指輪-one-
彼女はアクセサリーを好まない。
好まないといっても自分で進んで買うということがないだけで、嫌いではないから贈られた物は身に着けてくれる。
「だから、これはきっと……」
ベッドの上に寝転がって、数分前にクローゼット内で拾った指輪を顔の前まで持ち上げる。
ピンクゴールドのその指輪は、中央にハートに囲まれたムーンストーン、横にはメレダイヤが添えられている。
いかにも女の子が好きそうなデザインの指輪は、間違いなく自分じゃない誰かから贈られたものに違いない。
「そりゃ、なぁ……俺の前に付き合ってた男がいるわけだし、指輪だって貰ったことあるだろうし、まあ……俺が贈った指輪には勝てないけど」
彼女へ贈った指輪は一つ。
特別な意味を込めて、彼女のことだけを考えて選んだ、プラチナにハートカッティングのダイヤの指輪。
プレゼントの価値は値段でないことは分かっているけれど、何となくコレを贈った相手に勝ったようで気分は良い。
「気分は良いけども、だ……」
心の狭い男のようなことは言いたくない。
自分も仕事が仕事だけに、あれこれ言える立場じゃないことも分かっている。
「複雑だよなぁ」
今でも大切に持っているのだとしたら、その相手は彼女にとって過去のことでも大切にしたい思い出かもしれない。
「りーく、何してるの?」
「わっ、麻、麻衣!!」
声を掛けられるまで彼女が部屋に入って来ていたことも気付かなかった。
驚いて指から離れてしまった指輪は顔の上を転がり、顔の横に落ちてしまうと上から覗き込んで来た彼女が真っ直ぐ指を伸ばして来た。
「あれ、これ……」
「あ……っ、違……これは……」
拾われる前に誤魔化そうと思ったけれど、それも叶わず指輪は彼女に拾い上げられてしまった。
「どこにあった?」
「……ク、クローゼットの中に落ちてた」
「やっぱり落ちてたんだ。探した時には見つからなかったのに」
え……探した??
彼女の言葉とホッとした表情に胸が嫌な感じにざわつき始める。
あの指輪は探したいほど大切な物なのだろうか、もしかしたら自分が見ていないところで彼女はあれを身に着けているとしたら……。
「麻、麻衣……それ大事な指輪、なの?」
「うん。見つけてくれて良かった」
ありがとう、と彼女は言いながら指輪を手にクローゼットへ向かう。
なんだよ、なんでそんなに嬉しそうなんだよ。
俺以外から貰った指輪なんか捨ててしまえよ。
言いたいけれど言えない本音はグッと飲み込んだ。
言えるわけがない。
女性からの贈り物ばかりで生活しているような自分が決して口にして良いわけがない。
彼女の後ろ姿から無理矢理視線を引き剥がし、布団の中に潜り込んで溢れる気持ちを抱え込むように身体を丸める。
せっかく2人で過ごす夜なのに、たった一つの指輪のせいで台無しだ。
クローゼットの扉が閉まる音の後、ベッドが軋んで彼女が隣に潜り込んで来た。
触れそうで触れない距離にいる彼女の体温は温かいのに、胸の奥はひどく冷たくてそのギャップになんだか泣きそうになる。
「あの指輪はね……」
背中から聞こえて来た声に、思わず振り返って彼女の口を手の平で覆った。
驚いた彼女が見開いた瞳には、自分の情けない顔がアップで映し出されている。
分かっていても彼女の口から聞きたくない。
世の中には知らなくても良いことだってある。
お願いだから、言わないで……。
心の中で願っていると、彼女は口を覆った手を解こうともせず、手を伸ばして泣きそうな顔をしている俺の頬に触れて来た。
「……麻衣」
慰められているとしたら情けない。
今彼女の隣にいるのは自分だ、この先も隣にいる相手として選んでもくれた。
いつも店に来る女性達の前にいる自分のように、もっと自信を持つことが出来たらいいのに、本当に好きな人の前だとどうしてこうも情けない自分になってしまうんだろう。
「俺、俺ね……」
「もう陸らしくないなぁ」
言葉を遮った彼女はゆっくりと手を解くと、両手で俺の頬をギュッと挟みこんで笑う。
「もしかして大人になったのかなぁ?」
「はい!?」
心配しているというより茶化す彼女の態度にムッとすると彼女は俺の両頬に触れたままふわりと笑った。
「んー? だって今までの陸なら、プウッて膨れて指輪を返してくれないじゃない」
「何それ。俺、そんな子供じゃないじゃん」
こんな時、年上の彼女は本当に年上の顔をする。
普段は年下みたいに可愛くて、いつだって側にいて守ってあげたいって思うのに、たまに年上風を吹かせたりする彼女。
それで不貞腐れる自分は本当に年下で子供っぽい、ここで大人の男らしくスマートに振舞えたらいいのだけれど……。
「で、あれ、そんなに大事な指輪なの? 俺があげたのより」
「内緒」
「麻衣っ!」
「ふふっ。やっといつもの陸らしくなったね」
安心したと言わんばかりに、満足そうに笑って頬から離れて行く彼女の手に、今度は自分から掴まえて引き寄せる。
彼女の前ではいつだってカッコいい男でいたい反面、みっともなくても飾らない自分でいたい、相反する二つの感情がせめぎ合った結果、勝利を手にしたのは彼女に言わせると年下の子供っぽい自分だ。
「ねぇ、大事なの? 男から貰ったの? 笑ってないでちゃんと教えて!」
クスクスと笑うばかりの彼女に焦れる。
「陸と同じくらい大事な男の人かなー」
「なっ!!」
問題発言とも取れる彼女の言葉は、返す言葉も思いつかないほどの衝撃が走った。
自分と同じくらい大事な男……。
彼女は自分だけのものだと信じていたけれど、いつか彼女がこの腕の中からいなくなってしまう日が来てしまったら……。
考えただけでゾッとして背筋に悪寒が走る。
「もう、何て顔してるの? 陸と同じくらい大事な人って言ったらピンと来るでしょ?」
「だって、麻衣……」
頭の中が真っ白なのに考えられるわけがない、そう続けようとすると彼女が身体を寄せて笑いかけてくる。
「お兄ちゃんだよ。私が19歳だったかな、アメリカからふらりと帰って来たと思ったら、誕生日だろって言ってお店に連れて行ってくれたの」
「樹さんが?」
「そうなの。それでね、その頃友達が彼氏から指輪を貰ってて、シルバーとかじゃなくて、ゴールドがすごく大人っぽくて羨ましくて……私も、つい……ね」
彼女はその時のことを思い出したのか、照れくさそうに笑いながら話してくれた。
彼女の話にホッと胸を撫で下ろす。
友達が貰った指輪が羨ましくてあんな可愛い指輪を選んだこと、彼氏からのプレゼントではなく兄からのプレゼントだということ、真相を知ってしまうととても微笑ましくて彼女らしいエピソードに愛しさが込み上げる。
「機嫌、直った?」
「ん、直った」
さっきと同じようにからかう口調でも悪い気はしない。
彼女を腕の中に抱き込んで、このまま仲直りのキスをしようとすると、甘い雰囲気に雪崩れ込もうとする空気も読まず、彼女が声を上げた。
「それでね! 今日、連絡があったんだけどお兄ちゃん、帰って来るんだって」
「はい!?」
「今回は一時帰国じゃないんだって。まぁ……理由はそういうことだと思うんだけど。で、お兄ちゃんから陸に伝言。とりあえず金稼ぎたいからまたよろしくな、先輩。だって、私からも誠さんに連絡入れるけど、陸もお願いね」
「はいぃぃぃぃっ!?」
甘い雰囲気はどこへやら。
嵐の予感しかしない予告に気が遠くなったが、俺も彼女も嵐がすぐそこまで来ていることも、その嵐に巻き込まれてしまうことも気付くはずもなかった。
end
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