【8】

「美紀? 何を笑ってるんだ?」

 肩を抱く竜ちゃんが不思議そうな顔で覗き込む。

「ふふっ……かすみ草を見たらあの日のこと思い出しちゃって」

「毎年そう言ってるな」

「だって忘れられないもの」

 両親に報告にいって竜ちゃんは父に何度も殴られた。

 それでも頭を下げ自分が独り立ち出来るまでは自分たちの面倒を見て欲しいとも頼んだ。

 額を地面にこすり付ける竜ちゃんの姿に父はようやく頷いた。

 それから樹が生まれ二年して麻衣が生まれ、その頃にはひと月でかなりの額を稼いでいた竜ちゃん、数年後には家族四人で暮らす為にこの家を買った。

 それからほどなくしてホストを華々しく引退した竜ちゃんは念願だった自分の店を持つ。

 決して順風満帆ではなかったけれど、今では三店舗に増えてようやく軌道に乗ったといえる。

「なぁ、美紀……」

「なぁに?」

「俺を選んで後悔しなかったか?」

「後悔する暇がないくらい竜ちゃんに愛されて私はすごく幸せな奥さんよ」

 二人きりで生活するようになったのは麻衣が就職のために家を出てからが初めてだった。

 最初は両親とすぐに子供が生まれもう一人増え、子育てに忙しい時期と竜ちゃんが店の経営に専念する時期が重なった。

 あの頃は本当に同じ家に住んでいるのにすれ違いのような生活が続いた。

 こうしてようやく二人きりになって、私はずっと竜ちゃんに愛されて来たのだと実感出来る。

「俺も幸せだ。美紀と家族が作れて……それに親父との仲を取り持ってくれて、ほんのわずかの間だったけどもう一度息子として接することも出来た」

「竜ちゃん……」

「これからは二人きりで……と言いたいところだが、そろそろ麻衣達が来る時間だな」

 竜ちゃんは振り返って時計を確認した。

 向こうを出発する前に連絡が来たからそろそろ着く頃だった。

「それじゃあ、早く後継ぎになってもらわないとだめね」

「あぁ、必ず口説いてみせるさ」

「ようやく二人きりで旅行が出来そうね」

「もちろんだ。美紀が望むなら世界一周でも秘境探検でも叶えてやるさ」

「私は竜ちゃんと一緒なら、どこでだっていいのよ。そうね……まずは温泉かしら」

「なんか年寄りくせぇな」

「もう……いつまでも若いと思って、竜ちゃんもそのうちおじいちゃんって呼ばれるかもしれないわよ?」

「おじい……なんか複雑だな。でも美紀はいつまでも俺のこと変わらず呼んでくれよ」

「もちろんよ」

 微笑むと竜ちゃんの顔が近付き二人の唇が重なった。

 幸せを噛みしめながらキスをしていると、外から車の止まる音が聞こえ私達は顔を見合わせて微笑んだ。

 竜ちゃんに差し出された腕に手を掛けて歩き出すと玄関の開く音。

「ただいまー!」

「おじゃましまーす」

 元気な二つの声が静かだった家に響いた。


end
―39―
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