることも追うことも、驚くことさえしないんだろう。

 ――そりゃあそうだ。

 こうして時折、枕を交わすことがあっても別に小生らは恋仲というわけじゃない。

 右目には憎めないだの可愛いだのと言われたことはあるが、好きだの愛してるだのとは床の中ですら言われたことはない。

 前に、なぜ小生を抱くのか尋ねた時に右目は小さく笑って、

「――オメェが嫌がらねえからだ」

 と答えてきた。

 質問の答えになってないような気がするが、つまり小生が嫌だと言えば、無理に求めるつもりはない……ということだ。

 この地に留まることも、その腕に身を委ねることも、すべて小生の気持ち次第だというのなら――お前さんは小生に何も求めないのか? 竜の右目……。



   *  *  *



 ゆっくりして構わないと言われたのにも関わらず、思いの外早く目が覚めた小生は、右目のやりかけの仕事を引き継ぐべく独りで畑に出た。

 茄子畑で、実をでかくするために不必要なわき芽を間引くだけの簡単なお仕事……ってやつだな。

 当の右目は独眼竜の供について朝っぱらから出掛けたことだし、留守の間に全部終わらせといてやれば喜んで貰えるだろうか。

 我ながら健気なことを考えるようになったもんだ……飼い慣らされ過ぎかもな。

 ここに来るまで百姓仕事なんざやったことはなかったから、最初の内は失敗ばかりで、呆れられも怒鳴られもしたが、今はもう大抵のことは覚えたし、何となく面白さもわかるようになってきた。

 手間を掛けた分、成果が跳ね返ってくるってのは気持ちがいいもんだ。

 親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない――なんて言葉もあるくらいだからな。


 ――しかし、このクソ忌々しい枷と球体がなけりゃもっと捗るんだがな……。

 ふとそんなことを思った時、小生はザクザクと砂利を踏み鳴らしこちらに向かってくる複数の足音を聞いた。

 なんだ?――仕事の手を留めて足音の近付くほうを振り返った小生は、しばらくしてその主を知り、思わず目をすがめた。


「お前さんは……」

「これはこれはご機嫌ようッ。貴公が白田君だね!!」

「く・ろ・だ、だ。何しに来たんだ羽州の狐」

 最上義光……同じ東軍に属すとはいえ、独眼竜とは剣呑な間柄の筈のこの男が、ずかずかと奥州に踏み入ってくるなんざ普通じゃない。

 ――嫌な予感しかしない。早々に追い返したいが、当の独眼竜と右目の不在中に小生が勝手にことを起こすってのもな……。

 とりあえず話くらいは聞いてやるべきか……。

「貴公はッ!実に運がいいよッ!白田君ッ!!」

 あちらは全く聞いてないようだがな。

 うんざりしながらも我慢して耳を貸せば、狐は思いも掛けないことを口にしてきた。


「かの東軍総大将・家康君が、なんと貴公を臣下にしたいと望んでいるんだよ」

「権現、が……?」

「そうだとも!聞けば貴公はッ、哀れにもこの奥州に籠の鳥のように囚われッ、小十郎君にいいよう使われてッ、元は名のある軍師でありながらッ、農民の真似事ばかりさせられているそうじゃないかッ」

「いや、それは違……」

「貴公が家康君に仕官するというなら、このッ我輩がッ、政宗君や小十郎君に取りなしてあげようじゃないか。どうだい、いい話だろう? 白田君!」

「……」

 ――ああ、なんだか覚えのある状況だぞ……これは。

 懐かしい。あの時も今と同じ、朝靄のかかる刻限だった。

 まさにこんな気持ちだったんだろうな――小生に、豊臣に下らないかと持ち掛けられた時の右目は。

「――なるほど魅力的な申し出ではあるがな、生憎小生は奥州を離れるつもりはない」

 きっぱりと告げると、狐はご機嫌な笑顔を打ち消し、少しむっとした様子で、つかつかと小生のすぐ前に歩み出る。

「まさか断るのかい?こんなにいい話は二度とは無いよ……そう思わないかい?白田君ッ」

 右目の大事な畑に無遠慮に入り込んできたことに不快感を覚え、思わず舌打ちをした。

「大方、小生を使って権現の機嫌を取りたいんだろうが、お前さんの出世の道具になる気はなくてな。――悪いがとっとと引き取ってくれ」

 狐は「やれやれ」とばかりに肩を竦め、小生の顔を上目で覗き込むと、不意にニヤリと笑った。

「……これ、なーんだッ?」

 上衣の物入れに手を入れ、そこからひょいっとのぞかせたもの。それは……。

「か、鍵……ッ!!??」

 小生の求めて止まない枷の鍵……それが視界に入った直後、肩口に鋭い痛みを感じた。

「なッ……!」

 鍵に気を取られて隙が出来た瞬間に、狐が抜いた指揮刀が、小生を軽く抉っていた。

 狐はニヤリと顔を歪める。

「許してくれたまえ、ハハッ……聞き分けの悪い貴公がいけないんだよ」

「こんちくしょ……!!」

 即座に枷を構えて、鎖を引こうとした小生は、はっと息を呑んだ。

――ここでこいつを振り回せば、右目の畑がただでは済まない……。

「くそったれ……」

 歯噛みする小生に、狐はニヤニヤと余裕の笑みを浮かべたまま、芝居がかった仕草で手を差し伸べてきた。


「来たまえ白田君、手当てをしてあげようじゃないか……我輩の高貴な城でねッ」



   *  *  *



「……なんてこった……」

 自分の間抜けさにうんざりする。

 あの日の出来事を重ねて思い出したなら、「誘い」を断った後に何が起きるかくらいは予想がつきそうなもんだったのに。

 みすみすあんな安い罠にハマるなんてな……軍師の名折れだ。

 久しく戦から離れて勘が鈍ったのかもしれんな……。

「……さてどうしたもんかね……」

 静まり返った座敷牢に小生の独り言と嘆息だけが響いた。

 武器を突き付けられて、満足な反撃もままならないまま身柄を拘束され、羽州に連れ去られ……あの狐は、徳川に下ると約束するまで小生をここに閉じ込めておくつもりのようだ。

 元より枷付きだってのにご丁寧に縄で体を縛ってくれやがって、まるで身動きが取れない。

 小生の態度次第では縄を解き、枷の鍵を渡してもいいとか抜かしてたが、本当にその気があるのか怪しいもんだ。

――は、いいさ、戒められるのも囚われるのも慣れてる。

 今更慌てるようなことじゃない。しばらくは大人しくしてゆっくり策を考えてやるさ。

 ……それより、今ごろ竜の右目はどうしてるだろうな。


 もう独眼竜の供を終えて帰っただろうか。

 出掛ける時下女に、畑に行くと伝えおいてはいたが、そのまんま姿を消したとなりゃ……小生が自分から奥州を離れたと思うだろうか。

 右目や独眼竜が留守の間にこそこそと逃げ出したと。

 いつでもそうしていいと言っていたくらいだから、それでも右目は小生を責めないだろう。

 そうか、出て行ったんだな――と納得して、それでしまいだ。

 ……。

 胸が痛む。

 自分が右目にとってはその程度の存在だと思うと、泣きたいような気持ちになる。

 権現の下につけば、軍師としての地位に返り咲けるだろう……うまくやりゃ天下を狙える機も巡るかもしれない。枷の鍵も手に入るかもしれない。

 だがそれでも頷けないのは――右目、お前さんの傍らに留まりたいからだ。

 捕えるのがお前さんの腕ならば、竹籠の中の雀でも構わなかったのに。

「っ……」

 今更のように、右目に対する想いをはっきり自覚し、ひどい息苦しさを感じる。

 なぜこんなにあの男を――幾度も触れられ、開かれた体が求めるのか、2度も命を拾われた恩義が形を変えたのか……あるいは初めて出会ったあの瞬間から、揺るぎのない眼差しに心惹かれていたのか。

 せめてこの心を、焦げ付く思慕を言葉にして、あの男に伝えてからここへ来たかった。

 恋仲になりたいなんて欲深いことは言わない……せめて……知っていてくれたらどれだけ救われたか。


 だがもう遅い。


 遅いんだ。


 近付いてくる足音に気付き、俯いたまま視線だけをそちらへ向けた。

「どうだい、白田君ッ!決意は固まったかねッ?」

 髭を捻りながら、したり顔で問い掛ける狐を軽く睨み、小生は静かに目を伏せ、力なく呟いた。


「……分かった」






《続》



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