Re:キス 「アニキの大事な官兵衛さんの、御誕生日に乾杯ッッッ!!」 続けざまに祝砲と歓声が上がる中、杯を煽った。 こんなにも賑やかに、そして豪快に生まれた日を祝われたのは、間違いなく生まれて初めての経験だ。 酒よりも、この状況に酔ってしまいそうになりながら、官兵衛は自らを抱き寄せる鬼の顔を見遣った。 「……お前さん、毎回こういうの、よく照れもせずにやれるな……」 鬼を自称するわりにひどく優しい目が見つめ返し、笑む。 「照れる必要なんかねぇだろ? ここにいんのは、全員家族みてえなもんなんだからな」 「家族、か……」 思えば不思議な因縁だった。 かつて自らの手で壊滅に追い込んだ地に根付き、自分を仇と罵ってしかるべき者たちから家族として受け入れられた。 ――赦してくれた。 元親も、その仲間たちも。それに家康も。 「黒田官兵衛」の犯した罪をいまだに完全に赦してやることが出来ずにいるのは――「黒田官兵衛」その人だけだった。 「よっしゃ……行くぞ官兵衛!」 「ちょっ、も、元親?」 束の間思案に耽っていたところを、不意打ちで抱き上げられた。 「ヒュウ♪」 「かっこいいぜ!!アニキィィ!!」 まるで拐われる姫君のような有り様で、やんやと囃し立てられ、流石に羞恥が沸き起こる。 「お、下ろしてくれ……いくらなんでもこれは、やり過ぎだろう?」 「やって過ぎることはねえだろ? 今日はあんたを一番幸せにする日なんだからな」 楽しげにそう言い、元親はそのままの状態で歩き出した。仲間たちの作った花道を、悠々と。 こうやって自分達がこの世で一番幸福で、最高に似合いの恋人同士なのだと解らせようとしているのだ――他人にではなく、最愛の恋人その人に。 誕生日祝いの宴を船上で開きたい、と元親に言われた時、官兵衛は最初それを断ろうとした。 出来れば船には乗りたくない、と。 四国に身を置いてから、官兵衛が元親の船に乗ったのは、安芸まで助けに来てくれたあの時だけ。ただの一度だけだ。 何度も熱心に誘われたが、何度も丁重に断ってきた。 理由は2つ。 1つは、2度と四国の地が荒らされないように、元親の留守を守りたいという理由。 元親がいつでも安心して大好きな海に出られるように。 陸に残った仲間が安心して元親の帰りを待てるように。 そしてもう1つの理由は――やはりまだ赦してはいないからだ。自分自身を。 元親の船に乗るのには相応しくないと、そう思ってしまうからだ。 かつてのすれ違いを繰り返さないように、お互い腹の内を隠さず話すことにしているため、元親にもその辺りは正直に話してある。 元親は官兵衛の気持ちを尊重し、誘って断られた時は絶対に無理強いはしてこない。 あんたがその気になるまで根気強く誘い続けてやるからな?――そう冗談めかして笑い、引き下がってくれる。 だが今回は珍しく、引かなかった。 ――明日の宴だけは陸じゃなく、海でやりてぇんだ。頼む。 そこまで言われては断りにくく、沖までは出ないから――という約束で了承したのだった。 もっとも元親自身は朝から沖に出て、漁をして来たようだったが。 「どの魚が食いたい? 俺が下ろして料理してやるよ」 釣果を詰めた箱の前で下ろされ、覗き込めば、そこはさながら銀の千両箱だった。 「お、こいつは大漁だな……」 穴蔵暮らしの頃には、海のものなど口にする機会はほとんど無かったが、四国に来てから、魚の種類にはかなり詳しくなった。 「――鼠頭魚(きす)がいるな……」 淡い褐色をした長細い魚が目に留まった。 「鼠頭魚か……そいつなら天ぷらがいいな!俺に任せとけ」 元親はすぐさま箱から鼠頭魚を掴み上げる。 新鮮な鼠頭魚の天ぷらの味を思い浮かべ、食欲を喚起されながらも、ふと頭を何かの書で知った知識が過り、思わず笑んだ。 「――なあ、知ってるか? 元親。海向こうの国じゃ、口吸いのことを『キス』って言うらしいぞ」 「へえ……」 元親は感心したように手にした魚を眺めながら、 「――こいつを食ったら口吸いが上手くなったりしてな」 などとぽつりとこぼし、 「は、そんな馬鹿な……」 と少し呆れてみせれば、 「――後で試してみようぜ」 とニヤリ笑った。 「も、元親っ!」 じんと熱くなる。 顔も、心も全て。 こうしてこの男の側にいられる限り、不幸になどなりようがないと改めて思った。 その時。 「アニキィィ!!」 見張り台の上にいた元親の仲間が突然声を張り上げた。 「――こいつはやべえ……敵襲ですぜ、アニキ!! 毛利の水軍がこっちに向かってやがる……!!」 「なん……だと……!?」 中国からの奇襲。 この機に攻め込むとは、毛利の考えそうなことではあるが、実に迷惑な話だ――と、思わず嘆息した。 「ちっ……しょうがねぇな、おい野郎共!迎撃の準備だ!!祝宴の邪魔もんには、とっととお引き取り願おうぜ!」 「やっちまおうぜ、アニキィィ!!」 砲撃やカラクリの準備で仲間たちが慌ただしく駆け回り出す中、元親は手にした鼠頭魚を箱に戻し、申し訳なさそうに官兵衛に向き直った。 「――すまねえ、一番幸せな1日どころか、とんだことになっちまったな」 「いいじゃないか、まだ今日1日は始まったばかりなんだからな。それに折角の機会だ……小生とお前さんで、あの男に一泡吹かせてやりたいもんだがね」 出来るだけ不敵に笑って見せれば、 「……ああ、そうだな……!」 そう力強く頷き、元親はそのまま官兵衛を胸に抱き寄せてきた。 「――鼠頭魚はちょっとばかりお預けだ……代わりに、あんたにこれをやる……」 ――海より深く愛する男の顔が、ゆっくりと近づいてくる。 微笑んで、目を閉じた――。 *.☆。.゜☆゜。☆゚* 戦いはさほど長引くことなく終わった。 毛利としても、すでに石田軍との同盟関係が決裂している今、本気でことを構えるつもりはなかったのだろう。 ほんの軽い牽制といったところか。 それでも毛利水軍が撤退し、再び船の上に宴のにぎわいが戻って来た時には、もう夜が訪れていた。 冬の夜空は、高く、澄んでいる。 「星がたくさん見えるな……綺麗だ」 船縁に背を預け、空を見上げながら、思わずそんな他愛のないことが口をついてしまったのは、酒のせいだろうか。 元親の振る舞ってくれた料理が旨すぎて、つい酒が進んでしまった。 「――それに、港の灯りも」 官兵衛の言葉に、傍らの鬼は首を上下した。 「ああ、そうだな……海に生きる男でも、港の灯りは恋しいもんなんだぜ」 肩に回された手が、そっと髪を撫でてくる。 「陸に、待つ人がいる時は余計にな……」 「元親……?」 なぜだろう。 しみじみと呟く元親の雰囲気が、どことなく昼間と違うような気がするのは。 酔っているから、ではないだろう。 元親は、振る舞うばかりであまり酒にも料理にも手をつけていなかったような気がする。 どこか調子でも悪いのか聞こうかと思い出した時、突然ぎゅっと手を握られ、引き寄せられた。 「……元親?」 「あんたが船に乗りたくないってんなら、それもいい――その代わり、ずっと俺の港でいてくれ」 そう囁いた唇が、有無を言わさず口付けてきた。 「っ……ん」 深く、甘い口吸い――キス。 まさか、本当に巧くなったか確かめようというのか――などと下らないことを思いながらも目を閉じて受け入れていると、不意に冷たいものが指に触れた気がして、目を開いた。 それと同時に離れた唇が、また言の葉を紡ぎ出す。 「……俺もあんたに影響されて、最近、海向こうのことに色々興味が沸いてな――あっちじゃこういうやつを、贈るんだろ?」 紡がれる言葉を聞きながら、官兵衛は半ば呆然と自らの手を見ていた。 深い紅の珊瑚があしらわれた銀の飾りが嵌められた指を。 「――……一生守ってやると決めた相手にはよ」 「……ぁ……」 ほろ酔いの頭で、漠然と理解する。 先程からずっと、元親の様子がどこかおかしく見えた理由。 どうしても今日だけは、海の上がいいと引かなかった理由。 今日を、今までの人生で一番幸せな日にすると言った理由。 「――俺と祝言を挙げてくれ、官兵衛」 胸の内をいっぱいに覆い尽くす、様々な想いに両の目を潤ませながら、官兵衛がゆっくりと頷いた――その瞬間、またひとつ、高らかな祝砲が、四国の夜空に打ち出された――。 《Thank you for your gift★》 ★戻る★ ★Topへ戻る★ |