Re:爪きり 「――ふんふんふーん♪」 思わず適当な調子の鼻唄が洩れた。 湯浴みをして、ぬかりなく念入りに清めた身体を布で拭きながら、今しがたの出来事を思い出してはニヤニヤする。 ――右目が、小生に誕生日祝いをくれた……。 しかも、お役目で奥州を離れている間も小生のことを気にかけ、土産の品を選んでくれていた……。 ――嬉しすぎるぞ、畜生……。 いや。 だがまて。 舞い上がり過ぎるのは危険だ――自分があの男にとって特別な存在とか、自惚れるなんざもっての他だ。 深く呼吸して、落ち着け。とにかく、落ち着け。 そう自分に言い聞かせながら、新しい衣に着替えて、右目の元へと急いで戻ろうと廊下を早足で歩いていた――その時。 「――Wait.」 呼び止められた。 もちろん、人を呼び止めるのにこんな言葉を使う奴は一人しかいない。 「……独眼竜……」 蒼い竜――右目の、一番、大切な男だ。 「アンタ、今から小十郎の部屋に行くんだろう?」 「……」 まさにその通りだったが、なぜか「そうだ」と声が出せなかった。 もっとも気の長くない独眼竜は、小生の答えなど待ちはしないが。 「Good timingだ、アイツに後でオレのところへ来るように言っといてくれ」 「……え」 ――胸の奥が、不快にざわついた。 *.☆。.゜☆゜。☆゚* 「いいからじっと動くな」 右目に爪を整えて貰うのは久々だ――枷を取っ払って貰ってからは初めてになる。 小生の心が普通の状態なら、照れ臭いながらも確かな幸福感を覚えただろう、この一時――今は、ただひたすらに落ち着かない。 ――早く伝えなけりゃ……独眼竜が、呼んでいる、と。 ――独眼竜が、呼んでいる……独眼竜が……。 伝えるのは、せめて全ての爪を整えて貰ってからでもいいだろうか……。 だって――伝えれば、「なんでそれを早く言わねえんだ」って、お前さんはとっとと小生を置いて部屋を出て行くんだろう……右目……。 「……官兵衛」 刃が器用に爪先をなぞるのをぼんやり眺めながら、渦を巻く思考に埋没していた小生に、右目が静かに問い掛けてきた。 「――オメェは、俺と居て幸せか?」 まるで胸の奥に秘めたものを見通したかのような問いに、思わず体が強ばるのを感じた。 「――幸せに、決まってるだろ……」 俯いたまま答えた。 「……俺の目を見て言えるか?」 容赦ない更なる問いを前に、意思に反して肩が震え出す。 「……小生に何を言わせたいんだ……」 「……何か俺に対して不満があるならそれが聞きてえと思ってる」 「……そんなつもりはないんだ……ただ……」 どうする? 話すのか? こんな話をしても、きっと右目を困らせるだけだ――困らせた挙げ句、面倒になって突き放されるかもしれない。 小生はそれが、ひたすら恐ろしい……。 ――だがきっと、許しちゃくれないだろう。小生が本心を語るまで……右目はずっと険しい目をしたまま、この手を離してくれない。 腹を、括るか……。 「――お前さんに甘え過ぎるのが……望み過ぎるのが、恐ろしい。……小生はな、我が儘なんだよ……お前さんの傍にいられればそれで幸せだなんて、いつまでも思っちゃいられない」 右目は小刀を動かしながら、何も言わずただ黙って聞いてくれている。そのことが僅かに緊張を和らげ、言葉を紡ぐ唇を軽くする。 「――小生だけを見ていてほしいとか、もっと小生に構ってほしいとか……望むものが肥大していくのを止められないんだ。うっかりすると、答えの解りきった問いが口を滑りそうになる――小生と独眼竜の、どっちが大事だ……?……なんて具合にな」 「――政宗様は奥州全員の宝だ、他の何とも同じ秤には乗りはしねえ」 「……だろうよ」 解ってはいたが、そんなに間髪入れずに答えることはないだろう、と思わずしょんぼりする小生を見遣り、右目は徐にふっと苦笑を浮かべた。 「――言っとくが、それはオメェも同じだ。オメェと同じ秤に乗る者は誰もいねぇ……だから比べようもねぇだろう」 「右目……」 いつの間にか整えられ終わっていた爪に軽く息を吹き掛けられて、くすぐったさにびくりとなる。 刃をしまったその後で、右目の手が、小生のそれをぎゅっと包んだ。 「――寂しいと思ったら素直にそう言え。甘えて我が儘を言ってみろ。俺に叶えられることなら叶えてやる……無理でも埋め合わせくらいは考えてやる。そのくらいの甲斐性はあるつもりだぜ」 突き放されても仕方がない、そう覚悟しながら打ち明けたのに……なんでそんなに、お前さんは……小生を甘やかしてくれるんだ……。 頬が熱く火照るのを感じた。 「……いい、のか?」 右目はしっかりと頷く。 「なんなら今、試しに何か俺に我が儘を言ってみるか?」 「えっ……そ、そうだな……」 いきなり我が儘を言ってみろ、と言われても、な……どうする? 小生が今右目に望むことは……右目に……右目……。 ――あ、そうだ……これだ……。 「――実は、前からお前さんを名前で呼びたかったんだが……」 小生がそう切り出した刹那、右目が何か言いたそうな素振りを見せた。 そんなことなら断るまでもない、とかそういうことを言おうとしたんだろう。 だが待ってくれ――話は終わりじゃない。 「……独眼竜とは違う小生だけの、特別な呼び方がいい……だから……その……」 土壇場で怖じ気づきそうになる心を奮い立たせるために、右目の手を、強く握る。 「かっ……景綱、って呼ぶのは……駄目か!?」 「……」 ――駄目か? やっぱそれはナシか? じっと見つめるだけでなかなか返事をしない右目の様子に、不安を覚え出した時。 「――オメェの可愛らしい我が儘なんて、奥州筆頭のそれに比べりゃ、我が儘の内にも入らねえな……」 握り合う手を引き寄せられた。 腕の中には収まりきらない小生の大柄な体躯を、それでもしっかりと抱き止めてくれて、そして――。 「……ん……!」 もたらされた熱い口付け。 思わず鼻にかかった声が洩れたことに羞恥を覚えながらも、夢中で応じた。 そうして存分に互いの唇を味わった後で、肩口に頭を預けた格好で小生は、 「……いいのか?……呼んでも……」 そっと確認してみる。 「……ああ」 「他の奴らといる時でも?」 「……そうだ」 「独眼竜の前でも?」 「……構わねえ」 「――お前さんに……褥で愛して貰ってる間も、か……?」 また、ふっ、と苦笑される気配があった。 「――好きにしろ」 「……ぁ」 答えとともに、背から腰へと撫で下ろされて、ぞくりと体が期待に疼いた。 欲しくて堪らない――それは恐らく、向こうも同じだろう。このまま全て委ねたい。 いや。 だが待て。 「……あ……待ってくれ」 頼り無くも踏ん張る小生の理性が、重要なことを思い出させる。 「……ど、独眼竜がお前さんに……後で、来るようにって……」 煽られた状態でお預けを食うのは嫌だが、何しろ主の呼び出しだ……引き留めるわけにはいかない。 そう思ったんだが。 「政宗様は、湯浴みしたオメェが俺の部屋に行くのを見て、そう仰ったのか?」 「……そう、だが?」 「なら『後で』ってのはそういう意味だ……気にすることはねえ」 「え? あ……」 言葉の意味を理解して、また一気に顔が火照るのを感じた。 あの時、独眼竜は小生をそういう目で見てたのか……あの時はそんなつもりだったわけじゃ……いや、まあ、結果はこうなってるわけだが……。 混乱する小生の耳元に、そっと唇が寄せられ、熱を帯びた呼気とともに、低音の囁きが流し込まれた。 「……一々、ごちゃごちゃ考えるんじゃねぇ。大人しく、俺に委ねろ」 *.☆。.゜☆゜。☆゚* ――かき抱かれ、揺さぶられて、すがり付きながら、狂おしく、何度も、その名前を呼んだ……嵐が去り、微睡みが訪れる間際まで、「景綱」と、ずっと呼び続けた。 *.☆。.゜☆゜。☆゚* 翌日。 毎度ながら容赦のない行為の名残を引き摺りつつ、生欠伸をしながら廊下に出た時、小少し先をちょうどあいつと独眼竜とが連れ立って歩いていた。 こっちには気付いてない――……呼び止めてみるか……あいつの、名を呼んで。 独眼竜はどんな顔をするだろう?――なんて考えると堪らなく愉快だったが、それと同時に妙な緊張感が生じる。 よ、よし、呼ぶぞ。呼んじまうぞ。 腹に力を入れ、大きな声で呼んで……。 「かッ……か げ ちゅ な ッッ……!!」 ……。 噛んだ。 思いきり噛んだ。 やっちまった――と思ったが、やり直しさせてくれ、とはいくわけもなく。 「――What?」 何とも微妙な顔で振り返る独眼竜……あいつは……景綱は振り返らない。 背を向けたまま、少し離れたここからでもはっきりわかるくらい、チッ、と大きな舌打ちをした。 それっきり何の反応もしない。 ――お、怒ったのか?怒ったのか……?? 焦る小生と、微動だにしない景綱とに視線を走らせると、独眼竜はどこか呆れたように左目をすがめ、呟いた。 「Oh my god……――Honeyが可愛過ぎて小十郎がFreezeしちまった……」 《Thank you for your gift★》 ★戻る★ ★Topへ戻る★ |