『拍手小説』
【2:拓朗&沙希】
沙希は連休で混雑するショッピングセンターをブラブラしながら小さくため息を吐く。
(あ……幸せ逃げちゃうかな)
すれ違う人たちの楽しそうな笑顔、ショーウィンドウに映る自分の浮かない顔、ハッキリした違いに無理矢理口角を上げて笑って見せる。
引き攣った笑顔で余計に気持ちは落ち込んでしまった。
せっかくの連休なのにデートする彼氏はいない、遊ぶ予定をしていた友達の珠子からは恋人が突然帰って来たとメールが来て、自分の方から遊ぶ予定は延期にしようと伝えた。
家に引き篭もっていたら親に休みなのにデートする相手もいないのかとからかわれ、仕方なく足を向けたショッピングセンターも一人でブラブラしているだけで楽しくない。
人の多さにウンザリし始め、最後にCDショップだけ覗いて帰ることにした。
店先に並ぶ新譜を見ながら最近お気に入りのインディーズバンドのことを思い出して売り場を探してキョロキョロする。
「あっ」
視線を動かして飛び込んできた姿に思わず声を上げてしまい、慌てて口元を手で押さえながらもう一度、今度はゆっくりと視線を向ける。
棚二つ分を隔てた先にその姿を確認して、さっきまで平常だった鼓動が速くなる。
CDジャケットを見入っている眼鏡の奥の瞳はいつも見せる優しく慈愛に満ちたものではない、そのせいか知っているよりも少しクールな印象を受ける。
視線の先の長身の人物・岡山拓朗は親友の珠子の兄であり、誰にも打ち明けていない恋心を抱いている相手でもあった。
(お兄さんも一人、かな?)
周りに友達らしき人物がいないかつい確かめてしまう、……彼女らしい人がいないかということも。
速くなる鼓動のうるささに店内に流れている曲さえも遠く感じ、自然にしなければと思えば思うほど動作はぎこちなくなった。
自分から声を掛ける勇気はないけれどこのまま真っ直ぐ出口へ向かうことも出来ない。
指先で前髪を直していた沙希は何かきっかけがあればいいのにと思っていたが、拓朗のいる場所がちょうどインディーズコーナーであることを思い出した。
(偶然を装って……って、本当に偶然なんだから自然に、普通に自然な感じで……)
逸る気持ちを必死に抑えながら一歩ずつ拓朗の側へと近付く。
少しずつ距離が近付いて拓朗がいる棚の所まで来ると沙希の足が止まった。
着ている服がほぼ普段着というだけならまだしも、髪型ははっきり言って手抜き、いつもなら薄くファンデーションも塗っているのに、今日に限って完全なスッピンだということを思い出してしまったからだ。
(こんな格好じゃ……無理、絶対に無理!)
相手に自分が異性と思われていないと分かっていても、好きな人の前では少しでも可愛くいたいという気持ちがもう一歩も踏み出せなくさせた。
回れ右をして帰ろうとした沙希は神様は意地悪だと思った。
不意に顔を上げた拓朗の視線が沙希の方へと向き、しかもすぐに沙希のことを見つけた瞳にいつもの優しげな色を浮かんだ。
「沙希ちゃん」
離れた所にいるのに声を掛けられてしまい、逃げられなくなった沙希は会釈してから拓朗へと近付いた。
「こ……んにちは」
もっと気の利いた挨拶をしたいのに出来ず、おまけにカラカラに乾いた喉のせいで、声が掠れてしまった。
「沙希ちゃん、一人?」
いつものよく知っている拓朗の声、優しくて朗らかな表情、大好きな妹の友達だからなのだと知っているからこそ、嬉しいけれど少しだけ切ない。
「あ……はい。今日は、その……予定が……」
珠子と予定があったと事情を話し辛くて誤魔化そうとすると、拓朗は分かっているとばかりに苦笑いを浮かべた。
「ヨウのバカのせいだよね。ごめんね」
「へ、平気ですっ! 私はいつでも遊べるし、それに……ヨウさんに会えなくて珠子が落ち込むのも嫌だし……」
「沙希ちゃん……」
言ってから少しいい子すぎる言い方だったかもしれないとか、もっと違う言い方があったかもしれないと後悔がドッと押し寄せる。
「沙希ちゃんみたいないい子が珠子と友達になってくれて、本当に嬉しいよ」
緊張で硬くなるばかりの心と身体は優しい拓朗の言葉で少しだけ柔らかくなり、それから少しだけ胸に甘い痛みをもたらした。
(妹の友達、やっぱりそれ以外には見て貰えないのかな……。でも折角声を掛けてくれたんだから!)
塞ぎ込みそうになる気持ちを叱咤して、顔を上げた沙希は何か話題を見つけようと拓朗が手にしているCDを見た。
「あ、これっ!」
自分も探そうと思っていたインディーズバンドのCDに沙希は思わず声を上げた。
「あ、このバンド知ってる? 俺さー最近すっごいハマっててさ」
「わ、私も好きですっ!」
同じバンドを気に入ってると分かって嬉しさのあまりはしゃぎ、勢いよく顔を上げた沙希は飛び込んできた拓朗の顔の近さに息を呑んだ。
触れそうなほどの近さにまるで火でも付いたように顔が熱い。
「そ……そうなんだ。沙希ちゃんもCD買う?」
「あ……はい」
恥ずかしさで顔を上げられないまま返事だけをすると、顔の前にCDを差し出されて受け取った。
「良かった、同じのが二枚あったよ」
拓朗の言葉に視線だけをチラッと向ければ拓朗の手にも同じCDがある。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう……すごく嬉しい)
好きな人と偶然会えただけじゃなく、同じバンドを好きだと知って揃って同じCDを買う。
こんな幸せなことはないと喜びを噛み締めていた沙希の耳に、さっきまでとは違う雰囲気の拓朗の声が届く。
「もし、嫌じゃなかったからだけど……なんか飲む?」
問い掛けに肯くだけで精一杯の沙希はレジへと向かう拓朗の後に続く。
CDショップを出るまで顔を上げられなかった沙希は拓朗の耳が赤く染まっていることに気付くことはなかった。
end
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