『拍手小説』
rain【陸&麻衣】
何となく憂鬱、何となく気が重い、何となくやる気が出ない。
そんな風に思うのは降るのか降らないのかはっきりしない空模様と纏わり付くような重たい空気のせいかもしれない。
珍しく残業したせいで暗くなった道を駅に向かう途中、重い足取りだった私は思わずため息をついた。
それでも気持ちを切り替えるために楽しいことでも考えようと顔を上げると鼻先にポツリと雫が落ちてきた。
「え……嘘……」
とうとう雨が降り出してしまった。
しかもここ数日持参していて傘は今日もどうせ降らないだろうと家に置いて来てしまった。
駅までまだ少し距離があるのに……私は仕方なく雨足が強くならないうちに駅に着こうと走り出した。
降り出した雨はあっという間に本降りになり、私は走った甲斐もなくすっかり濡れてしまった。
「さむっ……」
雨に濡れて冷えた体を震わせ定期を改札に通しながら陸の顔が頭に浮かんだ。
肌寒さのせいだと分かっていても、人肌を恋しがっている自分に少し恥ずかしくてしかも思えば思うほど恋しい気持ちが膨れ上がることに驚いた。
会いに行っちゃおうかな……。
心の中でポツリと呟いた言葉に私は素直に従うことにした。
「やっぱりコンビニで傘買って来れば良かった!!」
陸の勤めるoneに着いた時にはみっともないほど濡れそぼり、店に入ることを躊躇ったがここまで来たんだからと思い切ってドアを開けた。
「いらっしゃいませーってうわっ! ビチョビチョじゃないですかっ! タオル持ってきますから!」
私の姿を見て慌てて奥へ駆け込んで行く。
それを見てやっぱり止めておけば良かったと思う。
入り口に立ち尽くしたまま自分の姿をじっくり見てみる、さっきは暗くて分からなかったけれど足元には泥がはね髪はぐちゃぐちゃでとても店に来るような格好じゃなかった。
一目見て驚かれたのも納得で、私はこのまま帰ろうとドアに手を掛けた。
「風邪、引くよ?」
肩にふわっと温かいものが掛けられた。
よく知ってる香りとその声に慌てて振り返った私は一体どんな顔をしていいのか分からなかった。
「うわぁ、ビチョビチョー。もしかして雨降って来たぁ? やだーー私傘持ってないのにー! って陸ってばすぐそうやって優しくするー、もうー私には冷たいくせにー」
すぐ後ろに立つのは陸と同い年くらいの女の子と上着を着ていない陸の姿、店の外まで送る途中だったのか女の子は私を押しのけるようにしてドアを開けると空を窺っている。
陸……上着掛けてくれたんだ。
でも客の手前もあるのか私の方にをほとんど見ない、それが当然だと分かっているのに少しだけ悲しい。
「傘持ってけよ。風邪引いて店に出入り禁止にされたくなかったら真っ直ぐ帰れよ」
「うっそぉ! 陸ー傘かしてくれんのぉ? うれしーーーっ」
そう言ってその子は私に勝ち誇ったような視線を向けて傘を差し出した陸に抱き着いた。
何よ……私なんて陸の上着掛けてもらってるんだからっ!
ついムカッと来た私は顔は平静を装ったまま心の中で彼女を睨みつけた。
「早めに返しに来いよ?」
「もちろんっ! 私もまたすぐに陸に会いたくなっちゃうもんっ!」
私も? 私もって何よ……陸は早めに返しに来いって言っただけで会いたいなんて一言も言ってないじゃない。
でも陸はそこについては何も突っ込まず店の入り口で彼女が見えなくなるまで見送った。
やっぱり……来なければ良かった、そう思わずにはいられなかった。
差し出されたタオルで濡れた髪を拭きながら底まで落ち込んでしまった気持ちを浮上させる方法を考える。
やっぱり帰ろう。
何も思いつかず帰ろうとしたがホストの顔をした陸がスッと横に並ぶと私の背中に手を添えて黙って歩き出した。
「私……帰るから……」
「こっち」
小さな声で言葉を交わしたが陸はグッと手に力を入れて足早に私を奥へと連れて行った。
「ちょっと待ってて」
何度か入ったことのあるオーナーの誠さんの部屋へ私を案内した陸はすぐに部屋を出て行った。
もしかしたら……怒ってるのかな?
それも当然かもしれない、行くとも連絡しないで突然来た上にこんなみっともないほど濡れた姿を見て怒るより呆れているのかもしれない。
そう思ったら急に濡れた服が重く感じた。
失敗しちゃった……こんな気分の乗らない日は家で大人しくしてれば良かったんだ。
会いに来なくても待っていれば帰って来てくれるのに、会いに行ったら陸も喜んでくれるんじゃないかなんて私ちょっと自惚れてた……。
視界がジワッと滲む。
それは雨のせいじゃない、こんな風に泣いてしまうのはどうしても嫌で唇を噛みしめた。
「立ったままでどうしたの? あー服が冷たくて座れない? とりあえずタオル腰に巻いてっと……こっち座って?」
再び戻って来た陸は持っていたタオルで私の腰を包みこむとソファに座らせた。
泣いている所を見られたくないと俯いたままでいるとバタバタと慌しく動きそれから私の隣に腰を下ろした。
「寒くない?」
聞かれて黙って頷くので精一杯、口を開いてしまったら泣き出してしまいそうだった。
「ホントは風邪引かないように早く乾かさなきゃいけないんだけどさ……」
そう言われて閉じていた目を開けると二人の間には大量のタオルとドライヤー。
それが陸の優しさで仕事中のはずなのに……と鼻の奥がツンとして涙が込み上げてくる。
「風邪引いちゃったら俺がつきっきりで看病するってことで……麻衣には申し訳ないんだけど……」
陸は俯く私の頬に両手を添えて上を向かせると涙目の私に少し驚いた顔をした、けれど何も言わずにそのまま温かい唇を重ねた。
重ねた唇は本当に温かくて何度も何度も触れ、少しだけ深いキスをしてから最後にチュッと濡れた音を立てて離れた。
「こんなになってまで会いに来てくれてありがと。すげぇ嬉しい」
陸の手が伸びて私を抱きしめようとする。
「だ、だめっ……陸まで濡れちゃう!」
私は慌てて陸の体を押し返した、けれどその手は簡単に外され私の体は陸にすっぽりと包み込まれた。
「麻衣の体が温かくなるなら全然いいよ」
「でも、風邪引いちゃう……」
「二人で風邪か……うん、それでもいいかな。こんな嬉しいことで風邪引くならそれくらいの罰当たってもいいし」
陸には敵わない……ほんと敵わない。
さっきまで落ち込んでいた気持ちはどこかに消えて代わりに胸の奥がじんわりと温かい。
「ね……そんなに俺に会いたかった?」
「うん、すごく会いたかったよ」
いつもは言えないけど今日は素直に甘えられそうで私は陸の背中に手を回した。
end
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